番外編 マゴリーノと昆虫採集

 晴れた空! 心地良い風! ついにこの日がやって来ました。待ちに待ったルビリアン家昆虫採集ツアーです。

 いろいろあった公爵家もようやく少し落ち着いてきましたからね。これで私も心置きなく趣味を楽しめるというものです。


「マゴリーノ、準備はいいかい?」


 コンコンとドアを打つノックの後、廊下からリチャルドの声が響きます。私は「はい!」と返事してうきうきとドアを開けました。

 今日の彼の服装は昆虫採集に向いた薄い長袖、長ズボンです。手には目の粗い手袋を嵌め、山高の茶色のフェルト帽を被っています。

 私のほうも似たようないでたちでした。女性用のズボンというのは世の中にあまり流通していないので膝下丈の軽いスカートとふくらはぎを隠すブーツをチョイスしましたが、ほかはほとんどペアルックです。

 リチャルドはお揃いのチェック柄で仕立てたスカートとズボンを、彼特有のニコニコ笑顔で見つめました。ハチが寄ってこないように明るい水色を採用した長袖シャツにも満足した様子です。


「マゴリーノ、僕たち仲良し夫婦みたいで嬉しいゲス!」


 少々ご機嫌になりすぎたらしいリチャルドの口からあの語尾が飛び出します。気をつけていれば普通に喋れるそうですが、私の傍にいるときは油断していることが多いみたいです。


「リチャルドと同じ服を着ていたら私の凡庸さが目立っちゃいそうですけどね。みんなリチャルドのほうを見るから逆に目立たないのかな?」


 そんな言葉を返すと彼は「マゴリーノは世界で一番可愛いゲスが!?」と驚いた声で言いました。更に私をひょいと抱えて「ほら! ほら!」と姿見の前で回転します。私には眼鏡以外に目につく要素が何もない女のどこが可愛らしいのか今一つわかりかねましたが、見る人が見ればどこかしらチャーミングなのかもしれません。精霊王も私のことを可愛がってくれますしね。


 そんなこんなで私たちは虫籠や捕虫網、昆虫採集セットを手にして敷地内の森へと出かけていきました。

 下見はもう済んでいますし、簡単な罠も仕掛けてあります。今日はどんな虫が捕まるか本当に楽しみです。




***




 私が虫に興味を持つようになったのは幼い頃のことでした。当時の私はまだ自分以外には妖精や精霊の姿は見えないのだと理解できず、家族から想像力のたくましい子供だと思われていたのを覚えています。

 火にも水にも土の中にも精霊たちは潜んでいて、私は火傷しそうになったり、水辺で溺れそうになったり、庭土に頭を突っ込んだり、それはそれは両親を心配させたらしいです。


 ──羽の生えた人間みたいな生き物なあ、虫と見間違えたんじゃないか?


 そう言って父と母は私を家の裏手の林に連れ出してくれました。するとそこにはなんとも多くの風の精霊がいたのです。

 どうやら風霊はある種の虫が好む場所に好んで棲んでいるようでした。林は暖炉や用水路より危険の少ない遊び場なので、私はしょっちゅう入り浸るようになりました。

 妖精たちは私にそっと虫の棲家を教えてくれます。彼らにも好きな虫、嫌いな虫がいて、私に害虫駆除をさせたり美しい虫をコレクションさせてくれたりするのです。

 子供時代の私の遊び相手と言えばもっぱらシルフと虫でした。だんだん彼らの好意がエスカレートして、頻繁に面倒事を起こすようになるまでは……。


(シルフの中で一番偉いシルフィードが私の周りをうろつくようになってからやっと収まったんだよね。あの頃は大変だったなあ)


 思い出に浸りつつ私は足を進めました。公爵家の小さな森は歩きやすく道の整備がされていますが、それでも足元には注意しなければなりません。怪我などしては早々に引き返すことになりますからね。

 野外活動というものは、危険を予期し、安全に動こうとする者だけに許されているのです。敷地内の森だからと舐めてかかるのは初心者のすることです。


「本格的に始める前にもう一度注意点の確認をしましょうか」


 私は隣を歩くリチャルドに声をかけました。虫捕り罠を仕掛けた地点まではもう少しです。リチャルドには気分が上がると踊り出す癖がありますから、虫の姿に興奮する前に釘を刺しておこうという狙いでした。


「うん、マゴリーノ! 日光を浴びすぎないように帽子は脱がない、転んだとき手をつけるように両手はなるべく空けておく、こまめに水分補給して、草や枝で傷を作らないように袖を捲らない、だったね!」

