第8話「チート能力を現代社会に持ってきてはいけない」

 九月七日、午前九時三十分。

 赤坂インターナショナルビル十二階、廊下。


「ありがとう、ユナっち!」


 決議場から出てきた友菜を茉莉乃は涙を流しながら抱きしめた。


「マリノ、苦しい……」

「ありがとう、ありがとう……」


 涙を擦り付けて感謝の言葉を述べる彼女を見て、友菜は微笑む。


(こうして友達を助けられたんだから、も悪くないな)



「羽坂さん」



 後ろで声がする。振り返ると、二十メートル離れた場所に鷲山銀華が立っていた。

 声の主が鷲山だと気付いた茉莉乃は涙を拭うと鋭い視線を彼に向ける。


「少し話をしたいんだが、いいか?」


 友菜は茉莉乃をオフィスへ帰らせると、鷲山に近づいた。


「何か用ですか?」

「今日のプレゼン、素晴らしかった。……その、よければ、私のもとで働かないか?」

「イヤです」


 即答だった。鷲山は狸に化かされたかのように口を開ける。


「い、一緒にトップを目指さないか。この会社を、国を、世界を変えられるんだぞ。私はこの世界を良くしたい。誰もが笑顔で暮らせる社会を作りたい。その夢が、私と一緒に働くことで叶うんだぞ!」


 鷲山は身振り手振りを使って、まるでプレゼンテーションをするかのように言った。

 だが、友菜は指一本動かさずにこう言った。



「あたしは、友達と楽しく過ごしたい。それだけです」



 鷲山の体は冷凍マグロのように固まってしまった。唯一、指だけがピクピクと動いている。


「それでは、あたしはこれで」


 友菜は一礼すると、踵を返しエレベーターホールに向かって歩き出した。

 後ろから鷲山の声が聞こえる。


「どうして……。どうして、そこまでできるんだ」


 友菜は振り返った。



「友達一人守れない大人になんて、なりたくないですから」



 鷲山は俯いていた。彼はやがて顔を上げる。その目には〝怯え〟が浮かんでいた。


「たとえ、命を差し出すことになってもか?」


 友菜の心拍数が上がる。が蘇る。

 それでも彼女は笑みを浮かべた。

 引き攣った笑みを。


「そりゃあ、ね」



   ***



 九月六日、午後十一時五分。

 戦略ソリューション事業本部、オフィス。


「どういうつもり?」


 誰もいなくなったオフィスで友菜は一人、声を上げる。いや、正確にはもう一人いる。彼女には見えている。


 半裸の男が。


 友菜は宙空のディスプレイを指差した。そこにはウォーリスのパソコンにあるプレゼンの資料と、円卓決議の審査員の情報が表示されていた。

 オフィスは暗く、セヴァンの顔は見えない。


「参考になると思いまして」

「出してくれ、と頼んだつもりはない。これじゃまるで、カンニングじゃない」


「しかし、このままではあなたの敗北は確実です」

「そんなの……」


 友菜は口をつぐんだ。

 いまだにセヴァンの表情は見えない。


「友菜様、あなたは選ばれたのです。〝人類知の番人レコード・プレーヤー〟に。ジャック・ザ・リッパーの真実も、核ミサイルの発射コードもあなたの掌の上です。それほど素晴らしい力を持っていながら使わないなんて、宝の持ち腐れではありませんか?」

「たとえ、倫理に反することだとしても?」


「倫理、道理を宣うのは敗者だけです」


 友菜は唇を噛んだ。暗闇に隠れる下着姿の男を睨みつける。


「悪魔ね、あなた……」

「私はセヴァン、番人の付き人です。それより、これらの資料はいかがいたしましょう?」


 暗闇で瞳が輝く。このとき、友菜は思った。最も恐ろしいのは……。

 だが、やがて彼女はため息をついた。


「わかった。今回だけ。今回だけだから!」


 暗闇から笑みを浮かべた口が見えた。



 午後十一時半。


「カンニングがばれてはいけないよね」

「はい。そのためには、相手を上回る提案が必要かと」


「つまり新しい人事制度を考えないといけない。……えっ、無理じゃない?」

「友菜様、そういうときは是非〝フュージョン〟を使ってみてください」


 〝フュージョン〟とはセヴァンに秘められた第三の能力である。

 この力は他の二つとはいささか趣向が異なる。


「じゃあ、ランダムに単語を提示して」


 友菜の前にディスプレイが表示される。


「『四分三十三秒』。アメリカの音楽家ジョン・ケージの曲です。四分三十三秒間、演奏者は音を出さず、聴衆はその場に起きる音を聴く、前衛的な音楽になります」

「これと、就業規則の異動に関する部分だけを〝フュージョン〟させてみて」


 ディスプレイがもう一つ表示される。フューカインドの就業規則だ。彼女の前で二つのディスプレイが衝突し、混じり合い、光を放つ。

 光が収束すると、新たなディスプレイが表れた。ディスプレイには「部署内試用期間」と表示されていた。


「『四分三十三秒』がその場に起きる偶発的な音に耳を傾けるように、一定期間、その職場の適性があるかどうかを見極めるための制度です」


 まるでガラス瓶に猫を入れるかのように、宇宙飛行士を馬に乗せるかのように、本来交わることのない二つの事柄を結びつけ、新しいものを〝創造〟する力。

 それが、第三の力。〝フュージョン〟。


「よし、プレゼンの軸はこれでいこう。……スライドは作り直しだね」

「加えて、プレゼンも魅力的なものでないといけません。アメリカのダン・ロームという作家が興味深いプレゼン手法を提案しています。そちらを習得してみてはいかがでしょう」


「それってあたしが眠れる時間はある?」

「あなたの想い次第です」


「ハァ……仕方ないな」


 友菜は眠い目をこすると、腕まくりをし、パソコンの前に座った。



   ***



 九月七日、午前九時三十五分。

 昨夜の出来事を思い出した彼女はそれでも思う。



 は悪くない、と。



 世界を揺るがすほどの巨大な力は、時に大切な友を救うのだ。



〈完〉


——————

 最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 この小説は今度執筆する長編小説のお試し版として公開しました。


 次回作の参考とさせていただきますので、ぜひとも忌憚のないご意見・ご感想をお寄せいただけますと幸いです。

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羽坂友菜は円卓を回す 名無之権兵衛 @nanashino0313

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