公爵家の呪われしワケあり息子と婚約しました
湖原けっき
第1話 マゴリーノと呪われし美青年
男爵令嬢ってもっと無難な婚約をするものだと思っていました。
伴侶候補を迎えにきた公爵家の馬車の中、私──マゴリーノ・ウラキーモンはやれやれと嘆息します。
『おお、マゴリーノ。お前の婚約者決まったぞ』
まるで夕飯のメニューでも告げるように知らせてきたのは私のお爺様でした。なんでも縁あってルビリアン家の当主から「是非うちにあなたの孫を」と求めてこられたのだそうです。
まったく迷惑な話です。ルビリアン家も公爵家なら家格の釣り合うお嬢様を見つくろってくれればいいのに。四捨五入したら庶民のほうに吸い込まれそうな男爵家の、三つ編み眼鏡の地味な娘をわざわざ所望するなんて、本当にどんな奇特な家なのでしょう。
(ルビリアン家って確か跡取り息子が呪われてるんだったよね?)
昔ちらとだけ聞きかじった噂が頭をよぎります。そのせいで婚約するたびに相手に逃げられ、不幸なその長男は屋敷に引きこもっているとか。
別に私は何がなんでも結婚したい女ではないし、なんならむしろ生涯独身で一向に構わないくらいなのですが、なんだってお爺様はこんな面倒臭い縁談を持ち込んできたのでしょうか。結婚前から夫人教育を受けるべく相手の屋敷に住み込まなければならないような、こってり重めの婚約話を。
『心配するな、向こうの暮らしが気に入らなければ家に帰ってくればいい』
お爺様はそう言ってくれましたが、男爵家から公爵家に断りを入れるなんて簡単にはできない気しかしないのですが……。
(まあいいや。なるようになるでしょ)
せっかくなので公爵家見学ツアーだと思って現状を楽しむほかありません。私は実家の馬車とは違い、豪華な黄金装飾の施されたルビリアン家の馬車内をぐるりと眺め回しました。ふかふかソファに明るい天井、手の込んだ窓枠なんてどれだけ見ても見飽きません。
(わあ、すごい。物語に出てくる王家の馬車みたい。あれ? これは……)
そのときふとあるものが私の目に留まりました。金の窓枠に彫りつけられていたのは蝶にトンボにコガネムシ。虫の意匠を多用するのは風の精霊と縁深い家だと聞いたことがあります。
ルビリアン家はもしかして
私は少し楽しみになって鼻歌を口ずさみました。
そうして連れられた公爵家で、予想外にとんでもない呪いを目撃することになったのです──。
***
冷遇じゃん……。最初の感想はそれでした。
門前での公爵夫人への挨拶もそこそこに私が案内されたのは古めかしい別邸でした。
「マゴリーノ? 庶民臭い名前ねえ。まったくあの人ももう少しましな令嬢を連れてきてくださればいいのに……。まあいいわ。あなたは息子の婚約者としてわたくしがしっかり教育いたします。けれど結婚前から本邸に住めるだなんて思わないでね。あなたの部屋はあそこよ、あそこ」
公爵夫人オルネア・ルビリアン様は下睫毛のびっしり生えた垂れ目をすがめて顎で別邸を示します。先程は古めかしいと濁しましたが実態はそれどころではありません。スレートぶきの屋根は色褪せ、外壁には雨垂れの痕跡がくっきりと浮かんでおり、正直ちょっと汚らしいです。窓は劣化して隙間風が酷そうですし、中は雨漏りしそうでした。
「ひとまず今日は荷解きでもしておいてちょうだい。本格的な教育は明日から始めるわ」
こちらにはアリの糞ほどの興味もなさそうにオルネア夫人は去っていきます。公爵家なら付き人にメイドくらい用意してくれるんじゃないかとワクワクしていたのにそれもなく、私は別邸の前に一人でぽつんと取り残されました。
(うーん。これって呪いとか関係なく、姑の高圧的な態度のせいで女の子たちに逃げられてきただけじゃない?)
かちゃりと眼鏡を上げ直し、私は歩を踏み出しました。四捨五入すれば庶民に同化する男爵家ではたとえ令嬢であろうとも自分のことは自分でできなくてはなりません。少々ボロい住居くらいで私は動じませんでした。
考えてみればこれはこれで面白い見学コースです。お爺様には帰ってきてもいいと言われているのですし、オルネア夫人の素っ気なさにこれから一生付き合わねばならないわけではありません。不遇令嬢体験と思えば乙なものでした。
「よし、それじゃ入ってみますか」
玄関を開け、私は中へと踏み込みます。屋内は案外綺麗に清掃され、高窓から明るい光が差していました。
そのときです。私がホールの広い階段を下りてくる先客に気がついたのは。
(えっ精霊……?)
