第7話「プレゼンの内容はみんな大体覚えていない」

   誰かに信頼されるには



「皆さん、こういった経験はありませんか。会社・学校・部活・サークル、なんでもいいです。部下や後輩とうまくコミュニケーションが取れない、彼らが自分のことを噂しているんじゃないかと疑ってしまう。このような経験は誰しもが体験したことがあると思います」


 次に表示されたスライドにはいくつかの円グラフが描かれていた。


「事実、人材紹介会社がとったアンケートによると、転職を経験した人の約4割が、先輩・上司が原因で転職したと答えています。また、75%の人が先輩・上司との会話では本音を言わないようにしていると回答しました。


 このアンケートを見ると『先輩・上司=疎まれる存在』という方程式が出来上がります。中には『そういうものだ』と割り切って仕事をする人もいるでしょう。しかし本当にいいのでしょうか。想像してみてください。部下や後輩が信頼してくれる職場を。そこはきっと、やりがいに溢れていて、毎日が楽しく感じられるはずです」


(……!)


 ここで鷲山はあることに気づいた。



 誰も、しゃべっていない。



 会場には友菜の声と足音しか聞こえない。全員が動きを止め、じっと友菜の発表に耳を傾けている。始まってからわずか三分。全員が名も無い一人の新入社員のプレゼンに夢中になっていた。


(バカな。いったい……)


 鷲山は無意識に奥歯を噛んだ。友菜のプレゼンは続く。


「ですが、新しく入ってきた部下・後輩をすぐに信頼することは可能でしょうか。彼らといつまで同じ部署にいられるかわかりません。だから会って十秒で仲良くなって、さあ仕事しよう、というのは無理がありますよね。カンザス大学のジェフリー・ホール教授の研究(※1)によると、新しく知り合った人同士が友達になるのに100時間は必要だそうです。つまり、それだけの時間をかけなければ、信頼を構築することはできないのです。



 そこで、私は『配属された部署での試用期間』を導入することを提案します」



 会場がざわついた。


「なんだよそれ」

「聞いたことねぇ」


 友菜はプレゼンを続ける。


「入社してから本採用になるまで試用期間があることは皆さんご存知のはずです。これを異動した人にも適用するのです。


 試用期間中、上司や先輩は新しく入ってきた人の人柄を把握します。把握する方法は人それぞれです。ランチを一緒にとったり、こまめに挨拶をしてみたり。最初はぎこちないかもしれませんが、時間が経つにつれて適切な距離感がわかるようになります。

 大切なことは一つだけ。



   試用期間のは決して異動させてはいけない、ということ」



 このセリフを聞いて鷲山とウォーリスは目を見開いた。二人は気付いたのだ。

 彼女の思惑に。


(渡邉が配属されてからまだ三ヶ月。つまり……)

(彼女の主張が通れば、オレの主張はno meaningになってしまう!)


「これだけで、部下や後輩と信頼関係を構築することができます。もちろん、どうしてもソリが合わない人もいるでしょう。その時は試用期間終了後に異動を提案すればいい。本人のことを理解せず、第一印象だけで決めてしまうのは、本人、そして会社にとっても利益ではありません。


 さらに、この試用期間の素晴らしいところは、『新人の職務適正を評価できる』ところです。先ほど、ウォーリスさんはOCEANモデルを用いて渡邉さんの適切な職種を提案しました。ですが、それだけで本当に彼女の性格がわかるでしょうか。


 私はそうは思いません。人にはOCEANモデルのさらに奥に〝人生を賭けてでも達成したい使命〟があると信じています。仮に、これを〝コア・プロジェクト〟と呼びましょう。


 心理学者のブライアン・リトル博士は言いました(※2)。『大切なのは、その人の性格ではなく、コア・プロジェクトである』と。〝コア・プロジェクト〟は性格診断テストだけではわかりません。時間をかけて見極める必要があります」


 友菜の脳裏に入社式があった日の夜のことがよぎる。



『私ね、いつか大企業の新規事業戦略に携わりたいんだ』



 少し照れながらカクテルに口をつける茉莉乃を友菜は心から応援したいと思った。


「スマホを鳴らしただけで調和を乱すからと配属転換などせず、もっと時間をかけてその人の〝コア・プロジェクト〟を精査するべきです。その先には、部下との絆が強い職場が待っているでしょう。私からは以上です」



 けたたましい拍手が会場を包んだ。一部の外国人社員からは「ブラボー」との声も上がる。


 軍配は友菜に上がった。


 審査員の松本健太郎はこう評す。


「とても説得力のあるプレゼンでした。職場での人間関係は古今東西、あらゆる組織の課題です。実は、私も新しく配属された人とうまく馴染めず困っていたところなんです。早速、我が社でも導入を検討してみようと思います」


 かくして羽坂友菜の主張が採用された。主張はそのまま人事規定に反映される。

 そのため、配属六ヶ月未満の社員は「試用期間」が設けられ、異動することはできなくなった。


 それは、渡邉茉莉乃とて例外ではない。




—————


 参照文献・資料


(※1)Jeffrey A. Hall(2018) "How many hours does it take to make a friend?", Journal of Social and Personal Relationships, Volume 36, Issue 4

(※2)Brian Little(2016)"Who are you, really? The puzzle of personality", https://www.ted.com/talks/brian_little_who_are_you_really_the_puzzle_of_personality

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る