Case:1 櫛

陽明の言葉を遮ったのは、

所々しみのついたクリーム色のエプロンを着けた老人だった。

髪の薄くなった頭を手で撫でている。

デパートのスタッフだろうか。



「見納め、とは?」



陽明が聞き返すと老人はおや、と眉を上げて見せた。



「このデパート、明日閉まるでしょう? 

 だから最期に見にいらしたのかと、いや、違いましたか。これは失礼。」

「閉店するのか?」



意外にも勢いよく尋ねたのは陽明だった。

老人は戸惑いつつも頷く。



「あの地蔵は? あれはどうするんだ?!」

「へ? ああ、もう参拝する人もいませんし、

 取り壊す話になってると思いますがね……」



陽明は、そう聞くと難しい顔で黙り込んでしまった。

老人は困ったように頭を掻く。


次に口を開いたのは花だった。



「あの、私たち男の子を探しているんです。

 こうた君っていう、小学生の男の子なんですが、知りませんか?」



花はそう言うと、学生鞄の中から陽明に見せた集合写真を取り出して見せた。


老人は写真を受け取ると目いっぱい腕を伸ばし目を細めていたが、

やがて、ああ! と言うと手を打った。



「この子ならよく来てましたよ。毎日毎日、夕方くらいまでずっと一人で」

「ほんとですか?!」



今度は花が食いつく番だった。


老人は花の勢いにやはり若干気圧されながら頷く。

老人はこの風変わりな二人連れに声を掛けたことを後悔し始めていた。



「けど二週間前くらいからかな、ぱったり来なくなってしまってね。

 心配してたんですよ。

 そうか、あの子、こうた君っていうんですか」



老人は遠くを見るように目を細めると言った。



「昔は母親と来てたんだが、ある時から一人きりで来るようになってね。

 ちっとも笑わなくなってしまった。寂しい子ですよ」

「おじいさんはいつからこちらで働かれているんですか?」

「もうずっと前から。

 こうたくんにアイスクリームを売ったこともありますよ」



そう言うとおじいさんは懐かしそうに売店の方を見やった。

すっかり色の褪せたブルーシートが売店をショーケースごと覆っている。

そう言えば、老人のエプロンにも売店と同じロゴが縫い付けてある。



「このデパートができたばかりの頃は毎日子どもたちが遊びに来ていてね」


そう言って老人は懐かしむように目を細めた。


「休みともなれば親に手を引かれたこどもがアイスクリームをねだったもんだ。  

 兄弟で一個しか買ってもらえないような子には、

 一つ内緒でサービスしたりね……」

「オープン当初から働かれていたんですね」


花が言うと、老人はほほ笑んだ。

細い目が、夕焼けの迫る空に向けられる。


「あの子たちを、きっと見つけてやってください。

 お嬢ちゃんがそうやって一生懸命探してくれているんなら安心だ。

 そうそう、どうぞ、これを」


老人はそう言うと花に向かって手を差し出した。

思わず両手でそれを受け取る。

見ると、小さな櫛が一つ、手の中に納まっていた。



「おじいさん、これ――」



顔を上げた花が言いかけると、老人の姿はすでに消えていた。



「え? あれ?!」



きょろきょろとあたりを見回したが、

さっきまでそこにいた老人の姿はどこにもない。

花は相変わらず黙り込んでいる陽明の肩を揺さぶった。



「陽明! さっきのおじいさんは?!」



陽明はそこで初めて気が付いたように、顔を上げるとこともなげに言った。



「行ったみたいだな」

「行ったって、どこに? 一瞬で消えちゃったよ?!」



陽明はアイスクリームの売店に目を向けた。


「花、このアパートができたのは今から八十年以上前だ」

「それがなんの……」


そこまで言って花がはっとしたように口をつぐむ。

陽明は頷くと、すっかり夕焼けに染まった空を見上げた。

色の白い横顔が橙色に染まっている。



「それこそ『見納め』に来たんだろうよ」



花も釣られて空を見上げた。

夕焼け小焼けのチャイムが流れ出し、黒い鳥の影が群れになって空を横切る。

花は掌の櫛を握りしめた。



「お前、それ……」



陽明が花の手の中の櫛に気が付きため息をつく。



「いいか、人から、いや、人じゃねえものからも、

 ほいほい物を受け取るんじゃねえ!」



叱られた花が小さく首をすくめる。



「な、なによ! しょうがないじゃんくれたんだから!」

「だからお前は不用心なんだ! 境のことと言い……」

「それはさっき謝ったじゃん!」



二人の諍いが夕暮れのデパートの屋上に響く。


逆手デパートは戦前から続く長い歴史に幕を下ろそうとしていた。

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