ある山中の廃旅館にて

@chest01

第1話


 心霊スポットとされる、ある山中の廃旅館で見つかった、配信者のスマートフォン内の動画。


 それは若い男の顔のアップから始まる。

 夜間で、辺りに手持ちの照明以外の明かりは無いようだ。


「皆さん、こんばんは。××です。今回の○○心霊チャンネルは、今日はですね、ある廃旅館で収録しようと思います。ご存知の視聴者さんも多いかと思いますが、最近心霊ファンの間で密かに話題の、えー、──県にある○×旅館です」


 配信者はその建物の前で撮影しているらしく、カメラが回転すると古びた廃旅館が映し出された。


 瓦は浮き、白かったであろう壁はすっかり黒ずんでツタが這い、玄関の柱も歪んでしまっていた。

 夜であることを差し引いても、どんよりとした陰鬱な雰囲気が漂っている。

 周りには膝丈くらいまで植物が生え、背景の森や茂みと同化しつつあった。


「はい、こちらですね。さっきまで車から町の明かりが見えてたくらい人里に近いんですけど、いわゆる隠れ家的な宿ってやつだったんですかね。今はご覧の通り、草も伸び放題でもう完全に自然に戻ってますね、自然というか山そのもの」


 営業していた頃は、この玄関できっと和やかな出迎えがあったのだろう。

 だが今は扉もなく、先の見えない、不気味な闇が口を開けているだけだ。


「最近、曰く付きの廃墟として話題になってるんですよね。なんでも、変な声が聞こえることがあるそうで。一昔前に旅館がつぶれて、年配のオーナーが自殺したらしく、その男性がうめき声をあげて呼び掛けてくるなんて噂もネットにありまして。それに応えると悪霊が現れて、呪われたり、亡くなった、なんて話も聞きますね。よくある話ではあるんですが……では入ってみましょう」


