Case:1 逆手デパート


「バカ野郎!! 境にほいほい飛び込んでいくやつがあるか!!」



事務所の前の通りを歩きながら、陽明は怒鳴った。

周りを行く人がびくりとこちらを振り返る。



「ごめん……」



花は首をすくめると言った。

まだ少し手が震えているようだ。


つながりの糸という常人には見えないものを見はするものの、

境ほどに全身でこの世ならざるものを感じたのは初めてだったのだろう。



「ったく……。まあ、これであの子どもが鬼隠しに遭ってることは分かった。

 お前の予想通り、家出じゃなかったみたいだな」

「あの着物姿の女の子……、この辺りの子、じゃないよね?」



花は赤い着物を身にまとった少女の姿を思い出す。


時代劇でしか見たことのないようなおかっぱ頭に、

子どものものとは思えないしわがれた声。



「人間じゃ、ないよね、たぶん」

「まだ何とも言えねえが、境は本来人間の居場所じゃねえからな」

「あの子がこうたくんを……」



花はきゅっと口を引き結んだ。


こうたはやはり、家出でも迷子でもない。

人ならざるものに魅入られ、そしておそらく、迷い込んだ。

これが、鬼隠し――。


花の脳裏に、こうたのうつろな瞳がよぎる。



「まあ、とりあえずは示された鍵を追うしかねえな」

「鍵?」



花が顔を上げる。

陽明は歩きながら続けた。



「屋上遊園地。今じゃそう残ってるもんじゃない」



陽明が花に向けたスマホには、

町はずれにある、古いデパートのホームページが示されていた。



◇◇◇


デパートは隣町と接する交差点の一角に立っていた。


デパートが建った頃は土地開発が盛んで

この辺りにも高層マンションやら商業施設やらが多く集まったものだったが、

今ではすっかりと寂れてしまいシャッター街になっている。



「ここ、私も幼稚園の時におじいちゃんに連れてきてもらったことがある。

 懐かしいなあ」



花は目を細めてデパートを見上げた。


クリーム色の外壁は長年塗り直していないこともありすっかり色が褪せ、

全体的に灰色に沈んでいる。


デパートには立体駐車場も併設されているが、車は殆ど止まっていない。



「逆手デパート、ね」



陽明は呟くとすたすたと入り口に向かって歩いていく。


花は慌ててその後を追いかけた。




屋上遊園地は境で見たものよりだいぶ寂れていた。


遊園地と言っても、置かれている遊具と言えば

ところどころ塗のはげた動物の形の乗り物だけで、

あとはいつから閉まっているのか分からない売店と、

地面にところどころ残った錆びた留め具があるだけだった。



「あれだな」



陽明はそう言うと屋上の隅の方に目をやった。


そこには木製の小さな祠があった。

広々とした屋上の中で、そこだけ切り取られたかのように異質に見える。



「これ、祠だよね? なんでこんなところに……」

「元は下にあったのを、デパートを建てる時に移してきたんだろうな」



そう言うと陽明は祠に近づいた。


木製の小さな祠は黒ずんで乾いており、供えられているものもない。

もう何年も参拝する者がいないらしく、すっかりと荒れてしまっていた。


コンクリートの隙間からはみ出た雑草が伸び放題になっており、

祠を隠してしまっている。


祠の中を覗き込んだ花は、あれと声を上げた。



「このお地蔵さん、子どもを抱えてる」



陽明はちらりと花の方を見ると、ああ、と呟いた。



「子安地蔵だな」

「子安地蔵?」

「水子供養や安産祈願、それから子どもの成長を祈願する地蔵だよ。

 そして子安地蔵は」



そこまで言うと陽明はフェンス越しにデパートの下の道路を覗き込んだ。



「辻に置かれることが多い」



デパートは丁度道路が十字に交わる箇所の一角に建っていた。

信号が青になり、大型のトラックが数台、列をなして通り過ぎていく。



「なるほど、ここに境が開くわけだ」



陽明はそう言うと頭を掻いた。

花が首をかしげる。



「辻ってのは昔から怪談や神事の舞台になりやすい。

 まあ村と村の境界だからって理由だったり、

 人の集まる場所だからって理由だったりいろいろあるんだが――、

 要するに境とは相性がいいんだ」


屋上は風が強い。

陽明は顔周りにかかる髪をかき上げて続ける。



「さらに言えば、ここの地名だだな」

「地名って……逆手?」



ああ、と陽明は忌々しげに頷いた。



「逆手はサカテ。

 これはもともと邑境を意味する言葉だ。

 境界という意味を持つ土地、

 しかもあの世とこの世が混ざる四辻に建つデパート」



陽明は再び眼下の交差点へと視線を向けた。

子どもを乗せた自転車が、危うげに交差点を曲がっていく。


「あの境で見た光景から察するに、あの子どもがここに居たのは夕方。

 夕方は黄昏ともいうが、誰そ彼とも書く。

 物事がその輪郭を失う時間帯だ。

 ここまで条件が揃えば――」

「ストップストップ!」


花は両手で陽明の前に大きくバツを作った。

陽明は面倒くさそうに花を見る。



「いろいろろ難しくてよくわかんないんだけど、

 要するにこうたくんはこのデパートの屋上で、

 境に迷い込んじゃったってこと?」

「……まあそうだな」



陽明は大幅に簡略化された花のまとめに若干不服そうにしながらも頷いた。



「でも、このデパートで夕方に遊んでただけって理由なら、

 他にもそんな子いそうじゃない? 

 どうしてこうたくんだけ?」

「それはたぶん――」

「おや、お二人もこの屋上遊園地を見納めにいらしたんですか?」



陽明の言葉を遮ったのは、作業着を着た老人だった。

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