まちあわせ

柿月籠野(カキヅキコモノ)

まちあわせ

 彼女は、駅にいた。

 近代的、とまでは言えないものの、自動改札が二十台ほどある、大きな駅だ。

 彼女は、改札前のまるい柱に寄り掛かるようにして、立っていた。

 比較的さかえた地域のようで、二十台の自動改札を、ひっきりなしに人が出入りして――いな、出てくる者はいない。全員、駅へ入ってくると、切符やカードを取り出して改札を通り、何故なぜか一つしかないホームへと続く階段を下りていく。

 彼女はそれを、ただ眺めていた。

 その時、彼女のかばんの中で、携帯電話が鳴る。

 彼女は特段とくだん急ぐ様子ではないにせよ、とどこおりのない動きで携帯電話を取り出し、電話に出る。

「はい、もしもし」

『ごめーん! どーーーーーーしても仕事終わらなくって! 遅くなっちゃうから、明日でもいい!?』

 電話の相手は気心知きごころれた仲なのだろうか、名乗りもせずに、一方的に用件を伝える。

「あぁ、そうなんだ。お疲れ様。うん、もちろん明日でいいよ」

 彼女は怒った風もなく、うなずいている。

『ほんっとにごめん! 明日、また駅で!』

「うん、明日、駅でね」

 彼女は電話を切り、駅をあとにした。

 翌日。

 彼女はまた、駅の改札前に立っていた。

 背中には、昨日と同じ円い柱。そして昨日と同じように、彼女の目の前を、同じ方向を目指す人たちが次々に通り過ぎていく――。

 そこへ、電話が鳴る。

 彼女はまた、急いだ様子もなく、電話を取る。

「はい、もしもし」

『ごめーん!』

 相手は、昨日と同じ人物のようだ。

『どっかで事故があったみたいで、車うごかなくて! もう、ほんっとに申し訳ないんだけど、また遅くなっちゃうからさ、明日でもいい!? また駅で!』

「事故なら仕方ないよ。連絡ありがとう。じゃあ、明日、駅でね」

 彼女はまた怒った風もなく頷き、電話を切って、駅を後にした。

 翌日。

 彼女はやはり、同じ駅の改札前、同じ柱に寄り掛かるようにして立っていた。

 そこへ、電話が鳴る。

「はい、もしもし」

『あれ、今どこにいる?』

「駅だよ」

『駅? あれ、現地集合って言わなかったっけ?』

「ううん、駅だよ」

『うっそ、ごめん! あぁもう、来ちゃったよ! ごめん、また遅くなっちゃうからさ、明日! 絶対、明日ね! 駅ね! 駅!』

「うん、いいよ。明日、駅ね」

 彼女はいつも通り頷いて、電話を切り、駅を後にしようと顔を上げる。

 そこで、彼女は気が付く。

 改札を通ってホームへ向かう人々に、あしが無いことに。

 それに、よく見ると、彼女の目の前を通り過ぎていく人はほとんど全て、老人だ。

 彼らは、透明な脚で歩き、半透明の腰のポケットから切符やカードを取り出して、改札を通っている。

 彼女は戦慄せんりつした。

 ここは、死の世界へ向かうための駅だ。

 そしてこの世界は、生死のはざまの世界――。

 電話の相手は、彼女を死の世界に行かせないよう、迎えに来ようとしているのだ。

 だが、何故か上手くいかない。

 いつも、何かと理由を付けては、遅くなってしまうからと言って、彼女を駅から離れさせる。

 ――きっと遅い時間になると、この駅は閉まって、駅に残っている人は全て、強制的に死の世界へ送られるに違いない。

 電話の相手は毎日、どうにかして彼女を助けようとしているのに、何者かに邪魔され、駅が閉まる時間に間に合わず、彼女に、また明日来いと言う。

 だが、彼女は生死の間にいる。つまり、いつかはきっと、限界が来て――。

 彼女は頭を振って、嫌な考えを振り払おうとするが、振り払うことはできなかった。

 電話の相手は、いつ、自分を迎えに来るのだろうか。来られるのだろうか――。

 呆然ぼうぜんとしている所に、不意に構内放送のチャイムが鳴り、彼女は、黒い画面だけを表示している携帯電話を取り落としそうになる。

《最終列車は、五分後の発車です。まだ改札をお通りでない方は、お急ぎください――》

 機械を通った声を最後まで聞かずに、彼女は震える脚で走り出し、駅を後にした。

 翌日。

 彼女はまた、駅の改札前に立っていた。

 しかしいつもと違って、すがるような、あせるような気持ちで、電話の相手が来るのを待っていた。

 電話が鳴る。

 望みを絶たれた彼女は、床に崩れ落ちそうになるのをこらえて、電話に出る。

「はい、もしもし……」

『あれっ、その音は――もしかして駅にいる? 約束は明日って言ったよね?』

「ううん、今日だよ……」

『うわあごめん! ほんとにごめん! 今日は遅くなっちゃうから、明日ね! 駅でね!』

「うん、明日、駅で……」

 彼女は泣きながら、駅を後にした。

 翌日も彼女は、駅の改札前で待っていた。

 電話が鳴らないことを祈って、電話の相手がやって来ることを祈って――。

 電話が鳴る。

 何と無慈悲むじひなことだ。

 彼女は座り込んでしまって、それでも電話に出る。

「はい、もしもし……」

『ねえ、大丈夫? どうして昨日、来なかったの?』

「約束は、今日だって……」

『え? あっ、今日!? うわあ今日か! ごめん!』

「ううん、いいよ……」

『ほんとにごめん! 明日ね! 駅ね! 絶対行くから!』

「うん、明日、駅……」

 電話を切った彼女は、立ち上がることができなかった。

 あと何日?

