フルメナさんの秘密(2/4)
食事のゴミをポケットに入れて席を立とうと思ったその時だった。
出入口の引き戸に何かが張り付いているのが分かった。
まじまじと見つめ、正体が分かった瞬間に息が詰まる。髪の長い女性の後ろ姿だ。軽く首を垂らし、猫背気味で立っている。
身長は160cmほど、ボサボサの髪は腰の辺りまで伸びている。濃淡のブレザーにチェックのスカートは全日制の制服だ。足元は白いソックス、靴は履いていない。
この教室には俺以外に誰もいなかったはずだ。戸が開く音も聞こえなかった。
俺が目が離せないでいる間、謎の女子生徒は微動だにしない。呼吸をしているのかさえ怪しかった。
配食の牛乳を飲んだばかりなのに、喉が張り付くほどに乾ききっていた。
胸には恐怖心が芽生えていたが、理性でかき消す。夜の学校だからといって、"そんなもの"が現れるはずがない。
「あ、あのー……」
俺は蚊の鳴くような声を絞り出した。
女子生徒は俺の呼び掛けに反応するように頭を上げると、僅かに首を右に動かした。ゼンマイ仕掛けの人形のようにキリキリと、首から上だけが少しずつ俺の方を振り返っている。
その度に鼓動が早まる。心臓の音が、静寂な教室中に反響しているような気がした。
理由は分からないが、その顔を見てはいけない予感がする。
女子生徒がゆっくりと振り向く。
頬が見えた。やがて小ぶりな鼻が見えた。
何故か目を背けることができなかった。
とうとう目が合う……その直前のことだった。
「見つけたわよ!!!」
けたたましい叫び声。
叩きつけるように、引戸が勢いよく開いた。
扉の向こう側に立っていたのは、闇に輝く黄金の髪、そしてブラッドムーンによく似た深紅の瞳。
「フ、フルメナさん……?」
瞳の色は違えどその姿は確かに、毎日教室で顔を合わせているフルメナさんだった。眉間に深いシワを刻み、女子生徒を鋭く睨み付けている。普段の教室での立ち振舞いからは想像できない顔つきだった。
女子生徒は右に回転させていた首を逆向きに動かし、フルメナさんと向き合う。二人は引き戸のレールを挟んで向き合う形になった。
俺の方向からは女子生徒の表情は伺えないが、その佇まいは不気味な雰囲気を放っている。
「さっさと終わらせるわよ」
フルメナさんはスレンダーな右足を畳んだまま振り上げると膝を思いきり伸ばし、女子生徒に前蹴りを放った。それはスカートを履いていることなど気にも留めない、強烈な一閃だった。
華奢な下半身から放たれたその一撃は予想だにしない威力を生む。女子生徒は大きくバランスを崩し、何歩か後ずさったあとに尻餅をつく。
フルメナさんはその隙にも距離を詰め、座り込む女子生徒の顔面を目掛けて再び足を大きく振り上げた。サッカーボールキックだ。
女子生徒は自らの両腕をクロスさせ直撃を避けると、素早くその場に立ち上がる。
「一時間目、現代文……」
女子生徒がか細い声で呟いた。
俺は自分の目を疑った。女子生徒の両足が地面から離れ、身体が完全に宙に浮いている。
更に彼女の周りをふわふわと回る二つの物体。壁にかかっていた、二枚の巨大な三角定規だった。原理はさっぱり分からないが、正三角形と二等辺三角形の鋭利な物体が、女子生徒の周りを旋回している。
相対するフルメナさんは表情ひとつ変えず、女子生徒の出方を伺っているように見えた。
さて、ここからは凡人以下の俺にとっては驚き、おののき、悲しみの展開が連続する。
いちいち俺の感情を挿入している場合でもないため、安全確保のためにいそいそと潜り込んだパイプ机の下から実況に徹させていただく。
「二時間目、世界史B……」
女子生徒は右手の人指し指を正面に向ける。表情は長髪に隠れているが、全身から放たれた殺気は俺にも感じ取れた。
二枚の三角定規が手裏剣のように、フルメナさん目掛けて飛んでいく。学習用の教材と言えど鋭い鋭角が直撃すれば、決して無傷では済まないだろう。
「面白いじゃない、かかってきなさい」
フルメナさんは迫る凶器を目の前に怪しく笑った。唇の隙間から、常人離れした長さの犬歯がこぼれる。
その肉食獣を思わせる鋭い犬歯に、自身の右手の親指を躊躇なく押し当てた。柔らかい皮膚は呆気なく破れ、指の腹から赤い液体が滴り落ちる。
それは指を伝い、床に赤い水玉模様を彩った。
「永眠の一突き《スレイピア》」
足元に垂れた鮮やかな血の一滴から、生えるように一本の剣が出現した。
針のように細い刀身、あれはレイピアだ。
