第11話 競馬場の一日

 ある日のこと。モミカはいつも通り、給仕ロボットとして働いていた。ただし今日は客が少なく、暇だった。常連のジョンウも来なかったし、モミカが働きはじめの頃は毎日来ていたミアも、ここ三日ほど顔を見せない。客がいると面倒ごとも多いが、いないならいないで退屈である。ジョーなどは客用の席にどっかりと腰掛けている。


 競馬新聞なる時代錯誤なものと睨めっこしながら、ジョーはぶつぶつと呟いている。


「メテオスピリットの次走は芝の長距離かぁ。わかってないな、メテオの持ち味はなんと言っても、その末脚! ダートで短距離だろ……。レースの名前に釣られやがってアホ馬主め」


 三つのネイチャー居住区のうち、普段はあまり賑わっていないギョンゲ・チョルイだが、競馬の開催期間は、多くの人で賑わう。ネイチャーの三大娯楽と言えば、飲む・打つ・買う。冬の競馬は、ネイチャーの最大の関心事と言っても過言ではなく、ネオ・バベルの黄昏亭に住む、ジョーにとっても例外ではなかった。


「あんたの好きなメトロスプリットは、年末のなんたら博士カップに出るのかい?」


 銀縁めがねがキラリと輝いた。


「メテオスピリットだよ、ケティ。それからイノベーター・セレスタル博士カップだ。確かに大レースだよ? 賞金もものすごいし。でもメテオスプリント向きのレースじゃない。騎手もレン・シンイーだし。シンイー三兄弟のなかで一番調子が悪いんだよレンは」


 あーだこーだと解説をするジョーの言葉を聞き流しながら、モミカは何気なく呟いた。


「そんなにデータが集まっているなら、どの馬が勝つかなんて、すぐ分かりそうなものだけど。賭けになるのかしら」

「わかってないね、モミカは。データで勝つ馬がわかったら競馬なんて成立しない。不確定だからこそ面白いんじゃないか」

「はぁ」

「納得がいってなさそうな声だね」


 モミカはロボットの仮装の中で舌を出した。実際、納得がいっていなかった。案外ジョーも賢くないのね、とモミカはジョーの癖を真似て肩をすくめてみせた。


「モミカはちょっと頭でっかちというか、その赤い頭に詰まってること以外のことを軽んじているところがあるな。まあデザインだからなんだろうけど。限界を感じることはないのかい?」


 モミカはしばらく考えた。頭に詰まっていないことを、軽んじているつもりはない。しかし、ここが自分の知識の限界だ、と感じたこともない。今まで学んだことをちょっと応用すれば、大概のことはうまくいく。モミカの祖母探しは停滞していたものの、黄昏亭での生活に満足しているモミカは、そのことに焦りを感じてはいなかった。


「完璧にデザインされてるもん。限界はないのよ、たぶん」


 そう答えながらも、モヤモヤは残った。それには知らないふりをして、その日の仕事は終わった。




※※※




「モミカ、今度の週末は競馬場に行こう」


 翌朝、いつものように早起きして、バロンの馬房を掃除している最中に、ジョーが提案した。


「週末? お店があるでしょう」

「ここ最近は客足が遠のいてるからケティ一人で大丈夫だよ。バロンの世話が終わったら行こう。それに毎年この時期は暇なんだ。みんな飲みにも来れないほど忙しいからね」


 正直なところ、モミカも興味はあった。バロンに会うまで馬を見たことがなかったように、デザインの街には動物が少ない。賭博には興味がないが、馬が走るところは見たかった。


「いいよ。連れて行ってくれるなら」


 それを聞いたジョーは目を輝かせた。


「そう来なくっちゃ! ……ふふふ。これで馬券は当て放題。あ、モミカは馬券が買えないけど、モミカの予想で私が買う分には何も問題ないからね」


 まだ買ってもいない馬券の、的中金を妄想してニヤニヤしている男装の麗人を、モミカは冷ややかな目で見た。どうしようもない大人もいるもんだ。


「ね、あなたもそう思うでしょ? バロン」


 首筋を撫でると、バロンは軽く首を振った。


 そして週末。生まれてはじめてギョンゲ・チョルイに降り立ったモミカを待っていたのは、人の波だった。


 ネオ・バベルの比ではない数のネイチャーが、競馬場に吸い込まれていく。褐色の肌に白い肌、黒髪に金髪……。そして何より、競馬場は煌びやかで、デザインの学校や駅に勝るとも劣らない美しさだったのだ。賭博場なのだから汚いものだと思い込んでいたモミカは驚いた。


