第4話 マゴリーノと暴れ家蜘蛛
翌日。領地から帰宅したルビリアン公爵が別邸にやって来ました。中年太りはしていましたが若い頃はさぞやモテたに違いない顔立ちの紳士です。この家の息子たちは長男が父親に、次男が母親に似たのだなとわかりました。
「おお、君がマゴリーノ嬢か。リチャルドとは上手くやれているかね?」
「はい。とても良くしてもらっています」
「そうかそうか。それなら良かった」
公爵は初めて顔を合わせる私と簡単に挨拶を済ませるとリチャルドを連れて本邸へと引き揚げていきました。あちらはあちらで後継者教育があるようです。別邸に一人残された私はのんびり午前を庭で過ごしました。
夫人教育はいいのかって? 実はオルネア夫人の気分が優れないとのことで今日は午後から授業開始となったのです。そんなわけで私はガーデンチェアに腰かけて朝から本を読みふけっていたのでした。
「マゴリーノ様、お食事のご用意ができました」
「あっ、はーい! ありがとうございます」
呼びかけに顔を上げ、私はお礼を伝えます。ガーデンテーブルに昼食を運んできてくれたのは授業時刻の変更を告げにきたメイドでした。この人は私が庭に一人でいるのを見かけると親切に「サンドイッチでも持ってきましょうか?」と申し出てくれたのです。
「わーい美味しそう! いただきます!」
けれど私のルンルンタイムは長くは続きませんでした。ジャリイイイッ! 卵のサンドイッチを頬張る口からしてはいけない不快な音が響いたからです。
(……!? 殻でも混じっていたのかな?)
ぺっと一部を掌に吐き、私はいっそう驚愕しました。混じっていたのは殻ではなく灰色の砂粒だったからです。
「っ……!?」
私は思わずメイドを振り返りました。オルネア夫人付きの彼女は澄まし顔でテーブルの奥に控えています。
まさかとは思いますが、彼女はわざわざ食べられないサンドイッチを作って持ってきたのでしょうか。嫌がらせには気をつけてと忠告は受けていましたが、こんなことまでされるとは……。
(そんなに姑が上で嫁が下だって思い知らせたいんですかね!?)
空腹なのに手の中のサンドイッチにかぶりつくわけにもいかず私はしゅんと落ち込みました。兵糧攻めなんて酷いです。ほかのことならスルーできなくないですが、お腹が減ると私はふらつく体質なのです。
「あのー、これ砂が入ってないやつに交換してもらえませんか?」
頼んでもメイドは知らん顔でした。どうやらこれは本格的にオルネア夫人の息がかかっていそうです。なんだってあの人は息子の婚約者に嫌がらせなんてするのでしょう。呪われし我が子の妻になってくれるとはありがたいと普通はもっと感謝しそうなものですが。
(うーん、仕方ないなあ。このサンドイッチは庭のアリさんたちに進呈するしかないや)
無事な食パン部分だけ自分の口に放り込むと私はサンドイッチの具を足元に散らしました。もちろんパンだけでは足りないのでポケットに忍ばせておいた非常食のクッキーを追加でぽりぽりむさぼります。
その間もメイドは無反応でした。そして突然「そろそろレッスンのお時間です」と食事を中断させたのです。
なんだか嫌な予感がしました。そしてこの予感は見事に的中してしまったのでした。
***
「マゴリーノ嬢! 大遅刻ですわよ! 一体どこで何をなさっておいででしたの!?」
ああ、やっぱり。不遇令嬢物語で時々見かける例のあれです。パーティなどの開始時刻をわざとずらして教えておいてヒロインに恥をかかせようとするやつです。
私は読書好きなのでなんとなく裏が察せますが、悪意に弱い令嬢は夫人の前に立ち尽くすしかできなかったことでしょう。
「すみません。今日は午前の授業はないとお伺いしたもので」
「言い訳はおよし! 確かに午前はないと言いましたが午後すぐに来るようにわたくしのメイドが伝えたはずですよ!」
オルネア夫人はオペラ歌手にもなれそうな大きな声で吠え立てます。きっと執務室周辺で働く使用人たち全員に私の失態が知れ渡ったに違いありません。