フルメナさんは半身になって右手でレイピアを構えると、襲い来る二枚の凶器を素早く弾き落とした。いとも簡単にやってのけたが、人並外れた動体視力と身体能力があってこその技術だろう。
プラスチックの落下音がけたたましく響き、教室に再び静寂が訪れる。
「終わりよ」
フルメナさんは剣先を女子生徒の喉元に押し当てる。
突如始まった戦いは、フルメナさんが勝利を飾り決着がついたかのように見えた。
「三時間目……生物……」
フルメナさんの右手が震える。いや、動いているのはレイピアだ。フルメナさんの小さな手から逃れるように、徐々に振動が激しくなっていく。
とうとうフルメナさんの手から滑り落ちたレイピアは床に落ちること無く、天井近くまでふわふわと浮き上がった。
レイピアだけではない。撃墜された三角定規が浮く。スチールラックに並べられていた教科書が、畳んで壁に立て掛けられていたパイプ椅子が、息を潜めて張り付いていた壁掛け時計が動き始める。
俺が隠れているパイプ机もガタガタと動き始めた。俺を見捨てないでくれ。机の脚を両手で抱き止めて必死にすがりつく。
しかし俺の想いも虚しく、パイプ机は宙へ去っていってしまった。机の上に置かれていた大量の書類が舞う。
俺は背中を丸めて、両手で後頭部を覆った。
「チッ、面倒臭いわねぇ!」
生まれて始めての自由を噛み締めているかのように、数々の備品が四方八方を飛んでいる。壁にぶつかり、天井にぶつかり、それでも勢いは衰えるところを知らない。
フルメナさんは最小限の動きでそれらを避けつつ、女子生徒との距離を取る。そして再び右手の親指を口元に運んだ。
「四時間目……生物……」
女子生徒の髪は逆立ち、隠れていた表情がよく見える。つり上がった瞳。浮かび上がった血管、まさに怒髪天を衝く表情だ。
「五時間目……体育……」
女子生徒が両手を天に掲げる。
空を覆っていた備品が一瞬動きを止め、フルメナさんに向かって飛んでいった。
フルメナさんの正面から三角定規が、後部からスチールラックが、頭上から黒板消しが。避ける余地など考えられない一斉砲撃だった。
「目覚めの温もり《プッシーテイルズ》」
床に絞り出した血の一滴から新たに生えてきたのは、バラ鞭だ。頑丈そうなグリップから、革を編み込んだしなやかなボディが何本も伸びている。
ボディの長さには一本ずつバラつきがあり、5cmほどの短いものから、フルメナさんの身長を越えるほどの長さのものまであった。
フルメナさんは上から振りかぶるように鞭を構えた。
「いい加減にしなさい!」
上腕ごとしならせる豪快な一振り。
それぞれのボディが全ての備品に命中する。短い鞭は近距離の三角定規を、長い鞭は遠距離の壁掛け時計を、的確に捉えていた。
それは撃墜と呼ぶに相応しい圧倒的な攻撃だった。
そして最も長い鞭は女子生徒の身体に巻きつきて、腕ごと固く拘束している。
「ろ、六時間目……美術……」
女子生徒は猫じゃらしのように身を悶えさせるが、拘束が解ける様子は全くない。
「さっさと消えなさい」
フルメナさんがグリップを引くと、鞭の締め付けが一層強まる。
徐々に女子生徒の身体は透過していき、やがてその存在は完全に消滅してしまった。
今度こそフルメナさんに軍配が上がったようだ。
フルメナさんの操っていた鞭は徐々に形を崩し、赤い液体となって床に染みて消えた。
「フ、フルメナさんだよな……?
ありがとう、助かったよ」
全てが終わったことを察知した俺は、よろよろと立ち上がりフルメナさんに駆け寄った。
彼女がいなければ俺は今頃ぺしゃんこになっていた。いくら二次元が好きとはいえ、自分の身体が平面になるのはごめんだ。
「あんた……」
フルメナさんは俺の姿を見ると、青い目を丸くした。
「今見たこと誰にも言うんじゃないわよ。分かった!?」
そしてフルメナさんは、俺の胸ぐらを乱暴に掴み上げた。小さな手からは想像もできない硬い拳が喉仏を圧迫する。
「と、とりあえず離してくれ……」
フルメナさんの手を軽くパシパシと叩くも、その力は更に強まる。
「分かった!? 返事は!?」
「わ、分がりました、誰にも言いません……」
「よろしい」
フルメナさんは突き飛ばすように手を離してくれた。
そして咳き込む俺に一言残して、先に教室を出ていった。
「さっさと立ちなさい。ホームルームに遅れるわよ」
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