第24話 センタク

 ――それで、調子に乗ったバカ者がバレーボールの真似事を始めてな。


 ――え、先輩結構重いじゃないですか……突き指しちゃいますよね!?


 仔猫たちを抱いてホールに戻ると、先輩は数人の女子に囲まれてキャッキャと楽しそうに談笑していた。


 ――いや全く、閉口したよ。オーバーハンドだと目に指が入りかねんし、アンダーハンドだと脳が揺らされて気分が悪くなるしな……髪の毛を頼りにちゃぶ台の下に潜り込んでな、頭をさかさまにしたまま、物陰に逃げ込んだよ。


(何の冗談だよ)


 いつの話をしているのか不明だったが、少なからず頭に血が上るのを感じながら先輩に近づいた。たぶん僕は憤慨していたのだと思う。


「猫、連れてきましたよ」


「何をやってるんだ袴田君。まだデリケートな段階だろうに、こんなところに連れて来るんじゃない。母猫がびっくり――」


「……してないみたいですね」


「む。そうだな……」


 もみくちゃにされないように仔猫は少し離れたソファの上に下ろした。母猫はそこにぴょんと飛び乗って、安心しきった様子で仔猫がじゃれつくのに任せている。

 

 僕は無言で女子生徒たちの輪の中から先輩を取り上げ、猫たちの横に腰を下ろして先輩を膝に乗せた。彼女の頭は頭頂部を僕の左足の外側へ向けた形になっていて、ちょうど膝枕をしたような格好だった。

 

「卒業しちゃった人たちのことを今さら怒るのもアレですけど……バレーボール代わりにされた話とか、ちょっと許せないですね」


「なんだ、そんなことで腹を立てていたのか」


「そりゃね、流石に血の気が引きますよ」


「そんな風に心配されると、なんだか普通の女の子のようだなぁ」


 先輩はクスクスと笑った。手があったら軽く曲げた人差し指の、第二関節あたりを唇に当てていただろうか――奇妙にも、そんな光景が鮮明に頭に浮かぶ。

 やがてお菓子も飲み物も、物量に対してやや多めの人数に圧倒されて費え去った。大文字学園の生徒退出時刻は夜の二十時。クリスマスの交歓会もそろそろお開きだ。

 

 寮に帰らねば――だが、どうしたものか?

 学校が休みになっても先生方は出勤してくるし、部室も開いている。先輩には毎日だって会えるが、今夜はなぜか、一人で帰るのがひどく味気なく物寂しく思えた。

 

「なあ、袴田君。君さえよければ……私と一緒に帰らないか?」


 え、と声が出る。耳を疑うようなセリフだったが、もしかすると先輩も。同じような気分で同じようなことを考えていたのか。

 

「一緒にって、どこまで?」


 先輩の家は早い話がこの校舎、というか前に聞いた話で言うと、この校舎そのものが家というか身体のはずだ。とはいえ熱海まで行っても別に問題なかったわけで、学園の寮くらいなら何も不都合は起きるまい。

 

「あ、ああ。言い方が悪かったか……君の部屋に連れていってくれ。クリスマスを一緒に迎えようじゃないか」


 他の連中があらかた立ち去りかけたところで良かった。こんな会話、高浜キョシ正岡シキに聞かれていたら、大変な騒ぎになる所だ。


「……光栄です。僕の部屋で良かったら。散らかってますけど、あったかくして過ごしましょう」


「うむ。だが変なことしちゃ嫌だぞ」


「しませんて」


 したかったとしても、どうしろと。


 

 校舎の外に出ると、いつしか雪は止んでいた。寒空にキンと音を立てそうな、白い白い満月が浮かんでいる。猫たちを校舎に入れてやって正解だった、明朝は屋外にある物はあらかた凍るだろう――

 

「あ、忘れてた」


「どうした?」


「洗濯しなきゃ……」


「ああ、そうか。そうだな……旧校舎の術式もそろそろほころびて来てるようだし。どうするか……」


「貯まってるんですよねえ。今からコインランドリーに持っていくとして、乾くかなあ……って、ええ?」


「ん? コインランドリー? 何の話だ?」


 肩にとまった先輩の首と、まじまじと顔を見合わせる。

 

「洗濯。洗濯物の話ですよ」


「あ、ああそういう話か、何だ……」


 なにか大きな間違いに気づきかけて回避したような、何とも言えない感覚。僕と先輩はどちらからともなく「わはは」「フハハ」と豪快っぽく笑い飛ばしながら寮までの夜道をたどった。

 

「ねえ先輩」


「なんだ」


「気づきましたけど、ずっととぼけてたんですね」


「何をだ」


「ほら、物を飲み食いしても、どこに入るのか。『胃があったこともあるのかもしれないが、その時の感覚などとっくに忘れてしまった』なんて言ってましたけど……」


「ああ。そうだな」


「先輩、自分の過去も、ろくろ首から何かの魔法の儀式で校舎と一体化したことも、覚えてるんですもんね」


「ああ、そうだ。適当なことを言っていたな。君にここまで、いろいろな秘密を明かすことになるとは、思っていなかったんだ……謝るよ」


 その言葉を聞いた後、僕はしばらく返事を返せずに黙ったまま歩き続けた。

 

「袴田君……?」


「……謝らなくていいですよ。先輩とこんな話が出来て、僕は嬉しいです」


 梧桐先生には気の毒だが、僕は今、先生が踏み込めなかった地点に立とうとしているに違いなかった。そのことがひどく嬉しい。

 


 結局部屋に帰った後、僕は先輩を伴って、寮のそばのコインランドリーまで出かけた。二十四時間営業だから、量が多くても慌てる必要はない。自販機のコーヒーを先輩に飲ませるのは少々めんどうだったが、僕たちは回転するドラムを眺めながらなんだかんだで暖かな夜を共有したのだった。

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生首先輩と僕 冴吹稔 @seabuki

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