分身鳥の愛しい恋番

小池 月

第1話 小坂 涼

 肩に乗る小鳥を撫でる。僕の分身。いつか、どこかにいる番鳥に会えると良いね。早く君の声が聞きたいな。どんな声をしているのかな。撫でられて気持ちよさそうな小鳥に話しかける。すり寄る僕の分身鳥にフフっと笑いが漏れた。


 小坂 涼

 この世界の人は、生まれた時に卵を持って生まれる。卵はすぐに鳥に変化する。一生を共にする分身の鳥。どちらかが死ぬと、後を追うように片方の寿命も終わる。生涯の運命を共にする。

 分身鳥は、人の肩に乗って過ごす。自分の鳥は、なぜか重くない。痛くない。時々散歩のように飛ぶが、すぐに傍に帰ってくる。家の中では、あちこちに隠れて遊ぶこともある。あまり肩から離れると、人間の方が本能で危険と恐怖を感じて探してしまう。見つけた時の安心感はたまらない。きっと鳥の方も、探してくれるのを楽しんでいるのだと思う。子供のイタズラみたいで、とても愛らしい。


 分身鳥には、様々な種類がいる。大きな鷹のような獰猛な肉食世界の頂点に立つ種族を持つと、人間も同じように社会の頂点に立つ。鳥が人を表す。そして、恋愛や結婚も鳥の相性が大事。分身鳥が惹かれ合うと、人生で数回しか鳴かないという鳴き声を出す。鳴き声をお互いに出すことを番鳥という。鳴かなくても、鳥がすり寄れば相性は大丈夫。そうして恋愛や結婚相手も決まっていく。

 

 僕の鳥は、希少種。絶滅危惧種のタヒチヒタキ。現在世界に三十羽しか生存確認されていない。タヒチヒタキの分身鳥を持つ人は、僕を含めて世界に二人らしい。幼少期である僕の鳥は、オレンジと黒の綺麗な個体。木の実や小さな虫を食べる鳥。成鳥になると黒の個体になる。いつ身体の色が変わるのか、すごく楽しみ。鳴き声がフルートのような美しい声、と言われ、聞いてみたいと思っている。生存数が少ないと生態が解明されていなくて、調べようがない。


 世の中に存在する鳥類と同じような割合といわれている分身鳥。絶滅危惧種の鳥を持つ人は、生存が保護される。人には個体管理のピアスと、分身鳥にはアンクレットが装着される。自分では外すことが出来ない。これは世界共通で、一目見て国家に保護管理された者だと分かる。僕のように絶滅危惧最高位は金のピアスが二つ付けられる。保護対象は絶滅危惧種の中で、最高位と高位。最高位の被保護者は、日本で百人未満。同世代ではまず見かけない。学校でも僕だけ。高位の被保護者は金のピアスが一個で、三百から四百人程度と聞いている。一億を超える日本人口の中でこの人数しかいないから、会うことは無い。

 絶滅危惧種の分身鳥の者が死ぬと野鳥も生息数を減らす。そして、希少種の分身鳥を持つ人からは、希少種が生まれやすいらしい。これらが保護の理由。


 あとは、頂点に立つ大型猛禽類も保護対象。大型猛禽類の被保護者にはプラチナ製の銀色ピアス。これは、攻撃性が強く他の鳥類を襲ってしまうことがあるため、目印の意味もある。ごくまれに、そういった傷害事件が起きるが、分身鳥の衝動本能であった場合、犯罪にならない。世の中の暗黙のルールだ。そのため、本能をコントロールする特別教育を受けると聞いている。


 僕は関東国立特別鳥高等学校に通っている。高校二年になった。一般入試はかなり厳しいらしい。保護種に接触するため、選別されることと、大型猛禽類と知り合うことで将来のエリートコースに入れるから、らしい。一般学生は家庭から通うか、寮に入るか選べるが、ほとんど全員が寮を希望する。猛禽類の被保護者は一般寮に入るため、接点を増やすためのようだ。僕のような絶滅危惧種被保護者は、セキュリティの厳しい特別寮になる。


