第7話 マゴリーノと幸福な結末
「父上、母上、マテオ、みんな! 僕の語尾が直りました!」
本邸に駆け込むなりリチャルドが放ったひと言にお屋敷は騒然となりました。一家だけでなくあちこちから使用人まで集まって「本当だわ!」「普通に話していらっしゃる!」と驚きの声が上がります。
「おお、おお、リチャルド! お前に何が起きたんだね? めでたいことだ! 存分にお祝いしなくては!」
息子と抱き合って公爵はくるくると回りました。マテオも突然すぎる奇跡に歓喜の涙を浮かべています。
「兄上! 本当に兄上なのですね!? ついに呪いが解けたんですね!?」
「そうだとも! マテオ、お前ももうガスガス言わなくていいでガス!」
「ちょっと! 普通に喋ってください!」
玄関ホールに朗らかな笑い声が響きます。良かった良かったとみんなが彼を囲みました。
「マゴリーノのおかげです。彼女が例の妖精と交渉してくれたんですよ!」
リチャルドは二人で森に出かけたこと、私がヴィーに解呪を訴え出たことを明かします。詳細が省かれたのは「私が精霊を連れていることは内緒にしてね」と頼んでおいたからでした。ただでさえ手に余る力なのに当てにされたくありませんので。
「マゴリーノさん、本当ですか!?」
「ありがとう! ありがとう! 君はルビリアン家の恩人だ!」
マテオと公爵が私の前に跪きます。「たいしたことはしてませんよ!」と私は頭を振りました。私はそう、悪魔に橋を架けさせただけなのです。
最初に橋を渡った者の魂を貰う──そういう条件で悪魔を雇い、断崖に橋を建設する逸話は物語でもよく見るものです。悪魔はもちろん人間の魂を求めていますが人間が最初に橋を渡らせるのは犬猫などの動物なのです。騙されたとわかっても悪魔にはどうしようもありません。私がヴィーにしたこともこれとほとんど同じでした。
呪いは解かなくていい。代わりにここに封じてほしい。最初にこの袋を開けた人間が次に呪いを受けるように。
そう言って私が差し出した菓子袋にヴィーはゲスの呪いを移してくれました。しょうもない呪いですので彼も飽きてはいたのでしょう。呪う対象を変えるという遊び要素を目新しく感じてくれたようでした。
結局彼はまだ幼く移り気な妖精なのです。十年前の怒りより目の前の興味が勝ってしまうのです。
私たちはサーカスから猿でも買ってクッキー袋を開けさせるつもりでした。いいえ、それすらも必要ないかもしれません。なんと言ってもルビリアン家には一族の者しか開けぬ魔法の金庫があるのですから。
「おお、ここにゲスの呪いが封じ込められているのか……!」
公爵は私が渡したガラスの箱を持ち上げて唯一中に収納されたクッキー袋を見つめました。一見なんの変哲もないお菓子の空袋ですが、口を縛ったリボンを解けばたちまち呪いが降りかかります。
「父上、箱は開けないでくださいね」
「もちろんだ。わかっているよ」
そのときです。ぱたぱたと上階から人の下りてくる気配がしたのは。
上質なドレスを翻し、現れたのは強張った表情のオルネア夫人でした。誰かが呼んできてくれたのでしょう。使用人らが左右に避けると夫人はリチャルドと相対しました。
「母上! 僕は僕の言葉を取り戻しました! 祝福してくださいますか?」
「あ、も、もちろんです。ああ、本当にまともに喋れるようになったのね……。お、おめでとうリチャルド」
「……! ありがとうございます、母上!」
どこかぎこちない様子なのは十年間で生まれた距離のせいでしょうか。何はともあれこれでもうリチャルドが跡継ぎの座を追われることはないはずです。
「厳密には呪いは消滅したわけではありません。この袋に封じられているだけです。もし袋が開かれることがあれば呪いは復活してしまうでしょう」
だから気をつけてくださいねと、遅れてやってきた夫人にリチャルドが再度説明します。先程よりも話は省略気味でしたが危険性は十分伝わる内容でした。
「わかりました。袋を開いてはいけないのですね。この袋を開いては……」
このとき私は問題のすべてが片付いたと思い、少々油断していたのでしょう。まさかこの後あんなことになるとは考えもしていなかったのです。
***
──その夜。寝静まったルビリアン公爵家の廊下には足音を忍ばせ歩く影があった。
彼女は迷いなく屋敷の奥へと進んでいく。「なんなのよ、今更呪いが解けるだなんて」と小さく呪詛を吐きながら。
彼女は長男を憎んでいた。最初は我が子を哀れに思い、死に至る呪いでなくて良かったと安堵したはずなのに、友人夫婦やその子供らの嘲笑を受けるたびに「この子のせいでわたくしまで恥をかく」と苛立つようになっていた。
この数年は顔を見るだけで腹立たしく、次男が別邸へ行くたびに𠮟りつけていたほどだ。彼女は呪われた長男を嫌い、呪われていない次男を愛した。彼女を慕っているか否かは関係なかった。呪われていないことが重要だった。
ああ、もう少しであの憎いリチャルドを排斥できたはずなのに。
オルネア夫人はぶつぶつと呟きながら魔法の金庫のもとへと向かう。
嫌って、嫌って、忌み嫌って、その憎しみはすっかり凝り固まっていた。呪いが解けたからと言って後継者の座を渡すのは我慢ならないと思うほどに。
オルネア夫人は閉ざされた部屋の鍵を開けた。
鍵を開けて、目的のガラス箱を見つけ出し、そっとその蓋を開いた。
すると彼女は真っ黒な霧に包まれた。
***
ゲスーーーーーーッ!