「さあパドックに行こう、モミカ」


 いつもより浮き足だっているジョーに連れられて、モミカはサラブレッドというものを生まれて初めて見た。


 なんという美しい動物だろう。


 筋肉に覆われたしなやかな体躯。首を振り、活気ある歩様で、レースに向けて集中しているようだ。艶のある肌は滑らかで、サラサラのたてがみが軽くなびいている。


 モミカが特に惹かれたのは、一頭の青鹿毛の馬だった。全身が真っ黒で、額には白い星。


「どれが勝ちそうか教えてよモミカ。トモの張りを見るといいよ」

「トモ?」

「お尻のとこ。盛り上がってて張りがある馬はよく走る」


 なるほど、そう意識して見てみると、どの馬も美しいことは前提として、筋肉のつき方には違いがある。


「……あの馬が勝つ」


 モミカは青鹿毛の馬を指さした。


「なるほど、なるほど。じゃああの馬を軸に……」


 ジョーはぶつぶつと呟いている。馬券は一着を予想するものだけではなく、二着三着との組み合わせを予想するものや、三着までのすべての着順を予想できるものなど、複雑になっている。確率を考えれば、十八頭出走し、必ず一頭は一着になるのだから、一位の馬を予想するのが確実ではないかと指摘したが、


「いやでも高額配当を狙うにはリスクがあっても賭けないと……」


 ジョーには珍しく不明瞭な答えが返ってきた。モミカの予想した青鹿毛は見事に一着をとったが、ジョーは馬券を外した。


「まったく、もう」


 モミカはあきれたが、ジョーのお金の使い方にあれこれいっても仕方がない。ジョーはやれあの馬は調教師が素晴らしいだの、あの馬は良血ではないのに頑張っているだの理由をつけて馬券を買っては外している。


「良血って……速い馬を作出したいなら、偶然に頼らないで、そうデザインすればいいのに」


 モミカのつぶやきにジョーは出走表から目をそらさずに


「それじゃつまらないだろ。配当もそうだけど、競馬好きは物語に賭けているんだよ」


 と答えた。


「つまらない……」


 モミカはピピカよろしくオウム返しをした。思わずサラブレッドと自分を重ねてしまった。速く走るための馬と、優秀に作られたはずの自分。偶然という奇跡の産物には物語があり、必然として設計されたものには物語などないのか。ジョーがそんな意味で言ったわけではないこと、賢いモミカはわかっていたが、気分が沈むのは仕方のないことだった。


 しばらくモミカが黙っていたので、ジョーはようやく自分の失言に気が付いた。ジョーは____意図的に____いつものように肩をすくめてみせた。


「ごめん、言葉が足りなかったね。デザインされたものにも素晴らしい物語があるよ。例えば、君のようにね」


 ジョーは少し真剣な表情に変わり、


「予測できないことも、それはそれで楽しいって言いたかっただけさ」


 そう呟いた。


『あの子、おかしいのよ。先輩を殴るなんて。完璧に設計デザインしたはずなのに』


 モミカの脳裏に、母親の言葉がよぎった。おかしな子、協調性のない子、変な子。デザインの中で、モミカはそういう存在だった。科学の力でだいたいのことは予測できるようになった時代で、予測できなかった欠陥品。その理由が知りたくて、モミカは祖母を探すことにしたのだった。


「予測できなくて、それでいいの?」


 ジョーに尋ねたわけではなかった。答えは自分で見つけなくちゃいけない。それでも抜けていてお調子者で、情に厚い自然物ネイチャーは、自分の答えを返してくれた。


「当たり前だよ、不確定だからこそ面白いんじゃないか」


 その後もモミカは予想を的中させ、ジョーは絶妙に馬券を外したが、少しばかりの赤字だけで、競馬場の一日は暮れていった。

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エディテッド・ブルー 刻露清秀 @kokuro-seisyu

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