 「小坂、おはよう」

「おはよう」

 僕の隣の席の宮下君が声をかけてくる。宮下君はくちばしの赤い文鳥が分身鳥。一般入試の学生。一番仲がいい。鳥のサイズ的に、僕と気が合う。体長十五センチの鳥同士。怖くない。本能で自分より大きな鳥は、ちょっと怖い。カラスとかトンビとか、心臓がドクリと鳴る。こればかりは仕方がない。クラスでも自分の分身鳥に似たサイズの者同士で仲良くなるケースが多い。そして、文鳥は人懐っこい鳥であり、宮下君も皆に好かれる、いい人。

「今週、転入生が来るんだって」

「え? 珍しいね。どこから?」

「アメリカから。親が外交官らしいよ。猛禽類の保護種だって。日本人だけど出産国がアメリカで両方の国籍所有らしいよ。アメリカが保護国だって。海外の猛禽類保護種は見たことないや。ちょっと怖いね」

「うん。できるだけ、関わらないようにしたいね」

 小さい者同士、宮下君とは感覚が似ている。猛禽類は僕たち二人とも苦手。インコの大型も綺麗だな、と眺めるけれど仲良くなれない。

「猛禽類かぁ。フクロウとかかな」

「見たことないけど、コンドルとかハゲタカだと近寄れないかも。考えただけで怖い」

 クラスメイトの肩をぐるりと見回す。僕たちは最小部類。顔を見合わせて笑ってしまった。

「猛禽類でも、小型。小型が良いな」

「うんうん。肉食でも、ミミズを食べるくらいならいい。手乗りサイズフクロウとか」

 それじゃ保護対象じゃない、と声を出して笑う。

「ご機嫌じゃん」

 ワタリガラスが分身鳥の森本君が寄ってくる。

「小鳥同士のさえずりだよ」

「俺も小鳥だぜ」

 ドカリと僕たちの近くの椅子に座る。

「カラスは十分大きいよ」

 宮下君と森本君のいつものやり取りを見守る。鳥のサイズが人の体格に反映される。森本君は高校二年で百八十センチの高身長。体長六十センチのカラスが安定して止まっている。

 苦手と言いながら、大型鳥とも仲良くできる宮下君はすごいな、と感心する。

「おい、小坂。お前は全く慣れないなぁ。コミュニケーションとろうぜ~~」

「えっと、分かってはいるんだけど、ごめん」

 話題を振られて、頬が熱を持つ。

「ま、そんなところも可愛いんだけどな」

 ワシワシとご機嫌に僕と宮下君の頭を撫でる森本君。僕たち小型は、自分より大きい鳥が怖いけれど、大型は小型が可愛いらしい。庇護欲みたいなのがあるらしく、僕と宮下君はよく声をかけられる。二人でいると、よく視線を感じる。ちょっと恥ずかしいときがある。そんな時は宮下君の明るさに救われる。


「今日一緒に昼食べよ」

 ライラックニジブッポウソウの鮮やかな色の分身鳥を乗せた石井君に声をかけられる。十四色の羽の色をまとう綺麗な分身鳥のように、華やかな外見。イギリス人と日本人とのハーフ。鳥の体長が四十センチ。

「じゃ、学食ね。カレーうどん売り切れないといいな」

 にこやかに返事をする宮下君。森本君も一緒に食べる約束をした。

 猛禽類や大型を怖いと思うのは僕の本能だけで、本人たちはとてもいい人たちなんだよね。クラスで喧嘩も起こったことが無い。保護対象で避けられがちな僕にも、みんなとても優しい。