それは実に麗しい青年でした。さらさらと流れるプラチナブロンドは男性にしては珍しく肩下まで伸びていて、繊細な印象を与えます。伏し目がちな薄紫の双眸も光を帯びて輝いて宝玉が嵌め込まれているようです。すっと通った鼻筋も、細い顎も、きめ細やかな白い肌も、この世のものとは思えない神秘の美しさでした。
そんな人が絹の薄いシャツをまとって優雅に歩いてくるのですから私はただ驚きました。外観は廃屋同然のこの館にこれほどの美青年が現れようとは。
(あっ挨拶)
彼は私を前にして立ち止まり、にこやかに微笑みかけてきます。私が自分から口を開いて大丈夫なのか迷う間に手荷物も引き受けてくれました。
その直後です。私がちょっと信じがたい第一声を耳にしたのは。
「君が僕の新しい婚約者なのゲスか?」
──聞き間違い、だったのでしょうか。それとも噛んじゃったのでしょうか。精霊級の美青年はそこらの少女ならとろけそうな甘い声で私にそう尋ねました。
まさかこの美の奇跡、ラクダも驚きの長い睫毛の集合地である目の持ち主が語尾にゲスなどつけるはずがありません。これはきっと馬車に揺られて疲れた私の聴覚神経が正しい音を捉えそこなったのでしょう。
「あ、はい、多分そうです。私はマゴリーノ・ウラキーモンと申します」
動揺しつつも一礼し、私は自己紹介をします。先方がウラキーモンと聞いてもピンと来ない様子だったので私は「ええと、社交界とは縁の薄い男爵家です」と付け足しました。
美青年はふむと思案するようにほっそりした人差し指を唇に押し当てます。あたかもそれが一幅の絵画のようで私はほうと見入りました。ですがその感嘆も、彼が口を開くと同時にあえなく吹っ飛んだのでした。
「歓迎するゲス! 僕の名前はリチャルド・ルビリアン、この別邸の主であり、公爵家の跡継ぎでゲス」
やっぱりゲスって言ってるよね? 最後は「でゲス」って言ったよね?
あまりにも似つかわしくないキャラ付けに私はしばし固まりました。これがなんらかの不遇令嬢物語ならここでパタンと本を閉じ、棚に戻す読者がいてもおかしくはありません。確かに個性は大切ですが方向性を見失いすぎです。一体誰がゲスゲス喋るお相手男性に胸ときめかせると言うのでしょう。ヒロインが地味な眼鏡令嬢なら釣り合いを取るために相手役には普通スーパーダーリンを持ってくるのが定石ではないのですか?
(えっ? これつっこんでいいの?)
私は数秒悩みました。けれどこの語尾はスルーできません。せっかく透き通る美声なのに、眩しいほどの美貌なのに、ゲスはさすがに駄目でしょう。秀麗なる素材に対する冒涜です。
(いや、でも、本人が好きでゲスゲス言ってるんなら外野がどうこう言う話でもないのかな……? 語尾がゲスでもザマスでもその人の自由だし……)
更に追加で数秒迷い、私は思い切って彼に尋ねてみることにしました。
婚約者なら多少失礼な質問でもぶつけてみていいはずです。この先の展開によっては一応夫婦になる可能性もあるのですから。
「あの、リチャルド様」
「リチャルドでいいゲス」
「ええと、それじゃリチャルド、あなたのその喋り方は……?」
私が聞くとリチャルドはハッと目を見開きました。薄紫のガラス玉みたいな瞳にじわりと涙の膜が張ります。その反応にこちらが戸惑っているうちに彼は滲んだ水滴をぐいとぬぐって言いました。
「なんてことゲス……! ああ、君は男爵家で社交界への出入りが少ないから知らなかったんでゲスね。これは僕が十歳のとき受けた呪いで、何をどうしても語尾にゲスがついてしまうんでゲスよ……!」
──なんだその呪いは。想像していた種類のそれとはあまりに異なる事実を明かされ、私はまた固まりました。呪いってもっと、満月の夜だけ化け物の姿になるとか、人の心の闇が見えるとかそういうのじゃないんですか。
「ご、語尾にゲスがつく呪いですか?」
「そうでゲス。今までここに来た令嬢はみんな僕のゲス口調に哀れみと蔑みの目を向けて帰っていったゲス。予備知識なく婚約者にさせてしまうとは非常に申し訳ないでゲス」
リチャルドはそう言って不憫そうに目を伏せます。憂えるその表情は彫像のごとく美しく、私は不可解な気分でした。例えるなら華麗なる紅薔薇から異臭が漂っているような、国民全員ツインテールで日常業務をしているような、馴染みきれないちぐはぐさに脳がシェイクされるのです。この形良い唇からこぼれてくるのがなぜ下っ端の山賊のようなゲス喋りであるのかと。
(せめてもうちょっとゲス顔の似合う美形なら良かったのに……)
私はちらとリチャルドを盗み見ました。優しげな面差し、光の輪を作る金髪。何度見てもリチャルドは爽やかな好青年です。
「マゴリーノ、失望したゲス? いいんでゲスよ、正直に言ってくれて。もしも君が今すぐにでも実家に帰りたいのならそうしてくれて構わないゲス」
震えて揺れた薄紫の双眸に私はハッとなりました。しょぼい部類の呪いでも呪いは呪い、かけられた本人にはつらいものであるはずです。正直「なーんだ、それだけか」と思わなくなかったですが、逆にそれだけだからこそリチャルドは一人で苦しんできたのでしょう。語尾がゲスというだけですべてがコミカルに響きますし、深刻な話も深刻に聞いてもらいにくいでしょうから。
「その呪いって命に別状はないんです? 周囲に伝染したりとかは?」
「ないでゲス。本当にただ語尾にゲスがつくだけでゲス」
「なるほど。それくらいなら私全然平気ですよ」
「! ほ、本当ゲス!?」
私の返事に喜んでリチャルドがまた目に涙を浮かべます。彼は随分と感激屋らしく、高く両手を万歳すると妖精が踊るように玄関ホールを跳ね回りました。
(ふふ。もし縁談がまとまらなくても友達くらいにはなれるかな)
最後は天に感謝の祈りを捧げるリチャルドを見やって私はそうひとりごち、通された客室に荷物を広げたのでした。
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