じょうずな抹茶パフェとのつきあいかた(2518字)

 「濃厚抹茶パフェ」なる普段ならまず選ばないだろうデザートを注文したのは、あるいは慣れない研修の講師の仕事で脳が疲弊していたからかもしれない。ともかく手っ取り早くとれる糖を、とにもかくにもできるだけずっしりこってり甘そうなものを、という思いが働いた。そういうことでぼくとても異存はない。

 歳をとることは坂をのぼることにしばしばなぞらえられるけれども、個人的には「のぼる」というよりは「くだる」、「くだる」よりは「すべりおちる」というほうがしっくりくる。すべりおちないように必死でさっきまでいた地点に向かってダッシュを試みてみても、「年波」というやつは思いのほかに荒波で、いともたやすく足をすくわれて、かえって転げ落ちてしまうのが落ちだ。いつまでも平社員でいたいというぼくの思惑とは裏腹に、40歳の誕生日を前についに係長への昇格が決まり、いよいよ本格的におじさんか、と苦笑するまもなく、今回の講師の話がやってきた。とりわけここ1週間は、「寸暇を惜しむ」という言葉にふさわしく準備に追われ、ようやくそれが、1時間前に片がついた。おしぼりのパッケージを開けて顔を拭き、ネクタイをゆるめ、だらしなくファミレスのソファにもたれかかる。そんな自分を見下ろすように、ぼくは口角を歪めると、

 ――そんないいもんじゃないんだよ。

 そう口にした。そうして、その言葉が、「誰にともなく」ではなく、「特定の誰か」にどうしても向かっていることに気づいて苦笑する。ああ、そうさ。ぼくは天井を仰ぐと「きみ」に向かって自虐する。おじさんっていうのは、こういういきものなんだよ。どこでも、誰にもはばかることなくこんなふうに液状化して、靴下は日ごとに臭くなる。この革靴だって、何度小便をひっかけたかわからない。何も変わったつもりはないのに、若い頃よりもベルト穴がひとついつしか手前になった。だから、「きみ」みたいに若い子の時間を、ぼくとはもう世代が1つ2つ違ってくるだろう「きみ」みたいな若い子の金木犀の香りのようにささやかで愛すべき時間を、可惜あたらうばっていいはずがない。

 老いらくの恋。いや、さすがにそれは言い過ぎかも――と考えているうちに、

 ――失礼します。こちら濃厚抹茶パフェになります。ご注文以上でよろしかったでしょうか?

 ――ああ、はい。

 目の前に抹茶パフェが置かれ、さらにもう1つ喉の奥から苦笑が沸き上がる。「きみ」は知らないだろう。ぼくが若い頃甘いものに目がなかったことなんて。けれどもいまは、パフェのあのガラス容器を見るだけで胸やけがするほどなんだ。ましてや、黒蜜がしっとりとからまるクリームや、皮のやわらかさを感じないほどに砂糖水に浸かっていただろうさくらんぼ、ぎゅっとひとつところに寄せ集められたあんこや、スプーンからこぼれおちそうなほどにぷるぷるなのにそれでいてずっしりと重たい白玉、何より、煎茶よりもさらに濃くありながら若葉のように瑞々しい香を立てる抹茶アイスクリームがつまったしろものなんか、食べおおせられるはずがない。

 ぼくはパフェスプーンを手に取り、そして1度それをパフェ容器の載った皿の上に戻した。お冷やを口に含み、眼鏡を1度外す。それでもわかる。たとえ食べおおせられるはずのないものでも、間違いなく自分の食欲がそそられているのを。それでも、人間はパフェとは違う。好きなところだけ食い散らかして、それでおしまい、というわけにはいかないのだ。

 ぼくは眼鏡をそっと脇に寄せる。マスクを外してスーツのポケットにしまうと、パフェスプーンを手に取る。それでももし、もしもこれを食べきることができたのなら、「きみ」の望むように、「きみ」と交際してみてもいいだろうか――。

 パフェスプーンを、ぼくはゆっくりと黒蜜のかかったクリームに差し込む。クリームの山が崩れかかり、けれども崩れ落ちるその前に、自身の粘性で、崩れかかった形のままでかたまる。ぼくはごくりと唾を呑むと、スプーンを引き抜き、それを口に運ぼうとする。と、なにものかにふいに手を摑まれ、そのままスプーンごと持って行かれた。

 ――んまいっすね。

 聞き覚えのある声に、ぼくはそちらを見て一瞬絶句する。けれども、すぐに気を取り直し、

 ――……矢崎くん! え、きみ、なんでここに。

 ――お迎えにあがりました。係長にぞっこんなんで、おれ。

 ――ぞっ、ぞっこん!?

 ぼくは再び絶句する。「きみ」の若者とは思えない、言葉選びの古さに絶句する。

 ――それより係長、これ半分もらっていいっすか。どうせ「おいしそうだなー、でも全部食べれないなーっ」て思ってたんでしょ。

 ぼくの絶句を無言の肯定ととったのか、「きみ」はさっさとドリンクバーコーナーからコーヒーの受け皿とティースプーンを持ってくると、クリームを半分に分け自分の皿に持っていく。黒蜜のかかったクリームを口にはこぶきみを見ながら、ぼくはパフェのあの細長いスプーンをさっきからずっと握ったままで、きみに摑まれた手の生ぬるさをいかんともできずにいる。

 どうせずっとぼくのこと見てたんだろう? そうして、ここぞというタイミングで飛び出してきて、ぼくの手を摑んで自分の口にパフェを運んだんだろう? ぼくの中で「きみ」への幻想が音も立てずに崩れていくのを感じる。幻想。あるいは若さとはこういうものだという偏見。きみの向こう見ずさは若さゆえのものかもしれない。けれども、それでいてきみはぼくよりもずっと老獪だ。

 ――係長、はやく食べないと溶けますよ。

 ――ああ、うん。

 ぼくは返事をすると、クリームを掬う。なんとなく、きみが持っていったクリームのほうが、ぼくのパフェに残ったクリームより多い気がして、ぼくは大声で笑いをあげたくなるのをこらえながら、クリームを口に含んだ。ああ、この若さによく似たしぶとい甘さ! しばらく舌のうえでそれを味わってから、ぼくは、自分の中にあるいろいろな気持ちといっしょに、ひとまずそれを胃の中へと流し込んだ。そうして、「じょうずに」ではなく、「きちんと」きみとこれから付き合っていく方法を、まじめに考えようと思う。


※友人のSさんより「研修」「抹茶パフェ」というお題を頂戴し執筆した作品になります。

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