 僕のように海外に生息する絶滅危惧種を分身鳥に持って生まれると誘拐や犯罪に巻き込まれるリスクが高い。万が一、事故死をした場合など、国際トラブルに発展する。鳥の生息地域の国が、絶滅を意図的に行ったと立腹し、戦争になる事さえある。そのため、小中学校は通信教育で国の保護施設内から出ることが許されなかった。室内のみで、決められたスペースで管理されて過ごした。僕の鳥を空に飛ばしてあげたいな、いつもガラス越しの青空を見上げて思っていた。

 生まれた時から保護施設に管理されていて、両親の顔は知らない。これらは、絶滅危惧鳥保護人権国際法で決められているから仕方ない。

 高校生から、やっと同世代に触れ合った。社会適応性の養育のため、高校からは国の管理する学校に通い、人と接することができる。敷地外へ出ることは禁止されているけれど。それでも嬉しかった。同世代の人に触れ合って、僕の鳥が小さいのだと改めて知った。生き生きとした人たちに興奮した。胸がドキドキする瞬間だった。だけど、これまでの生活が閉鎖的過ぎて人と上手く関われない。大きな鳥は、怖い。これは、一年たっても治らない。宮下君も同じだよって言ってくれるから安心する。


 「おお、カレーうどんが残っている!」

 学食のメニュー板を見て、宮下君は大喜び。そんな素直な喜び方を見て、僕も笑いが漏れてしまう。友達って、すごくいい。施設の職員の人とは全然違う。僕も食堂のメニュー掲示板を見て、どれにしようか迷う。これも楽しい。これまで、運ばれる食事を食べて、どれだけ食べたかチェックされていた。今は、この食べる自由と楽しさを満喫している。

「小坂、早く決めろよ~、つかえるぞ」

 小声で森本君にささやかれる。コクコク頷き、カレーに決めた。宮下君がカレーうどんを横で食べると、何を食べていてもカレーが食べたくなる。カレーうどんは宮下君で終わったし、カレーしかない。

「ごめん。決めた。カレーにする。後ろ大丈夫かな」

「ま、大丈夫だろ。大盛り?」

「あはは。それは食べられないよ」

「小坂、大きくなれないぞ~~」

 子ども扱いしてからかわれるのも楽しい。外に出られなくても、時々皆の話している話についていけなくても、将来の話ができなくても、今までよりとても楽しい。

「この和食がたまらない。さすが関東一の国営学校だ!」

 石井君は小学校までをイギリスで過ごしていた。中学から日本に来た帰国子女。とにかく日本食や日本の物が大好き。外見とのギャップに笑ってしまう。

「石井、醬油をつけすぎるな。あ、抹茶塩をそのまま舐めるな!」

 森本君は、石井君の世話係みたいになっている。一般寮で同室らしい。こんな毎日のお昼ご飯は、すごく楽しい。優しい皆の笑う顔に心が温まる。僕も一般寮に行きたいな。楽しそうな輪に入りたい。きっと毎日大騒ぎだろうな。考えて、心がチクリと痛む。僕の特別寮は、一般寮と別にある。セキュリティのため仕方ないけれど、さみしい。現在僕だけ。あとは、管理のための職員スタッフのみ。

 そういえば、アメリカからくる保護種の人はどうなんだろう。猛禽類保護対象の人は一般寮に入っている。捕食衝動や衝動性を抑えることが出来る人しか入学が認められていないと聞いた。猛禽類でも、絶滅危惧種高位以上だと、もしかしたら僕と同じ寮になるのかな。ちょっとワクワクした。


 青空が綺麗な六月。いつもの二年一組の教室。ちょっと暑くなってきた、そんなことを考えていた。学校敷地内は空中からの侵入防止のため、高さ二十メートルの防護ネットで空が覆われている。コレがあるから敷地内なら鳥を飛ばせる。あとで少し飛ぶ? 僕の鳥にそっと声をかける。嬉しそうに頬にすり寄る可愛い小鳥。よしよしと撫でる。タヒチヒタキのオレンジは空の青に良く映えて綺麗。もうじき成鳥になると見られなくなるオレンジ色。綺麗な僕の鳥。自分鳥自慢になっちゃうけど、みんな自分の鳥が大好きなんだ。


