Case:1 鬼隠し専門の探偵


「嫌だ」


渡陽明(わたり・ようめい)は

広げた新聞から顔を上げることもせず短く答えた。



中古のデスクチェアが腰の下でぎいと嫌な音をたてる。


男は、夏だというのに

葬式帰りのような黒のスリーピーススーツを身に着けている。


対照的に白い首筋は少年のように細く、

無造作に伸ばした黒髪を適当に束ねていた。


栄養不良のように青白い顔は少年のようなあどけなさを残しているが、

切れの長い目だけが不釣り合いに鋭い光を放っていた。



「そこをなんとか!このとーり!」



陽明の机に腰を掛けて拝むポーズをとっているのは、

河守花(かわもり・はな)、河北高校に通う2年生だ。


肩の下で切りそろえられた髪を揺らし、

併せた両手を参拝よろしくぱんぱんと音を立ててたたく。



「やめろ、ここはてめえんちじゃねえ。探偵事務所だ」



陽明が低く唸ると花はちろりと舌を出し机から降りた。

夏服になった制服のスカートを両手ではらうと、くるりと陽明に背中を向ける。



「じゃあ、この建物の家主代理、

 河守神社の未来の神主として言わせてもらおうかな」



「家主」という言葉に陽明の新聞をめくる手が止まる。



「貸借人、渡陽明! 

 この案件引き受けてくれたら、滞納してる家賃3か月分、

 ちゃらにしちゃいます!」



暫くの沈黙の後、大きなため息と共に新聞が折りたたまれ、

花は満面の笑みで振り返った。


この事務所の入るビルは、裏手にある河守神社、

花の実家の持ちものだった。




◇◇◇


「えーと、鬼隠し専門探偵事務所……?」


所々ほつれた革張りのソファに浅く腰かけると、

花は陽明から受け取った名刺を読み上げた。


名刺に書いてあるのはそれだけで、名前はない。



ワンルームの事務所は物が少なく、目立つ家具と言えば

陽明が先ほどまで新聞を読んでいたワークデスクと

今花たちが座っている古いソファ、ローテーブルだけだった。


部屋の端にある小さなキッチンには電気ケトルが置いてあるだけで、

冷蔵庫や調理器具は一切見当たらない。


他に部屋はなく、生活感の全くない空間に、

花は今更ながら気後れし始めていた。



急におとなしくなった花を前に、

陽明はこめかみを押さえるとため息をついた。



「お前、何も知らないで来たのか」



花は名刺を両手で持ったままこくこくと頷いた。



「鬼隠し――、神隠しって言った方が馴染みがあるかもな。

 ここはそれを専門にした探偵事務所だ。

 浮気調査とか、盗難とか、そう言うのは受けてねえ。

 それから、家出少年の保護もだ」



鋭い目にぎろりとにらみつけられて、

花は慌てて両手を顔の前でふった。



「家出じゃないんだってば――」



花の話では、毎日のように神社に遊びに来ていた小学生の男の子が一人、

姿を見せなくなったらしいのだった。


暫くは花も遊ぶ場所が変わったのかな、くらいに思っていた。


しかし、先日同じ小学校の子供たちから

その子が2学期が始まってから一週間も学校に来ていないのだと聞き、

心配になっていたところ、

時々家賃の回収に訪れていたこの事務所を思い出したのだった。



「一週間ねえ……。親は?」



花から差し出された写真を一瞥すると、陽明は興味なさそうに尋ねた。


写真は小学校の校庭で撮られたらしい集合写真だ。


入学式か何かのときに撮られたものらしく、

同じ年頃の子供たちが二十人近く、列を崩して並んでいる。


その一番端、ちょうど校庭の端の木陰に潜むように映った少年の顔あたりに、

ピンクとオレンジのチェック柄の付箋が一枚貼られていた。



「一応子どもたちに家の場所を聞いて行ってはみたんだけど

 誰もいなくて……」



存外行動力のある花に陽明は顔をしかめた。

陽明はこの手のおせっかいなタイプが苦手だった。


花は不安げに目の前の写真の少年を見つめている。



「で、なんで家出じゃないって言いきれんだ。

 家に誰もいないってんなら旅行かもしれないだろ」



陽明にじっと見据えられ、花は、それは――と口を開きかけた。

視線をさまよわせ、すぐに口ごもってしまう。


先ほどまでの快活さはすっかり影を潜めている。


暫く膝の上で何度か細い指を回していたが、

思い切ったように突然顔を上げると言った。



「それは――!」

「それは?」

「なんとなく、です!!!!」



勢いよく言い切った花を陽明の冷ややかな視線が見つめる。


花は冷たい汗が頬を流れるのを感じる。

重苦しい沈黙の中、エアコンのぶうんという唸り声だけが響いている。



「なんとなくか」

「はい……」



暫くの沈黙のあと口を開いた陽明に、

比較的身長の高い身体を小さく丸めて花は答えた。



「で、でも、なんとなくはなんとなくなんだけど、

 こう、なんていうか、シックスセンス的な何かっていうか、

 ただの勘っていうよりも、もっと確実な勘っていうか……!」



目の前でひらひらと手を振りながら慌てて花が付け足す。

陽明の視線はますます冷たく、花は視線を逸らすとうつむいた。



「糸が」

「いと?」



陽明に鋭く聞き返され、しばらく迷っていた花だったが、

観念したように、そう、と静かに答えた。


その瞬間、花の雰囲気がすっと変わったのを陽明は感じた。

まるで花のいる部分だけ暗い影に入ってしまったように。



「あの子に結びついてる糸――もちろん本物の糸じゃなくて、

 皆が誰かと結びついてる、そういう糸がね。

 あの子のはすごく細くて、たった一本しかなくて、

 今にも切れちゃいそうだったの。

 それでずっと気になってて……」



って、わけわかんないよね! 花はそう言うと打ち消すかのように笑った。


明るく振舞っているが、膝の上で握りしめた両手が小さく震えている。

先ほどいい澱んでいたのはこれだったか。



「そんなこと言われても、信じられないよね――」

「信じるも信じないもないだろ」



花の言葉を遮るように陽明が口を開いた。



「てめえが在ると思うなら在るんだろ。

 この世はそういう『わけわかんない』もので溢れてる。

 俺が扱うのはそういう仕事だ」


花は陽明を見つめたまましばらく何も言えないでいたが、

そっか、というとふわりとほほ笑んだ。


名前の通り、つぼみがほころぶような笑い方だった。



陽明はおもむろに立ち上がると

ソファの背にかけてあった黒のジャケットを羽織った。



「え、ちょっと、どこに……!」

「調査だ調査。

 まずは神社だな、運が良けりゃ同級生ってやつらにも会えんだろ」



相変わらずけだるげな陽明の言葉を聞き、花は勢いよく立ち上がった。



「受けてくれるの?!」

「家賃3か月分、忘れるなよ!」

「ありがとう陽明!」



思わず駆け寄り抱き着こうとする花の頭をつかみ陽明が引きはがす。

ばたばたと両手を振り花が抵抗する。



糸が視える、か――。



花の抗議の声を無視しながら、陽明は事務所の扉に手をかけた。

ふと、首筋の産毛が逆立つような嫌な感じを覚える。



陽明はドアノブを回した。

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