フルメナさんの秘密(1/4)
彼女のフルネームはフルメナ・ルーギット・ヴェスパビュームという。
すっかり夜に沈んだ教室の中で、フルメナさんの金髪碧眼は一際輝いていた。
産まれ持った天然の髪質に、溢れ落ちそうなほど大きな青い瞳。加えて透き通るような、初雪のように白い肌。
詳しい年齢は分からないが、やけに幼い顔立ちをしている。中学を卒業して、ストレートに進学したのかもしれない。
身に付けている青い襟に黄色いリボンを結んだ半袖のセーラー服は、指定された制服ではない。世保平高校夜間部は私服登校が認められているが、女子生徒の半数以上は嘘制服で通学している。
フルメナさんも御多分に漏れず、ディスカウントストアで購入したであろう生地の薄いコスプレ嘘制服を着ている。粗悪な安物でも、持ち主が美人ならそれなりに見られる衣装になるらしい。ちなみに俺はタンスの一番上から引っ張り出した適当なシャツを着ている。
誰も興味がない俺のファッションの話はさておき、フルメナさんは美人のくせに性格も良いのだ。その美貌を鼻にかける様子もなく、クラスメイト全員と平等に接している。
定時制高校というだけあってこのクラスにはどこか影がありそうな人間が多く集まっているが、彼女だけはひたすらに明るかった。煌めく外見と温かい内面を兼ね備えたフルメナさんは、全日制高校でカーストトップに君臨していてもおかしくない。
そんな彼女がどうして夜間部に通っているのか。直接質問した人間はいないようだが、恐らくクラスメイトの全員が抱いている疑問だろう。
俺たちクラスメイトも含めたこの場所全体が、フルメナさんを引き立てるための舞台装置のようだった。
まさしく掃き溜めに鶴、定時制にフルメナさんである。
彼女の存在を知り、俺は考えを改めた。
俺の求める理想の女性は画面の中にだけ存在しているのだと、お母さん以外の異性と接する機会のなかった当時の俺は思い込んでいた。
しかしフルメナさんは、俺が三年間の命と時間を費やして出会った数多のヒロインたちの長所をごちゃ混ぜにしたような非の打ち所のない人間だった。
きらめき高校のアイドル藤崎詩織のように容姿端麗で、
SOS団団長涼宮ハルヒのように活発で、
初代帝国華撃団花組神宮寺さくらのように素直で、
HMX-12マルチのように一生懸命で、
幼馴染みの向坂環のように面倒見がいい。
更に付け足すなら、箱庭学園の生徒会長黒神めだかのように凛としている。
「おはようございます。剣崎穹翔さん」
俺が席に着くと、フルメナさんは昨日と同じ優しい笑顔を向けてくれた。
彼女の紡ぐ日本語に違和感は無い。文法もイントネーションも引っ掛かる部分は無く、クラスメイトたちとも流暢にやり取りできている。
唇から発せられる一言一言から、並々ならぬ努力の跡が垣間見えた。地道な努力もできるとなれば、いよいよ非の打ち所がない。
「おはよう、フルメナさん」
ぎこちない笑顔を返して席に着く。
俺のような人間とフルメナさんが不釣り合いであることは、誰に言われるでもなく俺自身が一番よく理解している。
契りを結ぶつもりは毛頭なく、仲の良いクラスメイトとして四年間を過ごしたいだけだ。
「そろそろ避難訓練がありますね。とっても楽しみです」
「そ、そうだな」
「…………」
「…………」
フルメナさんは姿勢を直すと、机に置かれている白い紙袋を開けて中を覗き込んだ。
袋を傾けて三日月型のクロワッサンを半分ほど取り出す。そして手が汚れないように袋の上からパンを抑えて一口囓りついた。その美味しそうな笑顔を見て、俺の空腹も刺激される。
世保平高校夜間部に給食は存在しないが、希望者にはホームルーム前にパンと牛乳が配布される。ちなみにパンの種類は毎日ランダムで、昨日はジャムパンだった。
そんなことより、誰でもいいから今の会話の正解を教えてくれ。