 チャイムが鳴る。ホームルームが始まる。担任の先生が教室に入ってくる。皆がざわついた。ぴりっとした空気になる。

 先生の後に続いて、身長百九十センチはある大きな男性。僕たちと同じ制服を着ている。肩に、大きなワシ。こんなに大きな猛禽類、初めて見た。驚きで教室が静まる。分身鳥たちが自然と人に寄り添ってくる。

「今日から転入する、藤原ルイ君だ。分身鳥は、アメリカが保護国になっている絶滅危惧高位のオウギワシ。鳥の中では最強の猛禽類だから、先生もちょっとドキドキするよ。   藤原君は衝動性のコントロールが完璧、ということだから皆仲良くするように」

 穏やかな微笑みを浮かべた転入生が、ぐるりと教室を見る。その穏やかな表情と先生の紹介に皆がほっとした時だった。

 チラリと、僕と目が合った。

 藤原君のオウギワシが羽を広げた。体長一メートルの鳥が羽を広げると二メートル。室内では普通、羽を広げない。ざわめきが広がる。急にオウギワシが飛行する。熱帯雨林を大きな身体で自在に飛び回るオウギワシ。驚いて皆姿勢を低くした。一番後ろの僕の席まで、ほんの一瞬だった。大きな翼と強い風。


 ピー……、と高い綺麗な鳴き声が響いた。

 鳴き声なのか、悲鳴なのか、分からなかった。


 心臓が潰れそうな衝撃。身体の芯が抉られるような痛み。何? 視界が、定まらない。汗が噴き出る。遠くに悲鳴がいくつか聞こえた。

「藤原君! 分身鳥を抑えなさい!」

「早く保健医を! すぐに管理局に連絡して!」

叫び声。逃げる皆の足が見えた。足ばかりが見えて、僕は自分が床に転がっているのが分かった。目の前がグラグラして、心臓のバクバク鳴る音だけが響く。僕の、僕の鳥。視界に入る僕の小鳥に、手を伸ばす。もう少しが、届かない。オレンジの羽が散っている。赤く染まった羽。呼吸が出来ない。瞬きもできない。嘘だ、こんなの嘘だ。喉の奥で細い悲鳴が漏れる。僕の分身鳥から目が離せない。大きな鳥に踏みつけられている僕の鳥。オウギワシの爪が、僕の鳥を貫いている。声も出せずに、涙だけが溢れる。震える身体を抑えることができない。怖い。身体が芯から冷える。凍える。人が駆け寄り、何かをしているが、全身の感覚がおかしくて分からない。オウギワシを僕の鳥から引き離す人。

 ギー、とオウギワシが上げた声が耳をついた。ピクリとも動かない僕の分身。真っ赤に染まる身体。哀れな姿に、涙がとめどなく流れる。意識が、薄れる。


 おいで、死ぬなら一緒に死のう、そっと心で呼びかけた。



 窓の外の、夏を迎えた青空を見上げて心が苦しくなる。

 僕は学校近くの国立病院に運ばれた。僕の分身鳥は、左の羽の付け根を爪で貫かれ、身体の一部が抉られた。緊急手術が行われ、一命はとりとめたが、左羽は折れ曲がったまま。身体の傷も大きく残った。生きているのが不思議な状態だった。僕も心臓が止まりかけて、強心剤やら昇圧剤やら、救命医療が施され、事故から一週間意識が戻らなかった。分身鳥とともに生死をさまよったが、何とか生命が維持できた。

 だけど、もう二度と飛べない自分の鳥が痛々しくて、辛くて、悲しくて、たくさん泣いた。


 死ななかったことで国際トラブルは避けられた、良かった、生きていたならそれでいい、と事務的に言う大人が嫌だった。僕の鳥は、こんなに傷ついたじゃないか! 悔しくても、泣くしかできなかった。