 懐中電灯を片手に、男は1人、撮影しながら玄関に入った。


 足元の小さな段差、上がりがまちがある。

 本来はここで靴を脱いで、くつ箱に履き物をしまったのだろうが、もう何もかもが朽ちていた。


 壁は剥がれ落ち、木製の床も歩くだけでミシミシとしなる音がする。

 なにより、至るところからツタと草が生えていて、品格ある旅館のエントランスロビーだったようにはとても見えない。


「ああ、肝試しとか廃墟マニアがよく来るらしいってのは本当ですね。結構ゴミがあります」


 コンビニ弁当、カップ麺の容器、ペットボトルなどが映し出された。

 かなりの数で、ここがそういったスポットになっているのが分かる。


「階段が何ヵ所か壊れているらしいので、まずは1階を回ってみましょう。なにか起これば面白いんですが」

 心霊チャンネルをやっているだけあって慣れているのか、肝が据わっているのか。

 男は床を鳴らしながら廊下を進みだした。


 まずは近くにあった和室に入った。

 雨漏りと湿気がひどいのか、柱の色はまだらになり、畳が黒くカビて腐っている。


 ふすまの上の長押なげしには、がくに入った誰かの写真が飾られていた。

 着物姿のなかなか風格のある初老の男性だ。


「こちらの写真は旅館の方ですかね。ここは経営者や家族のための部屋だったのかな」


 何日か前の雨を吸ったせいなのだろう、畳がグズグズで彼は沼地にでも踏み込んだように足を止める。


「うわ、ヤバいな、畳が沈むぞ。それになんかここ、廃墟特有のすえたような匂いがすごいな。マスクしてくれば良かったか」


 山の中だというのに部屋の空気が澱んでいる。

 緑の匂いとカビ臭さや畳の腐臭が混ざって滞留し、そこに湿度が加わって、じっとりと重いものになっていた。


 外の空気は清涼に流れているのに、建物の中はやたらと汚濁しているのだ。


 1階はどの部屋も、柱は触れたら崩れてしまいそうなほどぼろぼろで、ふすまは破けてしまっていた。

 自然が人工物を侵食、いや本来あるべき元の形に戻そうとしているようだった。

 その働きかけで一部の床や壁は腐敗して崩れ、土に還りはじめている。


「次は安全だと言われている階段から2階に行きます」

 男はギシギシと鳴く階段を登った。


「ここは宴会とかをするところ、ですかね」

 そこに賑やかであった頃の様子は見る影もない。


 大広間は放置された障子はすべて変色して破れ、畳はささくれてむしれており、とても足を踏み入れられない。

 すみに積まれているのは座布団の成れの果てか。


 新型である懐中電灯でもライトが奥まで届かず、光が濃密な闇に飲まれてしまう。


「!?」

 突然、男はキョロキョロしはじめた。


「ちょっとあの、なにか、物音がしたような気がしたんですが。物音というか、声みたいな。廃屋でもあんな音しないよなあ……。あれ、録れてなかったかなあ」


 ブツブツぼやくと気を取り直して、

家鳴やなりとか、外で木が揺れた音かもしれませんが、あとで編集のときに確かめてみます」


 それから彼はいくつか部屋を回ったが、見つけたのは朽ちた布団の山や散乱する食器、先客たちのスプレーの落書きくらいで、チャンネルの趣旨に合うようなめぼしいものはなかった。


 玄関を出たところまで戻ると、彼は動画の終わりの挨拶になるであろう場面を撮り始めた。


「えー、○×旅館の探索ですが、今回はこの辺で終了させてもらいたいと思います。途中ですね、変な感じや気になる物音とかはしたんですけど、それは動画を再度チェックして検証したいと考えていますので。では見てくださった方は高評価とチャンネル登録のほうをお願いします。次回も」


 ウォォイ ウゥゥゥイ


「え、え!?」


 ヴォーイ オオオイ


 ウォォイ ヴォォォイ


「え、な、なんだよ、この声!?」


 ヴォォォイ ヴォォォイ


「うそ、マジか、これさっき聞いたあれか!?」


 ヴォーイ オオオイ


 暗い森の奥から、うめくような声が聞こえてくる。


 ガサガサ ガサガサ


 彼の背後にあった茂みが揺れた。

 風ではない。なにかの気配がある。


「なんだよ! だ、誰かいるのかよ!」


 彼の大声がこだまし、振ったライトの光が木々の間を行き来する。


「なんだこれ、なにかいるっ! ヤバい、ヤバいヤバいヤバいヤバい! くるまっ、車にっ」


 ガサッ ガサッ ガサササッ

 森の奥から、気配そのものが音を立てて、茂みを突っ切ってくる。


 車に戻ろうと体をひるがえして駆け出した瞬間、真っ黒い大きなかたまり、としか形容できないものが彼めがけて飛び出してきた。

「うわっ、うわああああ!」


 音声の乱れと激しいノイズとともに、彼のスマホは撮影不能となり、動画はそこで終了した。




 撮影の日から数日後。

「廃旅館に行くと言っていた友人と連絡が取れない」

 という通報で動いた現地の警察により、彼は凄惨な死体となって発見された。


 彼の死因は噂の悪霊や呪いなどではない。


 熊による被害だったのだ。


 現場となった山は人里に近いため、この辺りに生息する熊は人間を避けるために夜行性だったようだ。


 ここはもともと縄張りの中だったが、この心霊スポットに頻繁ひんぱんに捨てられる残飯の匂いで、よく近寄るようになったらしい。


 彼を慌てさせたあの声は、超常的なものではなく、親を呼ぶ子熊の鳴き声だった。


 もちろん年齢や個体差によって変わるが、その鳴き声はときに、男性のうめき声や人を呼ぶ声に聞こえることもあるという。


 そして臆病とされる熊だが、子熊に危機が迫ったと判断すると、親熊はその攻撃性を高めるとされている。


 彼の大声を出したり、走り出そうとするような突発的な行動が刺激となり、熊の攻撃をさらに招いてしまったとも言えるかもしれない。



「山で誰かに呼ばれても近寄らず、その場を離れろ」


 山岳地にはこういった類いの伝承があるという。


 それはこのような危険から身を守るための言い伝えなのかもしれない。

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