「そうです。応急セットを持っていますから怪我したときはすぐ言うんですよ。虫も植物も触っただけでかぶれるものがありますからね」

「それとマゴリーノの黒髪はハチに狙われやすいんだよね? 僕が守ってあげるからね!」

「いや、そっちはシルフィードがやってくれるので平気ですよ」


 大事なことは頭に入っているようで、私はひとまずほっとしました。

 話す間に森がやや深まります。どうやら一つめのポイントに着いたようです。


「わあ……! かかってるゲスよ……!」


 クヌギの枝からぶら下げた小袋を指差してリチャルドが目を輝かせました。私の仕掛けた南国果実トラップです。

 これは定番の罠の一つで準備も簡単なものでした。作り方は熟したバナナを薄手のタイツの奥に入れ、後は木に引っ掛けておくだけ。もっと樹液に近い蜜を作りたければバナナを潰し、酒と砂糖を混ぜ合わせて瓶内で発酵させます。

 このトラップではクワガタやカブトムシを捕まえることができるのですが、ムカデやアブやスズメバチも寄ってくるので気をつけなければいけません。私はふよふよ浮きながらついてきていたシルフィードに視線を送り、彼の風術で危険な虫を追っ払ってもらいました。


「すごいゲス!! 大物がいっぱいゲス!!」


 リチャルドはさっそく大はしゃぎです。私は微笑み、虫籠を開きました。

 虫籠はガラスの箱に藁で編んだ蓋をつけたよくあるものです。中には枯葉や乾いた枝がふんわりと重ねてあります。

 土を仕込むと潜り込んだ虫が死んでしまう場合があるので入れません。また空箱に虫を入れると盛んに動いて早く弱るのでこれも避けます。

 捕まえた昆虫のうち一番良いものを選んで私たちはほかの虫を放しました。そして罠を片付けて、次のポイントへ移りました。




 ***




 昆虫採集は楽しいです。虫の生態、大きさ、速さ、それらに合わせて罠を整え、道具を揃えて挑みます。

 私の仕掛けた第二の罠は小さな落とし穴でした。土を掘り、地面の高さに合うように十~十五個のコップを埋めて、飛ばずに歩き回るタイプの虫を捕らえるのです。


「マゴリーノ、何か綺麗な虫が入っているゲスよ……‼」


 ここでもリチャルドは大興奮です。ですが私も成果におっと目を瞠りました。歩く宝石と言われるオオルリオサムシがコップの底で蜜を吸っていたからです。


「これは大戦果ですよ。さすが風霊を祀る家です。素敵な虫の宝庫ですね」


 私が褒めるとリチャルドは嬉しげに胸を張りました。


「マゴリーノが喜んでくれる家で良かったゲス。嬉しいゲス……‼」


 口癖、さっきから引っ込む様子がありませんね。でもまあ彼が良い気分でいるとわかるのは私にも嬉しいことです。


 私たちはその後も森をぐるぐると回りました。大きな石を引っ繰り返し、木のうろを覗き込み、草むらでは捕虫網を振るいました。

 捕虫網の使い方は様々です。草を薙ぎ倒すように振れば葉っぱについた虫が掬いとれますし、網を構えて木の枝を棒で叩けば樹上性の虫が落ちてくるのを拾えます。チョウなどの飛び回る虫は網を上からそっと被せるのがいいでしょう。羽を傷つけないように目の細かい網を使うのがポイントです。


 私たちは夢中になって森での午後を過ごしました。おやつにしたクッキーも美味しくて大満足の一日です。

 特に喜ばしかったのは是非とも早く見つけたいと思っていたシルフィードバタフライが初回で捕まえられたことでした。風霊を祀る家ならいるとは思っていましたが、実際に目にできるとは本当に幸運です。




「たくさん捕まえられましたねえ」

「マゴリーノのおかげゲス! マゴリーノはすごいゲス!」

「ふふふ。そろそろお屋敷に着きますから、語尾を整えたほうがいいですよ」


 夕暮れ、日が沈む前に私たちは本邸へと戻りました。肩からたくさんの虫籠を下げ、汗と土で服を汚して。貴族にはあるまじき姿かもしれませんが、二人とも笑顔いっぱいです。


「──あ」


 そのときでした。リチャルドが園庭にオルネア夫人を見つけたのは。

 夫人は呪いにかかって以来塞ぎ込み、誰にも会わずに自室にいることが多くなったのですが、ルビリアン公に説得されて一日に一度は健康のための散歩をしているのです。

 こちらの存在に気づいたのか、オルネア夫人は気まずそうに踵を返して庭の奥へと去ろうと歩を早めました。


「母上!」


 呼び止めたのはリチャルドです。彼はその長い足で瞬く間に夫人との距離を詰め、三角形のチョウ類専用ケースを手に取りました。(チョウやトンボって普通の虫籠に入れると暴れて羽を傷めやすいんですよね)