 一か月すると、分身鳥の包帯が外れた。今は、羽を動かすリハビリを必死で頑張っている。ベッドの上で一緒に励まし合う。僕は左腕が麻痺したかのように動かせなくなった。分身鳥と人は、運命を共にするため、仕方ない。僕の背中には、左半分に赤黒い大きな痣ができた。これは、自分が怪我をしたかのように痛む。共有痕といわれる痣だ。僕の鳥がこれだけ苦しいケガを負ったと思うと辛かった。


 転入生の藤原君とは会っていない。お見舞いは絶対に嫌だと断っている。手紙も受け入れていない。もう二度と会いたくない。

 これだけの暴力をふるっても、藤原君は何の罪にもならない。猛禽類の衝動行為のため不問、と処分決定が出た。アメリカが保護国であり、国際的な日本の立場から藤原君が守られた。大人は、仕方ないことだ、忘れなさい、と淡々と言った。悔しかった。許せなかった。ぶつけようのない怒りと悲しみが渦巻いていた。


 僕が泣くと、僕にすり寄る分身鳥。トコトコ歩く姿が、バランスが取れず危なっかしい。左の羽は身体に添わせることが出来ず、やや下に力なく下がっている。僕の左腕も、同じだよ。お前だけが辛いんじゃないからね。お前だけが僕の味方だ。心に寄り添う小鳥に、生きていてくれてありがとう、大好きだよ、とそっと声をかける。


 傷を負った部分から、少し濃いオレンジの羽が生えてきた。すごく嬉しい。鳥は傷を負っても体毛が禿げることは無いと聞いていたけれど、心から安心した。僕の鳥を抱き締めて喜んだ。スリスリすり寄る小鳥を、よかったね、と撫でまわした。でも、僕の背中のあざは消えなかった。きっとこれは消えない。鳥の体毛は生えても、傷はずっと残るんだ。何となくそう思った。


 一か月半入院した。もっと早くに退院できそうだったけど、僕は保護対象であり家族がいないため、完全な状態になるまで病院の特別室に隔離されていた。退院先は、学校の寮。もう学校には行きたくないけれど、外の世界を知らない僕に選択肢はない。管理されることが苦しいと感じ始めていた。管理する側は、僕の、分身鳥の生命維持だけできればいいんだ。それを、身をもって知った。周りの大人たちに、前ほどに感謝の気持ちが持てなくなっていた。この人たちにとって、僕は物みたいな存在だ。冷めた気持ちが生まれていた。

 僕が心を許すのは、僕の鳥だけだ。


 寮の前に車で横付けにされる。ドアを開けて降車しようとして、ぎくりとした。寮の入り口に、藤原君が、いる。怖くて、動けない。はっとして、すぐに僕の鳥を右手の中に隠す。手の中の温かい存在を、守らなくては。ドクドク鳴る心臓と、身体の震え。冷汗が流れる。

「歩ける?」

 思ったより優しい声。低い、綺麗な声。いつの間にか車の近くに藤原君が、来ている。どうして? 怖くて返事が出来ない。手の中の小鳥が、震えている。そうだ、僕が守らなきゃ。

「ち、近寄らない、で」

 顔を見ず背中を丸めて、必死で一言を言う。大型に意見することに、心が怖いと悲鳴を上げる。声が震えた。

「……わかった。ごめんね」

 すっと離れて、寮に入っていく姿を目で追った。後姿を見て、肩にオウギワシが居ないことに気が付いた。通常、一心同体で離れない分身鳥。アメリカで育つと少し感覚が違うのかな、と考えた。それより、同じ寮なのか、と気持ちがぐっと落ち込んだ。手の中から出た鳥が、肩によじ登ろうとする。それを支える。大丈夫だよ。僕が、守るからね。

 久しぶりの寮に入る。玄関の二重自動ドアを通り、足早に二階自室に急ぐ。どこかに藤原君がいたら、怖い。左腕は自由が利かず、ぶつけてケガするのを防ぐため三角巾か腕サポーターで首から吊っている。僕の鳥には右肩に乗るように声をかけている。とっさの時に左手の使えない怖さを何度か味わっているからだ。二階自室につき、ほっと一息つく。しばらく離れていたから、自分の部屋に安心する。

「窓、開けようか」

 肩の小鳥に話しかけて、空気を入れ替える。僕の部屋は八畳一人部屋。部屋にユニットトイレバスがついている。勉強机・ベッド・衣類タンス。この特別寮は全室個室。四階建ての建物で、他の寮からしたらとても小さい。全二十室。全ての部屋が指紋認証のオートロック。ピアスの個体番号も登録されているらしい。今は、多分僕と藤原君しか入寮していない。各階にそれぞれ共有トイレや洗面・洗濯場・乾燥機・テレビやゲームのある談話室がある。テレビとゲームは二十時まで使用できる。一階は食堂と大浴場・ミーティング室など共用スペース。二階から四階が居室。一階には警備室がある。今は二階と一階部分しか使用されていない。これから、この建物で藤原君と一緒か。楽しみだった友達との寮生活。夢に終わった。この先卒業まで、恐怖の日々が始まる。ため息をつく。


 夕食の時間。十八時から十九時の間に食べなければいけない。藤原君と重なりたくない。いつ、行くのかな。きっと大型だから、お腹すくよね。食事は早めに食べたいはず。僕はギリギリの十八時四十五分に食堂に行こう。食べないと体調が悪いのか、と職員の人にチェックされる。パッと行って、さっと戻る。そう決めた。十八時四十分。部屋のドアを開けて、そっと様子を見る。廊下は静か。足早に部屋を出る。階段を慎重に降りたところに、藤原君が、いた。目が合う。驚いて、数歩下がる。階段にぶつかり後ろにバランスを崩す。しまった! 転ぶのはマズイ。左手が防御に出てくれないためケガをする可能性が高い。せめて、僕の鳥は守らないと! 驚いている分身鳥を胸に抱き留める。もうお前にケガは負わせたくない。衝撃に備えて身体を固くする。けど、僕は転ばなかった。大きな身体に抱き留められて、そっと地面に降ろされる。少し離れた距離にいたのに、一瞬で駆け寄ったのか。身体能力の高さに驚く。そりゃそうか。教室でも、僕のとこまで一瞬だったよな。今、助けてもらったことよりも、憎しみがこみ上げる。

「……どいて」

 どうしてもお礼を言う気になれず、僕の鳥を抱いたまま距離をとる。今度は、肩にオウギワシが、いる。僕の鳥を、シャツの首元から中に入れる。顔を見ずに、食堂に急ぐ。お腹に温かい存在を感じ、隠れていると良いよ、と小さく声をかける。モゾモゾくすぐったくなるけど、襲われるよりいい。

 食堂で保温機・保冷機に保管されている自分の分の食事をとろうとする。けれど、片手で、服に鳥を入れていて、お膳を持ち上げることが出来ない。配膳室に一人いつもいるから、呼んだほうが良いかもしれない。立ち止まっていると、すっと横から手が伸びる。無言で、僕の分のトレーを運ぶ藤原君。保冷機からも僕の分を出し、セットしてくれる。それから、自分の分をセットしている。まだ食べていなかったのか。食堂の端と端の席。何のつもりだろう。僕に関わらないで欲しい。 立ち尽くしていると、

「時間が、なくなるよ?」

 端の席から、声がかかる。優しい、低めの声。なぜか、悔しさが心を占める。下を向いて、席に座り、食事を食べる。緊張して少ししか食べられなかった。お茶が減れば、すっと新しいものが出される。片付けようと席を立てば、すっとトレーを下げてくれる。沸き上がる悔しさに、右手が震えた。服の中で、心配した僕の鳥がモゾモゾ動く。お礼も言わずに、早足で立ち去る。自由の利かない身体に腹が立った。こんな奴の世話になんかなりたくない! 心が叫びを上げていた。

 翌朝は、食事を摂らなかった。もう、食堂に行きたくない。藤原君を、見たくない。学校に行きたかった。宮下君に、皆に会いたい。あの、明るい空気に触れたい。息の詰まるような、今の状況の唯一の救いに思えた。


「あ! 小坂! 大丈夫? すごく心配したんだよ。お見舞いも禁止って言われて」

 宮下君がすぐに駆け寄る。見たかった笑顔。嬉しくて、涙が滲む。

「おはよう」

 張り裂けそうな心。やっと一言が出せた。

「大丈夫かよ。腕、きかない?」

 森本君も声をかけてくれる。すぐに僕の荷物を持ってくれる。優しさが、染み入る。温かい、何かが沸いてくる。

「うん。左手は、無理。僕の鳥も左羽が上手く動かせなくて」

「そっか。手が必要なら、手伝うぞ」

 嬉しい。こんな簡単なやりとりに、我慢できず涙が流れる。これまで誰も、僕と僕の鳥の心配をしてくれなかった。物のような扱いに、悔しさと苦しさばかりの日々だった。

「おい、ちょっと。小坂、どうした?」

 慌てて僕に話しかける友人に、泣き笑いで答える。

「大丈夫。学校に戻れて、嬉しい」

 そうか~と僕を撫でる森本君と宮下君。石井君も加わって頭を撫でまわされて、優しさで涙が止まらなかった。

「あ、フジ、おはよう」

 宮下君の声にぎくりとした。フジ? 後ろを見ると、優しい微笑みを浮かべた藤原君。

「え? 宮下君、仲いいの?」

 驚いて小声で聞いてしまった。

「うん。フジ、めっちゃいい奴だったんだ。分身鳥の衝動が強く出ちゃったみたいだけど、本人も分身鳥も、あれから全然問題なく過ごしているよ。小坂、仲直りできた?」

 急に、宮下君が遠い存在に思えた。仲直りってなんだよ! あれ、ケンカじゃないよ。一方的な暴力じゃんか! 

 藤原くんが教室に来たら、急に皆が藤原君に話しかけて、藤原君の周りに輪が出来ている。森本君は、僕のカバンを持ったまま藤原君と話している。さっきまでの嬉しい気持ちが、一気に冷える。憎らしい気持ちが、心に沸き上がる。唯一の僕の居場所まで、こいつは奪うのか。僕の友人まで。唇を嚙みしめた。藤原君を睨む。藤原君が、森本君から僕のカバンを受け取って、こちらに来る。右手が、ブルブル震えた。

「机に行こう。中身、出そうか?」

 なんだよ。紳士的な態度出して。そんな態度出せるなら、はじめから僕の鳥を襲うなよ。悔しくて、怒りが沸き上がって、腕の震えが抑えられない。

「……返して」

 右手でカバンを奪い返す。踵を返し、教室を出る。「小坂!」と呼んでいる声が聞こえた。もう学校も嫌だ。全部、全部嫌だ。あの、藤原とゆう存在を消し去ってやりたい。早足で寮に帰る。自分の部屋に閉じこもる。こらえきれずにベッドの上で声を上げて泣いた。悲しそうに僕に寄り添う分身鳥を抱き締めた。


 泣き疲れて、鳥と一緒に眠っていた。ガチャリと言う音で目が覚めた。びっくりして、ドアを見る。開いたドアの外に、管理スタッフと藤原君。なんで? 

「小坂さん。朝食を食べていないことと、無断欠席のため、体調確認で入室させていただきます」

 ドアの外から、声をかけられる。僕の部屋じゃないか! 怒りが沸き上がる。

「いやだ! 入らないで!」

 叫んでいた。一歩も入って欲しくない! 僕の鳥を抱き締め、ベッドを降りる。

「失礼します」

 僕の意見は完全無視して、大人が入ってくる。

「ふざけるな! 僕の部屋だ!」

 精一杯叫ぶ。声を上げながら、部屋の隅に追いつめられる。涙が流れる。背の高い大人に、捕まりそうになり暴れた。泣きながら、嫌だと叫んだ。押さえられて、腕にチクリと注射をされた。叫ぶうちに、意識が落ちた。目の前の全てが苦しかった。


 目が覚めたら、夜だった。僕のベッドの横に、藤原君が椅子に座っている。枕元には僕の小鳥が寝ている。それを確認して、ほっとした。藤原君が、僕を見る。


 僕は、もうあきらめた。


 好きにしたらいい。どうせ、僕の自由なんかないんだ。目線をフイっと外す。

「大丈夫?」

「はい」

 気持ちを込めずに答える。もう、分かった。もう、疲れた。大型猛禽類で最強で、ぼくなんか太刀打ちできない藤原君。服従します。


 僕は、僕の心を殺すことにした。


 次の日から、全て藤原君に従った。優しく接する藤原君を冷めた目で眺めて過ごした。優しい紳士的なフリした犯罪者め。お前なんか大嫌いだ。くそったれ。心の中で何度も繰り返した。教室では、一言も話さない。話しかけられても返事をしないで無表情で過ごせば、友人も徐々に離れていく。教室の中心は藤原君。見たくもない。だから、一日、外を見て過ごす。藤原君の指示がなければ食べることもしない。自分で席を立つのはトイレだけ。そのトイレだって、席を立てば藤原君がついて回る。


 僕は肩に分身鳥を乗せるのをやめた。藤原君のオウギワシがいつ狙ってくるか、わからない。誰一人として僕の味方はいない。僕が死んでも、僕の鳥が死んでも誰も悲しまないことが分かった。だから、僕が僕の鳥を守らなきゃ。左腕を吊っているから、その中に隠すようにした。一見分身鳥が居ないように見えて驚かれる。人の視線なんかどうでも良かった。僕は、僕の鳥が守れればそれでいい。


 夏の空を見上げて、これまで感じたことのない孤独を噛みしめた。


 夏休みまであと三日。皆、自分の自宅に帰れる喜びで浮足立っている。僕には関係ない。どうせ寮から出られないし。

 藤原君が来るまでは、学校楽しかったな。去年はこの時期、宮下君たちの夏の過ごし方を聞いた。夏祭り、花火大会と言った夏の行事を、寮に帰ってインターネットで調べまくった。自分が経験したかのような妄想をして過ごした。羨ましいな、と優しい気持ちで思った。今年のような友人との距離を感じることは無かった。ぼんやりと考える。


 僕に、保護管理局から連絡が入った。この夏、僕がフランスに行くことが告げられた。タヒチヒタキの生息地であるフランス領タヒチ島。もう一人のタヒチヒタキの分身鳥を持つフランスの人に会うことが告げられた。ここから離れられる! 心が一気に弾んだ。夏休みに入って二日後に出国。二十日間の日程。初めての海外に、初めての外の世界。インターネットでフランスやタヒチ島を調べて、ワクワクした。


 藤原君は絶滅危惧種高位のため、最高位の僕と違い家族から離されない。夏休みは、家族のとこに帰るかと思ったのに、寮に留まると言っていた。夏休み中顔を合わせるかと考えて憂鬱な日々だった。僕の方が離れられる! 嬉しくて僕の分身鳥を高い高いして、喜びを分かち合う。僕の鳥は最近、ベッドの上で高い位置から飛びおりる練習をしている。左翼を少し広げたまま、右翼を上手く操作し落下スピードを緩和させて着地する。初めて上手にできた時の喜びはすごかった。今日も何回か、飛び降りる練習をした後、ドヤ顔で右翼をバサバサする小鳥に笑ってしまった。本当に可愛いな。

「お前は偉いな。前向きだね」

 僕の小鳥からは、恨むとか憎しみの感情が伝わってこない。僕と違って、いい鳥だ。

 夏休み、楽しみだな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る