第5話 マゴリーノと魔法の金庫

「あれっ? マゴリーノ、今日も早かったんゲスね!」


 私が別邸に戻ってすぐリチャルドも帰ってきました。今日のこと、彼に相談をしておくべきかと思えますがどう説明すべきかわからず私は返事を濁します。

 しかしリチャルドにはまだ真顔眼鏡の私の表情を読み取ることは難しかったようでした。彼は朗らかな笑みを浮かべて「食堂まで来てほしいゲス!」と私に手招きをしました。


「マゴリーノにお土産があるのゲス! きっと喜ぶと思うゲス!」


 街まで出ていたわけでもないのにお土産とは一体どういうことでしょう? ひとまず私は先に彼の話を聞くことにしました。


「ゲースゲス! これを見るゲス! なんとこのガラスの箱はルビリアン家に代々伝わる魔法の金庫なのでゲス!」


 リチャルドはそう言うと食卓に置いた、標本ケースにできそうな透明平箱を示します。魔導具ということは相当古いもののはずです。けれど魔法のかかったそれはピカピカして新品のようでした。


「これって本物の魔導具なんです?」

「そうでゲス! マゴリーノ、箱が欲しいと言っていたゲス? これなら中が見えるから昆虫を並べても鉱物を並べても綺麗だと思ったゲス!」

「えっ」


 もしかしてそれだけのために家宝を引っ張り出してきてくれたのでしょうか。だとしたらいい人すぎて驚きです。知り合って間もない小娘に貴重な品を贈るなど、変な壺やら買わされないかも心配でした。


「本当は婚姻契約書なんかを収めておく箱なんゲスが、それは僕の金庫で保管すればいいゲスから、こっちはマゴリーノの好きに使うゲス」


 聞けばこの魔法の金庫はほかにもう一つ同じものがあるらしく、次期当主とその妻に受け継がれてきたそうです。箱の認識するルビリアン一族の人間しか開けられず、台座に固定すれば盗難の心配もないとのことで、私は「なるほど」と頷きました。


「結婚すると貰えるものを早めに持ってきてくれたんですね。一瞬構えちゃいましたよ。金銭感覚どうなっているんだろうって」

「僕だってなんでもかんでもプレゼントにはしないゲス! これはマゴリーノだから渡すゲス!」


 母親への贈り物のしすぎでボロ屋敷に住んでいる人が何かわめいています。私はこちらを窺うように見つめてくるリチャルドに返しました。


「ふふ、素敵なプレゼント嬉しいです。虫かごとかにもなりそうだなあ」


 ありがとう、と感謝を示せばリチャルドは白磁の頬をぽっと染めます。


「マゴリーノみたいな女性は初めてゲス」

「私みたい? それってどんな女性のことです?」

「僕がゲスゲス言っていても平坦に受け止めてくれる、懐の深い女性ゲス」

「そうですか? 初めは結構びっくりしていたと思いますけど」

「全然平然としていたゲス! 眼鏡だって1ミリもずれなかったゲス!」

「うーん、まあ普通の人よりは妙なトラブルに慣れているからかもしれませんねえ」


 あ、そうだと私はリチャルドに向き直りました。彼の母オルネア夫人のこと、やはり早めに相談しておかなければと思ったのです。


「あの、ちょっと今から重い話するんですけどいいですか?」


 切り出し方には迷いましたが私はなるべく順を追ってオルネア夫人にされた諸々を打ち明けました。初日のやや失礼な発言、無為な過酷さに満ちたレッスン、そしてメイドを使った謀略──。


 リチャルドが信じてくれるかどうかはわかりませんでした。母親を愛する彼には妄言だと否定されるかもしれません。しかしこの問題を放置するとゲスの呪いどころではない災いを呼び込んでしまいかねないのです。


「奥様が私につらく当たる理由ってわかります? できたらこう、厭味を言うくらいにしてもらって、物理的なのはやめてもらいたいんですけど……」

「は、母上が……?」


 私が尋ねるとリチャルドは深く黙り込みました。ゲスゲス喋らず真剣な顔をしていれば彼はやはり目に眩しい青年です。


「心当たりはあるでゲス……」


 瞼を伏せて呟いたリチャルドの表情は苦しげでした。思わずその手を握ってあげたくなるほどに。


「何度も婚約を破棄されて、僕は母上に言われたゲス。男爵家の令嬢にも愛想を尽かされるようなら後継者の座は弟に譲って完全に隠居しろと。母上は、僕よりマテオに後を継がせたいのゲス。当主になって社交界に顔を出せば確実に僕は笑い者にされるゲスから。それはルビリアン家全体が馬鹿にされるということなのゲス」