 自分はあと何日、生死の間に引っ掛かっていられるのだろう?

 電話の相手はいつまで、邪魔者と戦えるのだろう――。

「すみません」

 誰かに声を掛けられるが、彼女には、顔を上げる力も残っていなかった。

 当然である。

 彼女に、脚は無かった。

 腰も無かった。

 腹も無かった。

 胸からはやっと半透明で、頭がかろうじて残っている、といった具合だ。

 あと数時間もすれば、頭も消えてしまうだろう――。

「どうされましたか」

 声の主は、男性の駅員のようだった。

「待ち合わせ、を……」

 彼女は、駅員の顔も見上げられないまま、消えかかった声で答える。

「お急ぎください」

 駅員は彼女の声が聞こえなかったのか、彼女の透明な腕を引っ張って、無理やり立たせようとする。

「やめ、て……!」

 彼女は、ほとんど残っていない体で暴れ、抵抗する。

 通りすがる人々は、彼女をあわれむような目で見て、改札を通っていく。

「早く電車に乗らないと、死んでしまいますよ」

 駅員は、死にかけた彼女の体をやすやすと押さえ込んで、改札へと連れていく。

「嘘、です……! だって、みんな、脚が……!」

 彼女は抵抗しながら、出ない声を振り絞る。

「違います」

 駅員は彼女を無理やり引っ張るのをやめ、肩を掴んで真っ直ぐに目を見つめる。

「あれは、脚が消えているのではありません。のです」

 彼女は、駅員の視線にからられ、しばらく動けなかったが、やがて、ゆっくりと周囲の人々を見渡す。

 ――本当だ。

 下半分が透明になった人々の体は、改札を通り、ホームに近付くにつれて、頭に近い方から徐々に実体を増し、視認できる姿として現れている――。

「ここは、生死の間の世界です。皆さんは、病気や怪我、老衰ろうすいなどで、この世界に来られます。そして、ここに五日間とどまっていると、六日目に死の世界へ行かれてしまいます。ですが、その前にこの駅に辿たどくことができれば話は別です。ここからは、せいの世界へ戻る電車が出ています。あなたは――今日で五日目ですよね」

 駅員は、もう肩から上しかない彼女を見て、悲しげな表情を浮かべる。

「ですが、もちろん――と言うべきかは分かりませんが、この駅を見付みつけても、ご自分の意志でこの世界に留まる方もおられます。あなたは、その――迷っておいででしょうか」

 駅員は身を屈めると、彼女のために、全てを癒すような微笑ほほえみを浮かべる。

「それでしたら、無理に引っ張ってしまい、申し訳ありませんでした。今日の最終列車まで、まだもう少し時間はありますから、ごゆっくりお考え下さい。あぁ、いや……」

 何も言えない彼女を前に、駅員は口籠くちごもる。

「あなたさえ良ければ、私に、相談に乗らせてください」

 そう言った駅員はまた、全てを癒すような笑顔で、彼女を見つめる。

「いえっ」

 彼女は慌てて、首を横に振る。

「大丈夫です。本当にありがとうございます」

 彼女は、無い体を折るようにして、深く頭を下げる。

「そうでしたか。それなら良かったです」

 駅員は安心したように笑い、それから彼女を支えるようにして、改札まで付き添った。

「お気を付けて」

 改札の向こうで手を振る彼の笑顔を、彼女は一生忘れることは無いだろうと思った。

 目が覚めると彼女は、病院のベッドの上にいた。

 話によると、彼女が運転していた車がガードレールを突き破って崖の下に落ち、彼女は病院に運ばれて、生死を彷徨さまよっていたらしい。

 彼女は、その時の記憶が曖昧あいまいだった。

 確か、誰かに呼ばれて、どこかに行く途中だったような――。

 だが、その次の記憶は、知らない男性が、笑顔で手を振る姿だ。

 彼女はぼんやりとした記憶を抱えたまま、一か月後には退院し、半年後には、元通りの生活を取り戻していた。

 そんな彼女にある日、電話が掛かってきた。

 彼女は特段急ぐでもなく、電話に出る。

「はい、もしもし」

『あ、ねえ、明日さ、遊びに行かない?』

 それは、聞き覚えのある声だった。

「明日ね。いいよ」

『やった! んじゃ、駅で待ち合わせね!』

「うん、明日、駅でね」

『あ、そうだそうだ!』

 電話の相手は、声を上げて笑う。

『駅といっても、無人駅だけど!』



          『まちあわせ』 完

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まちあわせ 柿月籠野(カキヅキコモノ) @komo_yukihara

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