夫人はおそらくこういった尊厳破壊を得意としているのでしょう。マテオが気をつけろと言うはずです。人間生きていればミスを犯すものなので私は何と噂されても別に気に病みはしませんが。
「奥様、実は……」
「うん? なんですって?」
と、先程のメイドが夫人に耳打ちします。すると夫人の双眸が更に吊り上がりました。
「マゴリーノ嬢、あなたはレッスンに遅れてやって来ただけではなく、この子に作らせた昼食を庭に放り捨てたのですって?」
「えっ」
「いくら庶民も同然の男爵令嬢とは言え恥ずかしくないの!? そんな振舞いは公爵家に似つかわしくありません!」
さっきのあれがそうなるかあ。悪だくみにもいろんな伏線があるんだなあ。
ここまで来ると腹が立つより感心します。いえ、もちろん食べ物を粗末にした人間への「それは駄目でしょ」との感情はありますが。
「サンドイッチは砂が入っていたんです。パンのところは食べましたよ」
「お黙り! 稚拙な弁解をするのではありません!」
オルネア夫人はこちらの言い分など聞く気はまったくなさそうでした。まあ私を辱めるのが目的ならば当然でしょう。
それにしたって本当にやりすぎです。上下関係というものを躾けるだけならここまでする必要はないのではないでしょうか。
「わたくし付きのメイドを馬鹿にすることはわたくしを馬鹿にすることです。マゴリーノ嬢、あなたに謝罪を要求します。土下座して許しを乞いなさい!」
「ええっ!?」
どんどん飛躍していく話に私もちょっと焦ってきました。悪くないのに謝るのも嫌ですが、土下座なんて虫の生態を観察するときしかしたくありません。
私が困り果てているとオルネア夫人は勝ち誇って言いました。
「嫌なら男爵家に帰ればいいのよ! あの子との婚約を破棄してね」
──あれ? 私は不意に湧き上がった違和感に眉をしかめました。
オルネア夫人ってもしかして本当に私を追い出したいんでしょうか。嫁姑のなんたるかを仕込もうとしているのではなく、婚約自体を妨害したい?
「これはあなたへの親切で言っているのです! リチャルドなどと結婚したら一生不幸になりますわよ!」
脳内でクエスチョンマークが乱舞します。公爵家は息子を結婚させたいから私を連れてきたはずなのに、夫人はそれとは真逆の行動を取っています。マテオの話では今までも夫人がリチャルドの縁談を白紙にしてきたようですし、私の知らない裏がまだありそうです。
「さあ! 額を床にこすりつけて慈悲を乞いたくないのならさっさと公爵家を出ていきなさい!」
興奮したオルネア夫人は私の周囲をメイドたちで固めます。これはもう限界だなと私が諦めたときでした。一切の前触れもなく執務室の本棚が夫人に倒れかかったのは。
「奥様、危ない!」
私はとっさに一歩踏み込み、夫人の手を引きました。間一髪、オルネア夫人は重量たっぷり本棚の餌食にならずに済んだようです。
「ひっ……!?」
飛び出した分厚い本が何冊も潰れているのを目の当たりにし、夫人はぞっとした様子でした。怪我はないみたいですが今日もベッドにこもりそうです。
「あのう、奥様。私って守護霊がめちゃくちゃ強いらしいんです。なのでこう、発言には十分気をつけられたほうがよろしいかと……」
掴んでいた手を離しつつ私はそう助言しました。メイドたちが散乱した本を片付けている間にサッと出口へ向かいます。
お互いに
「ちょ、マゴリーノ嬢! どこへ行くおつもりですか!?」
引き留める夫人の声に私は振り返って告げました。これ以上私がこの部屋に留まっては死人が出るかもしれませんので。
「すみません。守護霊がかなり怒っているのです。危ないですから私はひとまず別邸に戻りますね」
後ろでまだ私を呼ぶ声がしましたが、全部無視して屋敷の外へと急ぎました。ちらと見やった廊下の壁には猛スピードでついてくる家蜘蛛の姿があります。
「まったく……!」
私は眉間にしわを寄せ、家蜘蛛にデコピンを食らわせました。けれど家蜘蛛はピンピンして、むしろ私の腕に乗っかってくるのでした。
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