 え、と私は目をみはりました。ということは、私が結婚を断ればリチャルドは公爵家を継げないということではないですか。

 それなのに彼は「失望したなら帰っていいゲス」と男爵家の娘などを気遣ってくれたのでしょうか。私の人生を大切にしろと。


「すまないでゲス。マゴリーノが大変なときに僕は一人ではしゃいでいたゲス。気づかなくって申し訳ないゲス」

「いえ、そこは別にいいんですけど」


 こんなときまでこちらに配慮を見せる彼がただただ不憫で私は溜め息をつきました。自分の母にこうも邪険にされていると知って彼は今どんな気持ちなのでしょう。私に何か力になれることがあればいいのですが。


「マゴリーノは帰ったほうがいいかもゲス。僕の呪いが続く限り、母上はきっとマゴリーノが出ていくように仕向けるでゲス」


 悲しそうな微笑みに私はなんとも言えなくなります。見ていられずに視線を移すとテーブルで魔法のガラス箱が光りました。思いやりのこもった彼からのプレゼントが。


「……あの、話したくなければいいんですが、あなたの呪いって誰にどんな風にかけられたものなんですか?」


 これはまだ会ったばかりの人だしなと遠慮して避けていた問いでした。

 呪いの根源にあるものは怒りや憎悪、負の感情です。十歳にしてそんなものを向けられたリチャルドはさぞや怖い思いをさせられたことでしょう。


「僕の呪いが誰にどんな風にかけられたものかゲスか? これは敷地の東の森でマテオと遊んでいたときに妖精にかけられたのでゲス」

「えっ!? 相手人間じゃなかったんですか!?」


 驚いて尋ね返すとリチャルドは「ゲス」と頷きました。国内有数の貴族であるルビリアン公爵家、その跡取り息子が呪われたなら術者は絶対に敵対貴族家のお抱え魔導師か何かだと思ったのに。


「あの日僕は十歳の誕生日を迎え、父上から当主の指輪を預かり、それを着けたままマテオと森へ出かけたゲス。泉のほとりで追いかけっこしようという話になって、僕は転んで指輪を失くしたり傷つけたりしないか不安になって、近くにあった石像の薬指に当主の指輪を嵌めたゲス」

「そうしたら石像を縄張りにしていた妖精の怒りを買った……!?」

「そうでゲス。マゴリーノ、よくわかったゲスね」

「妖精はそういう他人には読みにくいパーソナルスペースを持ってますからね。リチャルドは『私の石像に何をするんだ!』と呪いをかけられたわけですね」


 そうか、なるほど。お爺様がどうして私に「気に入らなければ帰っていいから公爵家に行っておいで」と言ったのかわかったような気がします。人間ではなく妖精が術者ならに説得できるかもしれません。

 だったら初めからそう言ってくれればいいのに。いや、聞いていたら面倒そうだと警戒してそもそも公爵家へは来なかったかもしれませんが。


「その妖精、今も泉にいるんですね?」

「ああ、みんな僕みたいになりたくないから足を踏み入れないようにしているゲス。最低限の手入れはされているゲスが」

「案内してもらえませんか? もしかしたら知人の知人かもしれません。話ができると思います」


 えっとリチャルドが目を丸くします。私は手早くおやつと水筒の準備をして肩の家蜘蛛を確認しました。


「話ができるってなんでゲス? 知人って誰でゲス?」

「詳しくは歩きながらで!」


 私たちは足早に別邸を後にします。公爵家の敷地はだだっ広いのです。夕飯を食いはぐれないためにはキビキビ動かねばなりません。


「危ないゲスよ、マゴリーノ! 妖精と話そうなんて無茶でゲス!」

「心配しないでください! もっと強いの連れていくので!」


 庭園を突っ切って私たちは東の森へ急ぎました。

 ゲスの呪いなどかけたゲス妖精の棲む泉へと。

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