孤月
鳥尾巻
孕み月
銀の
凪の
河岸の両に伸びる
流れに任せ進む舟の上には一組の男女。
女は、舟の中ほどに座し、
月光が蒼白い
舟は
本来ならば女は死罪であったが、女自身も傷つき倒れていたことと、既に身重の身体であったことから一等軽い刑となった。下手人とみられる男は、今も
当初、女は頑なに男の存在を否定していた。しかし、聞けば強欲な父親は若い後妻に入れあげ、実の娘を
身重の女の細腕で家中を荒らし、体格の良い男を
女に見送りはなかった。だが、舟に乗り込む段、手を貸すと、女は晴れ晴れとした表情で軽く会釈をして、先刻の位置に大人しく収まったのである。しかし夜を引いて渡る舟に任せ眠るでもなく、冴えた月を楽しげに見つめている。時折、白い手で膨れた下腹を撫でては、鼻唄でも歌い出しそうな様子である。
親を殺され、身重の身で恋した男に棄てられ、半ば気が触れているのかもしれない、と役人は思った。そうであれば気の毒に思わないこともない。
もうすぐ海に出る。役人は磯の香りを感じながら、暫く黙って仔細を窺っていたが、そのうち
「何を考えておる」
女は初め、不思議そうに細い項を傾け、それからゆっくりと居住まいを正した。存外に視線はしっかりと定まり、切れ長の美しい目は賢し気な光を宿している。
「なに、とは」
凛とした声は鈴音にも似て、川岸の虫の音に掻き消されぬ確かさで役人の耳に届く。尋ねたのは自分であるのに、まるでヘマをやらかしたような心持ちで、男は言い訳のように言葉を発した。
「いや。特にわけがあって尋ねたのではない。お前の在り
すると、女はにっこりと笑った。赤い唇の端が持ち上がると、冷たく見える美貌が和らぎ、
「はい、お役人様。わたくしは嬉しいのでございます」
「嬉しい?」
罪を犯して流されることの何が嬉しいのか。狼狽する役人に向かって、女は尚も言い
「はい。この舟はまるで
罪人の乗る粗末な小舟が嫁入り舟とは。やはり気が触れているのか。役人は背筋に薄ら寒いものを感じながら、女から目を逸らした。
女は
「もうすぐオトさまがお迎えに来ますからね」
「……なにを」
「あの方はわたくしを救ってくださったのです。畜生にも等しいあの男と女を殺してくれと頼んだのはわたくしでございます」
心を抑えた密やかな声。役人が振り返ると、美しき
訪れた闇。とぷり、と舟底に寄せた黒い波。水に浮かぶ木の葉の如き頼りない小舟が、沖から押し寄せる波にぐらぐら揺れる。突如見通しを奪われた役人は畏れ慄き、胸の内で必死に念仏を唱えた。
切れ切れに聞こえてくる女の声。愛しいモノとまみえた歓びが、風のように宙を切り裂く甲高い笑い声と変わる。
果たしてあれは一体なんであったのか。役人は魂を吸い取られたように、ぼんやり口を開けたまま
次第に高く昇る
【完】
孤月 鳥尾巻 @toriokan
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