そもそも避難訓練なんか、楽しくもなんともない。
理科室辺りから架空の火災が発生して、"おはし"だの、"おかし"だの、"いかのおすし"だの言っておきながらへらへらだらだら校庭に集うあのイベントに俺は魅力をさっぱり感じない。
気の置けない友人同士なら「どこが楽しいんだよ!」と痛烈な一言をぶつけることもできただろう。しかし俺と彼女を繋ぐ関係は、毎日の挨拶と辿々しいやり取りだけだ。否定から入るコミュニケーションにはお互いの信頼関係が不可欠なのだ。
あぁ、目の前に三択の選択肢が欲しい。この世界の会話は文字起こしもされず、選択肢が表示されず、それでいてリアルタイムで受け答えを続けなければならない。
今度は俺から声をかけたかったが、フルメナさんの食事を邪魔するのは何人たりとも許されない大罪である。
俺は自分の配食を手に、明るい教室を後にした。
世保平高校夜間部の授業は、主に三階校舎を利用して行われる。下級生から上級生まで同じ階に集まっているのだ。
使われていない階や教室は全て消灯されているのだが、自由に行き来することはできる。そのため、暗い階段や空き教室で静かに過ごしている学生は少なくない。俺もそのメンバーの一人というわけだ。
ホームルームが始まるまでの時間、俺は暗闇に隠れて自分の心を落ち着けていた。四年ぶりの学校生活は楽しみも見つけられたが、まだまだ骨が折れる。それどころか、元引きこもりは家から出るだけでも気力が大きく削られるのだ。毎日を乗りきるために、独りになって英気を養える場所が必要だった。
しかし目ぼしい場所は既に先客で埋まっている。星が見える廊下も、静寂が包む階段も、既に人が溢れている。
校内をさ迷い果てた先に俺が見つけた楽園は、一階の数学準備室。なんとなく引き戸に手をかけたら、抵抗なくするすると開いた。この教室だけ鍵がかかっていなかったのだ。それ以来この場所を秘密の隠れ家として利用している。悪事を働くわけではないのだから、どうか許していただきたい。
この教室は名前の通り、数学の授業で使うのであろう資料が置かれている。物の数は多いが最低限の整理整頓はされていて居心地が良い。
壁沿いに置かれた五段組みのスチールラック上段には各学年の教科書や問題集が若い順に、下段には昨年以前に使われていたのであろう本が年代順にそれぞれ並べられている。そして反対の壁には小学生の時に憧れた巨大な三角定規やコンパスが掛けられていた。
窓際の壁に置かれたパイプ机の上には、大量の書類が平積みされている。適当に手に取ってみると問題集の印刷や定期テストなど、どれも見るだけで頭が痛くなってくる代物だ。
電気をつけずにパイプ椅子に腰掛け、クロワッサンを味わう。外の皮がパリパリと音を立て、口内にバターの風味が広がった。
俺が教室から離れる理由は、精神的な休息だけではない。
俺はクラスで浮いていた。
入学から約一ヶ月が経った現在、クラス内ではいくつかのグループが形成されつつある。
どこにも所属できていないのは俺独りだ。こんなことでオンリーワンになったところで褒めてくれる相手はどこにもいない。
どうやら引きこもり時代に体内で熟成された負のオーラが人々を遠ざけているらしい。
入学当初は声をかけてくれる人もいた。しかし日に日にクラスメイトとの溝は広がり、今や話し相手はフルメナさんだけだ。これも隣の席同士というよしみだからであって、俺に好意があるわけではないだろう。
しかし俺としても下らない馴れ合いをするつもりはなく、この状況は嫌いではなかった。こうして別教室に逃避行しているのはその姿勢の表れであり、周りの視線を気にしているわけではないのだ。
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