夜中に響いた絶叫に私たちは飛び起きました。次期当主に相応しいノーゲス言語を獲得して本邸に凱旋したリチャルドも、ついでに客室を移してもらった私も今夜はぐっすり眠れると思ったのに。
(今の声なに!?)
手早く部屋着に着替えると私は騒ぎの現場へと急ぎました。
貴重品の保管室らしき部屋の前、絨毯に伏して泣いていたのはオルネア夫人。傍らにはあのガラスの箱が開いた状態で転がっています。夫人をぐるりと囲むように数名の使用人、寝間着姿のルビリアン公爵、リチャルド、マテオも立っていました。
「違うのゲス、わたくしはただマテオに後を継いでほしいと……」
ええっと私は驚きました。まさかこの人、あの袋を開けてしまったんでしょうか。
「……はあ。オルネアからは私が話を聞いておく。お前たちは食堂ででも休んでいなさい」
疲れた顔で公爵は夫人を支え起こしました。使用人たちも主人の後に従って屋敷の奥へと消えていきます。
「…………」
私たちは呆然と食堂まで移動し、呆然と温かいお茶を淹れ、呆然とそれを啜りました。リチャルドにどう声をかければいいか全然わかりませんでした。
万事上手く行ったとばかり思っていたのに。母親がすべて台無しにしようとするなんて彼はどんなに傷ついたことでしょう。確かにこの十年の間に愛情の増減はあったとは思いますけれど。
「……母上が誤解するような言い方で説明したのはわざとなんだ」
不意にリチャルドがテーブルの隅でこぼしました。か細く震えた声にどきりと胸がざわめきます。隣のマテオも息を飲み、兄の懺悔に聞き入りました。
「あの人に、もう一度僕を家族として認めるつもりがあるのかを知りたかった。でも……っ」
やりすぎだったかな、との声が一粒の涙とともにティーカップに落ちていきます。ぽちゃんと跳ねた滴を見て立ち上がったのはマテオでした。
「やりすぎなんてことないよ! あの人が今まで兄上に何をしてきたか覚えてないわけじゃないだろ!? 兄上が別邸に出ていくように仕向けたり、贈り物も気持ち悪いって全部捨てて……! 僕はちょっといい気味だって思ったよ! ねえマゴリーノさん!?」
「えっ」
突然話を振られたら人は戸惑ってしまいます。私は「うーん、そうですねえ」と思考をまとめて返答しました。
「やりすぎとは思いませんよ。自分の身に同じ災いが降りかからないと他人の気持ちが理解できないタイプの人間はいますしね。寿命が縮むわけでもないし、奥様にとっていい経験になるんじゃないかと思います」
「だ、だけど……」
「だけどじゃない! 兄上は悪くないです!」
双方から諭されても善良なリチャルドはまだ後ろめたいようです。まあ彼も長いこと呪いに苦しんだわけですから、夫人の今後が想像できすぎてしまうのでしょう。
「大丈夫ですって。妖精って少しずつ善性を得て精霊に成長するんです。十年もすればあのヴィーって子も話せる相手になっているかと思います。そうしたら私がまた呪いを解いてほしいってお願いに行きますから」
同じ年月呪いを受けるならおあいこですよ。そう微笑むとリチャルドはなぜか顔面を真っ赤に染めて恥じらいました。私何か変なことを言ったでしょうか。マテオに解説を求めるも、彼も無言で大いに色めき立っています。
「マゴリーノ、それはもしかして十年後もルビリアン家にいてくれるってことなのかい……!?」
あ、そういう意味に取られましたか。なるほどね。確かにこれは求婚をお受けします的な台詞になりますね。
「えーと……」
どう返したものか迷い、私は視線を泳がせました。最終的には断る予定でいたのですが、リチャルドに婚約者としての減点要素はありません。懸念事項だったオルネア夫人も今後はおそらく大人しくなるでしょう。私が見える人だというのもリチャルドは受け入れてくれましたし、結婚の阻害要因は本当にまったくありませんでした。
「そうですねえ、それじゃあリチャルドさえ良ければ」
「ゲースゲス! すごくいいゲス! 本当に嬉しいでゲス!」
「兄上! 癖になってる! 直して直して!」
リチャルドは今までにない晴れやかな笑顔を見せてくれました。苦言しつつもマテオも満面の笑みです。
こうして私とリチャルドはめでたく夫婦になりました。
今も時々二人でいると彼のゲス口調が顔を出すことがあります。
そんなとき私は出会った当初の彼を思い出し、懐かしい気持ちになるのゲス。
公爵家の呪われしワケあり息子と婚約しました(完)
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます