第3話  優しいひと時

 優しいひと時

 ワクワクして仕方ない。初めての荷物づくり。服も下着も生活用品は全てフランスに用意してあるから、貴重品や身の回りの必要物だけでいいと言われた。それでも、必要なものって何だろう? と部屋の中をひっかきまわしている。久しぶりの心躍る思いに、僕の鳥が頭や肩をワシワシ掴んで楽しいねって伝えてくる。そうだね、楽しいね。笑いあう。藤原君に従う日々も、あと少しでフランス旅行だと思ったら苦痛じゃなかった。


 初めての飛行場。人の多さにたくさんの店にドキドキした。管理局の人に自由に買い物できるように旅行費を渡された。普段のお小遣いよりだいぶ多い。ユーロもドルも、日本円も。ある程度困らないようにとクレジットカードも。今回の旅には管理局の大人が五人同行する。そして、空港までは藤原君もついてきた。いつもより、藤原君が嫌じゃない。楽しい事を前に心も広くなった気分だった。買い物は空港で自由にしていいですよ、と言われて緊張してお店を見て回った。


 コレは相場より高いよ、あれが今人気だよ、と言う藤原君の言葉を「そうなんだ」と聞けるくらい心の余裕がある。

 ふと見つけた鳥のキーホルダー。〈自分の分身鳥を身に着けよう〉なんて宣伝文句がある。様々な鳥があるけれど、さすがに僕のはないだろうな。ちょっと興味が出て探してみる。やっぱりメジャーな鳥しかない。吊っている左腕の上に隠している僕の鳥と目を合わせ、ふふっと笑ってしまった。視線を感じて顔を上げれば、驚いた顔の藤原君。笑ったところを見られたのか。ちょっと恥ずかしい。

「あ、僕の、ないから……」

 つい、口から言葉が出ていた。大きな腕がスッと伸びて、全身ピンクのインコを手に取る。

「これ、似てるよ」

 ピンクだよ? 僕の鳥が、左腕の腕吊サポーターから出てきて、不満そうな顔。そうだよね、インコじゃないよね。藤原君のオウギワシだって製品化されてないじゃんか。目の前のカモメのキーホルダーが目に入る。

「じゃ、オウギワシはコレだね」

 白と灰色の羽毛しか似ていないけどね。藤原君に差し出して見せると、僕のタヒチヒタキがキーホルダーをくちばしに銜えてオウギワシに見せる。驚いてしまった。怖くないの? 首を下げてオウギワシがくちばしで受け取る。すごく神聖な瞬間を見たような感動で、立ち尽くした。僕たちに構わず、二羽の鳥がそのまま身体をすり寄せる。胸が高鳴る。これは、僕の鳥の気持ちだ。流れ込む優しい喜びに、涙が流れた。自然と藤原と見つめ合う。何、これ? 心の熱さに震える。そっと藤原君が僕を抱き締める。いつの間にか僕の肩に登った小鳥がオウギワシの羽に抱き留められている。大きな身体が、優しい抱擁が僕たちを包み込む。僕の顔が藤原君の胸の位置。涙が、吸い込まれる。鼓動が聞こえる。この気持ちは何だろう? これは、幸福? あんなに憎らしかったはずなのに。僕の鳥から気持ちが溢れて僕の心を満たす。混乱する。抱きしめられても苦しくない腕の中。藤原君の腕に移り、タヒチヒタキと身体を寄せるオウギワシ。二羽と藤原君を交互に見た。ふわりと綺麗に、優しく微笑む藤原君の顔に心臓がドクリと不思議な音を立てた。徐々に顔が熱を持ち、恥ずかしくなる。

「小坂さん、気分でも悪いのですか?」

 気が付くと近くに管理局の人。はっとして、「大丈夫です」と、藤原君から離れる。僕から離れたけど、抱き戻さずに直ぐに離れる藤原君に少しムッとした。僕の小鳥と藤原君の鳥は、見つめ合っている。オウギワシからキーホルダーを受け取り、藤原君が二個のキーホルダーを買う。

「はい」

 ピンクのインコを僕のカバンにつけてくれる。カモメを自分のカバンにつけて笑顔。大きな体に似合わないでしょ。ははっと笑うと、嬉しそうに藤原君も笑う。そんなに悪い人じゃないのかも。そう思えるくらい優しいひと時だった。藤原君のオウギワシが嬉しそうに僕の鳥とカモメのキーホルダーを見る。こうしてみると、感情が分かりやすくて可愛い顔している。僕の鳥は許しているのかな? さっきの感動を覚える瞬間を思い返していた。


 搭乗までの時間を藤原君と買い物して過ごした。隣に居ることが、恐怖心じゃなくドキドキした。時々目線をどこにしようか迷って、揺れるピンクのキーホルダーを見つめた。いつも僕の左側に立つ藤原君。左側をさりげなくガードしてくれているのは知っている。今日は僕の鳥が左肩に乗る。藤原君の右肩にオウギワシ。鳥同士が羽で触れ合える位置。いわゆる恋人歩きをしている。僕の鳥から幸せが流れ込むから、今は腕の中に隠さなくていいかな、と思った。

 藤原君が、ブランドのサングラスを買ってくれる。いらないよ、と言ったけど、海外は日光が強いから、と選んでくれた。僕に似合うものを、と楽しそうに選ぶ藤原君を不思議な気持ちで見つめた。ブランドショップの店員さんに「綺麗な恋人へのプレゼントですか?」と聞かれて嬉しそう。やや頬を染めて対応している藤原君。藤原君の腕に移ったオウギワシが僕の肩の小鳥と寄り添う。僕の顔の近くにいるオウギワシと目が合う。優しい穏やかな目。藤原君と似ている。怖いとは思わなかった。

 飲み物を買うときに、クレジットカードの使い方も教えてもらった。学校内より藤原君との距離が近い。少し照れるような恥ずかしさ。心臓の音が心に響く。


 きっといつもと違う場所で緊張しているからだ。旅行前で気持ちが高ぶっているだけだ。学校に戻ったらいつもと同じに戻る。こいつは、あの大嫌いな藤原君だ。僕自身に何度も言い聞かせた。


 黒いタヒチヒタキの人

 飛行機にメチャメチャ緊張した。離陸の時の圧に驚いた。警護のためにファーストクラスを利用。僕の横に一名。前後に二名ずつ。なるほど。五名は必要だったんだと思った。僕は藤原君に一度襲われているから、警護の必要性が身に染みている。飛行機からの景色や映画を楽しんで、椅子をベッドにして寝て過ごした。僕の鳥を撫でてピンクのインコのキーホルダーを見る。全身ピンク。タヒチヒタキの身体には似てないよ。フフっと笑いが漏れる。僕の鳥もご機嫌にキーホルダーをつついて揺らす。そーだよねって顔していて、小鳥と小さく笑いあった。


 ドキドキしながら、フランスのパリにあるシャルル・ド・ゴール国際空港に着いた。周りを流れるアナウンスも、空港内の人も看板も全て海外に来たことを実感させる。その空気だけで圧倒される。

「小坂さん、大丈夫ですか?フライト疲れはしていませんか?」

 同行の管理局の人に声をかけられる。コクリと頷き、この人たちに囲まれて移動する。正直、異国の地で震えるほど緊張している。頼れるのが、この五人だけ。絶対に離れないようにと斜め賭けにしたバックの紐を握りしめる。肩には、僕の鳥。藤原君から隠すようにしていた分身鳥も、もう隠すこともないかな、と思っている。

 世間を知らない僕でも分かる。日本の空港での、オウギワシと僕の鳥の行為。愛の給餌と言われるもの。分身鳥は食べ物を食べない不思議な鳥。野生の求愛行動の給餌行動を物や自分の羽などで代用して行うと言われている。僕の鳥が藤原君の鳥に渡した。僕の鳥は藤原君の鳥を好き、なのかな。


 「こんにちは」

 空港の到着ロビーに、キラキラとしたフランス人。数名が警護している。日本語で話しかけられて見上げる。身長百八十センチくらいの男性。耳下のやや長めの金髪に青い澄んだ瞳。肩に黒灰色のタヒチヒタキ。驚いて、何も返事が出来ず静止。

「こんにちは。あれ? 日本語、おかしいかな?」

「あ、いえ。とても上手な日本語です」

「良かった。リョウ、で間違いない?」

 ファーストネームで呼ばれる。コクコクと頷き、キラキラした優しい笑顔の男性を見つめる。耳には僕と同じ金のピアスが二個。やっぱりこの人が、もう一人のタヒチヒタキの分身鳥を持つ人だ。

「フランスまで来てくれて、ありがとう」

 僕の右手をとり、手の甲にチュッとキスをする。びっくりして顔が急に熱を持つ。

「左手、災難だったね。日本には乱暴な分身鳥がいるね。辛かったね」

 少しかがんで僕の目線に合わせて話してくれる。綺麗な目に吸い込まれそう。誰にも言ってもらえなかった温かい言葉。分かってもらえた。そう、辛かったんだ。嬉しくて、ほろりと涙が流れてしまった。下を向いて、隠そうとすると、ふわりと身体が浮いた。

「え? あの、ちょっと!」

 驚いて声を上げる。僕、横抱きに抱き上げられている。

「僕の胸に顔を隠していると良いよ。リョウの可愛い綺麗な涙は、誰にも見せたくないからね」

 すごく間近で話し、額にキスされる。驚きすぎて、涙が引っ込んでいる。美形の彼に、優しい表情の彼の鳥。僕のタヒチヒタキが不思議そうに彼の鳥を見ていた。

 空港の中をズンズンと抱きかかえて運ばれた。黒塗りの車が数台。その真ん中の一台に車に乗せられる。後部座席に彼と、僕。

「落ち着いた? 僕の自己紹介、してもいいかな?」

 ゆっくりと動き出す車。僕は任せるしかない。コクリと頷く。僕の目を見て、にこやかな顔をして彼が話す。

「僕はリョウと同じタヒチヒタキが分身鳥のレオ・デュラン。ファーストネームがレオだよ。レオって呼んでね。これから二十日間、同じ鳥同士一緒に過ごそう」

 レオ、レオさんか。俳優みたいにカッコいい人だ。

「リョウ、僕の名前呼んでみて?」

「……れお、さん」

 小さな声で呼んでみる。

「あはは。呼び捨てで、レオだよ」

「でも、年上です」

 外見は三十代前半くらい。

「いいんだ。フランスでは皆呼び捨てで呼び合うんだ」

「あの、じゃ、レオ」

 友達も呼び捨てにしたことない。なぜか照れてしまう。

「可愛い。こんなに可愛いとは思わなかった」

 隣から僕を抱き締めて、頭にキス。驚いて、右手でレオを押しかえす。

「あぁ、ごめんね。フランスは日本より愛情表現が直接的なんだった。日本は奥ゆかしい。勉強したのにな」

 あはは、と笑うレオ。その陽気さにつられて頬が緩んだ。ふふっと笑いが漏れた。いい人、だと思う。急に真剣な顔で僕を見る。整った顔。

「……モン・シェリー……」

 ポツリと彼が何か言うが、フランス語で分からなかった。首をかしげると、頭を撫でて、ニコリとするレオ。つられて会釈して、景色を眺めた。僕のオレンジの鳥が、警戒しながら彼の鳥と見つめ合っている。高校に入学したときみたいな緊張感だね。ふふっと笑うとすり寄ってくる僕の鳥。またレオが僕を見て、赤い顔でボソボソとフランス語で独り言を言っている。フランスの人だから僕と常識が違うのかも。僕は日本語しか話せないし、そっとしておくことにした。


 「ついたよ」

 レオが車のドアを開けてくれて、エスコートする。百六十センチの身長の僕はレオの腕にすっぽり収まってしまう。離れようとしても、転んだら国際問題だ、少しの心配もないほうが良い、と過剰に心配され抱き込まれる。なんだろう、レオから良い匂い。

 高級ホテルであろう建物の、スイートルームかな。ワンフロア貸し切り? 

「ここ、国営の特別ホテル。僕たちが仲良くなるために警備もかねてフロア貸し切りにしているよ。ゆっくり二十日間過ごそうね」

 また頭にキスが降る。

「あの、日本ではキス、めったにしないんです」

 困って声をかける。

「知っているよ。でも、ここは愛の国フランスだ」

 今度は頬にキス。頬を抑えて赤面すると、また何かフランス語で言っている。言葉の勉強、してくれば良かった。

 二十日間使用する部屋の指紋認証とピアスの登録をする。コレはどこの国も共通だな、と思った。エレベーターも指紋とピアス認証が無いとこのフロアの出入りができないと説明を受ける。広い部屋。寝室が三つある。一つを僕。一つをレオが使う。警備の人は同フロアの他の部屋。レオが荷物も運びこんでくれた。部屋を見回す僕の前に膝をつくレオ。左腕を持ち上げて、キスをする。左腕、動かせないけど感覚はある。何?

「とても大変な思いをしたね。世界に一人しかいない大切な君と君の鳥がケガを負ったと聞いて、心配で悲しくて涙が止まらなかった。今日、リョウの姿を見るまで心が張り裂けそうな思いだった。リョウと会うのは成人してからの予定だったけど、早めて良かった。可愛いオレンジ色の姿を見られたしね」

 僕の左腕にキスをして、僕の小鳥を見上げるレオ。温かい言葉に、優しさに心が満たされる。

「これからは、僕を恋人のように、家族のように、兄のように思ってくれ。かけがえのないリョウ」

 日本での孤独に疲れる日々だった。僕の存在が物扱いで苦しかった。レオの優しさに救われる。

「僕の、兄弟に、なってくれるの?」

「もちろんだよ。恋人お兄ちゃんだ」

 嬉しくてレオに抱き着いた。僕の小鳥が驚いている。あぁ、ごめん。「びっくりするだろ!」と怒る小鳥に涙目で謝る。そんなオレンジの小鳥を、控えめにツンツンくちばしでつつくレオの鳥。首をかしげながら目線を交わす二羽。レオの鳥は成鳥していて僕の鳥よりやや大きい。二羽を眺めてレオと笑いあった。

 ソファーに置いた僕のバックについているピンクのキーホルダーが、キラキラ揺れていた。


 その日は、レオとお互いの話を一時間ほどしながら眠ってしまった。いつ寝たのか分からなかった。気が付いたら服はパジャマで、ベッドに居た。レオが、寝落ちした僕を着替えさせたと言った。恥ずかしいから、今度は起こしてよ、と声をかけると、兄弟だからいいんだよ、と頬にキス。朝からフランス流だ。こそばゆい。


 日中は市内の観光地をゆっくり回った。初日はエッフェル塔。二日目がノートルダム大聖堂。三日目にシャンゼリゼ通りと凱旋門。ここ数日は、優しいレオと楽しく過ごしているけれど、旅行疲れか倦怠感が強い。熱っぽくて下腹部の鈍痛もあり、たくさん観光できない。移動中の眠気に負けてしまう。気が付くとホテルのベッドで寝ている。

 四日目の今日はサクレクール寺院。藤原君が言ったように日差しが強くてサングラスをしている人が多い。藤原君の顔を思い浮べて、胸がドキドキする。着けようかな。カバンからサングラスを取り出す。初めてのサングラス。かっこつけているみたいに見えないといいな。選んでいた時の藤原君を思い出し、クスリと笑う。自然とピンクのキーホルダーを触る。僕の鳥が、頬にすり寄る。

「似合っているね」

「あ、空港で買ってもらったんです」

 嬉しい褒め言葉に、頬が熱を持つ。

「だれに?」

 急に声のトーンが冷たくなる。え? レオを見上げる。青い澄んだ瞳が真っすぐ見下ろしている。

「あの、同級生、に……」

 何故か身動きが取れず、返答に困る。さっとサングラスがとられる。

「あ! レオ、それ返して!」

「コレは僕が預かるよ。代わりに僕が、買ってあげる」

「だめ! それは、だめ!」

 必死に右手で取り返そうとする。急にレオがカシャンとサングラスを落とす。直ぐに拾おうとするが、目の前でレオの足が踏みつぶした。

 ガシャンと割れるサングラス。え? なんで? 割れたサングラスを座り込んで見つめる。今、レオが、何をした? 怖くて、驚いてサングラスから目を離せない。

「あぁ、ごめん。うっかり踏んでしまった。ごめん。本当にわざとじゃないんだ。リョウ、許してくれ」

 目の前に悲しそうなレオ。優しく謝ってくれる。本当に、うっかり? ちょっと怖くなった。割れたサングラスを一緒に拾い集めてケースに入れてくれるレオを見て、手が滑ったんだ、と思うようにした。空港での藤原君を思い浮べて、心がズキっと痛んだ。何となく、ピンクのキーホルダーは絶対に守ろう、と僕の鳥と目を合わせて静かにうなずき合った。


 それから数日は、レオはとても優しいお兄ちゃんだった。あのサングラスの件は、本当に手が滑っただけなのかも。僕が変に怖がったらいけないよね。同じように首をかしげる僕の鳥と不安を分かち合った。


 フランスに来て一週間。朝から熱と倦怠感で動けない。だるさと、下腹部の鈍痛に、身体をくの字に曲げる。ベッドから出られなくて、うなりながら一日を寝て過ごす。

「大丈夫?」

 心配そうなレオを見る。笑顔を向ける余裕がない。頭がぼんやりしている。額の汗を拭いてくれる。僕の身体の中で何かが変わっているような感覚。苦しい。

 初めての旅行だし、日本と気候も風土も違うから仕方ない、ゆっくり休んで、というレオの声が頭に響いた。

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