「あの、ここに入っているチョウはシルフィードバタフライと言ってシルフには大切なチョウらしいです。大昔、何代も前の精霊王が力を使い果たして森で迷ったとき、道案内役になってくれたとか。それで、マゴリーノが言うにはこのチョウに母上の庭の花の蜜をやって繁殖させれば妖精が早く呪いを解いてくれるんじゃないかって」


 オルネア夫人は面食らった後、まじまじとこちらを見つめ返しました。自分は憎まれても仕方ないことをしたのになぜ、と動揺する顔です。

 澄ました顔のメイドがちらり、オルネア夫人を覗きます。この人は私の食事に砂を混ぜた人ですが、虫も妖精も恐れずに罠の設置を手伝ってくれた唯一の人なので私は結構気に入っています。異常なまでに職務に忠実なメイドは頼んだ通り私たちの帰宅に合わせて夫人を外へ連れ出してくれたようです。


「母上、どうぞこれを……」


 リチャルドは押しつけるように、けれどそろりとシルフィードバタフライの入った三角ケースを渡しました。夫人は無言で、顔をしかめてただケースを見やります。


「…………」


 何十秒が過ぎたでしょう。やがて夫人は黙るのをやめ、三角ケースを受け取りました。そして小さな、とても小さな声でリチャルドに問いかけました。


「……このチョウはどう飼えばいいのゲス?」

「! あ、普通に、ただ庭に放してやれば……!」


 返答を聞くとオルネア夫人はくるりと背中を向けました。そのままメイドと庭へ去りそうに見えましたが、一瞬だけ夫人がその場に足を止めます。


「二人とも、ありがとうゲス……」


 蚊の鳴くような声で告げ、オルネア夫人は彼女の管理する園庭に引き返していきました。リチャルドはその後ろ姿をじっと見送っていました。


「行きましょうか。早くお風呂に入らなきゃ」


 私はリチャルドの手を握ります。本邸に帰って荷物を下ろすまでが昆虫採集ではありますが、もう足を取られそうな木の根もないし片腕が塞がっていても構わないでしょう。


「マゴリーノ、僕なら全然平気だよ。母上もああして話してくださったし」

「でもいくらやり直すって決めたとしても、揉めていた相手に気を遣うのって疲れますよね? 森に連れていってくれたお礼も兼ねて今日は少し甘やかしてあげますよ。お湯に浸かったらその後お茶でもどうですか?」

「マ、マゴリーノ……!」


 感激屋のリチャルドは私のささやかな言葉で胸を震わせてしまったようです。流星のごとき涙を垂らして「こんなに優しい貴族女性がいるなんて僕は考えもしなかったゲス!! 僕はマゴリーノの婚約者で心から幸せゲス……!!」などと熱弁を始めるので私は彼を家に入れるのに苦心することになりました。


「マゴリーノ、大好きでゲス!」

「はいはい、何回も聞きましたよ」

「僕もマゴリーノに婚約して良かったと思ってもらえるように頑張るゲス!」

「ありがとうございます。でも頑張りすぎないでくださいね」


 本当はもうかなり婚約して良かったなと思ってはいるのですが、今伝えるとリチャルドはくるくる回って虫籠を台無しにしそうなので黙っておきます。

 私もね、あんなにキラキラした笑顔で虫捕りに付き合ってくれる貴族男性がいるとは考えもしなかったですよ。




 私たちはそれぞれ温かな湯船で疲れと汚れを洗い流すと夜が更けるまで二人お茶会を楽しみました。

 もうそろそろいいかなと婚約についての所感を述べたとき、彼がどんな顔をしたかは想像にお任せします。

 もちろんお茶会が一時的に舞踏会に転じたのは言うまでもありませんけどね。




 リチャルドとはこの後も様々な難事を乗り越えていくことになりますが、それはまた別のお話。



                      マゴリーノと昆虫採集(完)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

公爵家の呪われしワケあり息子と婚約しました 湖原けっき @umiharakekki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