八号車

藤野 悠人

八号車

 その日、私はちょっとした用事で外出し、電車に乗って自宅へと帰っている途中だった。長時間の移動だったこともあり、気付けば居眠りをしてしまっていた。


 居眠りから覚めると、窓の外は真っ暗になっていた。点々と灯る明かりが、流星群のようにいくつも通り過ぎていく。まずい、乗り過ごしたか、と思ったが、目的地がこの路線の終点だったことを思い出し、胸を撫で下ろした。


 ふと車窓を見ると、何かの広告ポスターが映っていた。長方形に切り取られた目元のアップの写真が、黒い窓に反射している。それが、まるで『こちら側』を覗き込む幽霊の顔のように見えて、なんとも言えず不気味だった。ガラス一枚をへだてた『向こう側』の住人……。


 小説のネタになるだろうか、と考え、私はその風景を心の中に書き留めた。


 そうしている間にも、電車は恐ろしい速度で進んでいく。線路のぎ目を越える度に、車内が荒っぽいゆりかごのように揺れた。金切り声を上げる風の中を突っ切って、腹の中に我々を収めた電車は、まっすぐに進んでいく。


 この車両には、それなりに人が乗っていた。立っている者はおらず、全員が座っている。


 ふと私は、言いようもなく不思議な気持ちになり、一時いっときの連れ合いとなった乗客たちを眺めた。皆、疲れたような、それでいて神妙な面持ちを浮かべていた。いくつにも連なった鉄とガラスの箱の中に、てんでばらばらな我々が乗り合わせている。似通った姿形すがたかたちで、思い思いの服を着て、めいめい大きさの違う荷物を持ち寄って、それでいて、ここに来るまで会うはずのなかった我々が、同じ車両に乗り合わせ、運ばれていた。


 その事実に、私は言いようもなく不思議な心地になり、また同時に恐怖した。それは、ある想像を、私に湧き上がらせた。


 ――もしも、いま事故が起きて、この電車が脱線なんてしたら。


 そうなれば、我々は皆一緒に、間違いなく死ぬだろう。偶然、同じ電車に乗り合わせただけの、赤の他人同士の我々が、あの世までの道連れとなるのだろう。それは実に恐ろしく、またなんとも奇妙な連帯感を私に抱かせた。いまこの瞬間だけ、我々は頼りない縁で結ばれた仲間のように思われた。


 電車は、終点まで無事に辿り着いた。到着すれば、さっきまで同じ箱の中で、一蓮托生いちれんたくしょうの仲間だった我々は、全く別々の赤の他人に戻った。


 少し遅れてプラットホームに出る。埃臭ほこりくさい風が吹いた。さっきまで乗客だった人々は、めいめいの荷物を持って改札へ向かう。駅員が走り、ひび割れたアナウンスが響いた。


 電車は行ってしまった。私は、葬列そうれつを思わせる人々の最後尾に、少し遅れてついて行った。

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八号車 藤野 悠人 @sugar_san010

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