Case:1 帰りたい

境が、揺れた。



「何これ、地震?!」

「――な、わけ――、か」



陽明の声がぶつりと音を立てて途絶える。

激しく揺れる地面が、ぱくりと割れた。



地面から噴き出したのは黒い、影、いや手だった。


それは確かに手のような形をしていて、

割れた地面から幾本も吹き出しこうたと少女に絡みついた。


黒い腕は二人をからめとろうと四方から伸び、

その身体をずるずると引きずり始める。



「……何をしている」



少女は驚いたような表情で花を見あげた。


花は二人の身体を力いっぱい引っ張っていた。

黒い腕から二人を引きずり出そうと、二人の手をつかみ身体をのけぞらせる。


黒い腕は地面を走り花の身体にまとわりつく。

花は顔にまで巻き付こうとする黒い腕を振り払いながら叫ぶ。


「こうた君、聞こえる?! 私お母さんに会ったの。

 全部じゃないけど、こうた君がどんな思いをしてきたのか、少しわかる」


黒い腕はその本数をどんどん増やし、

少しずつ三人の身体は腕の根元の方へ、境の割れ目へと引きずり込まれていく。



「誰も、僕のことなんか気にかけてない」



こうたが言う。

黒い腕に覆われた身体は、今や顔の一部しか見えない。



「誰にも必要とされていない」



こうたの声に少女の声が重なった。

まるで熱に浮かされたような、おぼつかい声だった。

花ははっとして顔を上げる。



身体じゅうにまとわりつかれた黒い腕のせいで、

いまや二人は殆ど顔しか見えていなかった。

表情の失われた顔の上で、口だけが不自然に良く動く。



「誰にも愛されていない」



こうたと少女の混ざった声が、不自然に大きく聞こえる。



「誰も覚えていない」



声は続く。



一緒なのだ、と花は気が付いた。

気にかけてもらえず、

一人ぼっちであの屋上デパートに閉じ込められていたこの二人は、

同じ孤独を抱えている。



『意識されない者は存在できない』



陽明の言葉が花の脳裏によみがえる。


違う! と叫ぼうとして花は必死に口を開いた。

しかし黒い腕は今や空間を満たす水のように、三人を飲み込んでいた。


花は腕と腕の間で息継ぎをするように必死に顔をあげ、

二人に向かって手を伸ばす。

大小さまざまな腕が、三人を求めて伸び縮みしている。


こうたと少女の顔がゆっくりと腕の中に沈んでいく。



『だからもう、消えてしまいた――』



ふと、声が沈黙した。



黒い腕の隙間で、かすかに開いた二人の唇が、そのまま静止している。

全身で腕の中にもぐりこんだ花が、

こうたと少女の目を両手で覆っていた。


「ねえ、みえる?」


花が言う。

こうたと少女は、あ、と小さく声を漏らした。



二人の目には幾本もの光の筋が見えていた。

そのうちの一本は花と少女、こうたの胸を強く光りながらつなげている。


「これはね、人と人の繋がりの糸。

 誰かがあなたを想い、そして、気持ち」



花は少女に向かって語り掛ける。



「私、こんなにたくさんの糸、初めて見たよ。

 あなたが想ってきた子どもの数なんだね」



少女の瞳には、幾本もの光の筋が発するきらめきが反射していた。

少女の脳に、場所を変え、時代を変え見守ってきた子どもたちが

賑やかな声をあげて駆け抜けていく。



「でも、だって、僕にこんな糸あるはずないよ。

 僕、ひとりぼっちで……」



口を開いたのはこうただった。

そこにはもう少女の声は重ならなかった。



「それは違うよ」



花は静かに首を振る。



「誰も本当には一人ぼっちにはなれないんだよ。

 誰かと、必ずどこかで繋がってる。

 こうたくんが求めてる繋がりじゃないかもしれないけど、

 でも、やっぱり繋がってるの」



こうたは何も言わない。

ただ、小さな喉がひくりと動いた。



「繋がりは自分で作れるよ。

 今は子どもで、何もできないと思うかもしれない。

 けど、これから先、こうた君が求めるような繋がりは、

 こうた君自身で作れるんだよ」



伝わっているのかは分からない。


けれど、花の持っている言葉で、できる限り誠実に伝えたかった。

黒い腕はその間も三人を飲み込もうと絡みつく。

花の声がかすれる。



「ねえ、こうた君。帰ろう」



うん、と小さな声が漏れた。



「僕、帰りたい」



しかし、黒い腕はもはや完全に三人を飲み込んでいた。


花は視界が暗くなるのを感じる。

痛みはなかった。

ただ、ひどく、寒い。



「わしに説教など、千年早いわ」



薄れていく意識の中で、少女の声を聴いた気がした。




◇◇◇


強い光が瞼越しに飛び込んできて、花は顔をしかめた。

ひどくこちらを呼ぶ声がする。


「――い! おい! 聞こえるか!」


陽明だ。


花は声を上げようとして息ができないことに気が付いた。


辺りは真っ暗で、まるで水中にいるかのようだった。

身体に暗闇がまとわりつき、手足を動かすのが難しい。



陽明は花の見ている景色が見えているようで、頭の中で怒鳴り声をあげる。



「お前見えてんだろ、その光る糸を辿れ! 

 手を伸ばして最初に触れたものを掴め! 

 いいか、絶対に放すんじゃねえぞ!」



花は頷いた。


両手にこうたと少女を掴んでいることを思い出し、二人の方を見下ろす。

こうたはすっかり気を失っているようだった。


花は強くその手を握り直した。



その時、するりと、反対の手が外された。



花は慌てて先ほどまで握っていた左手の先を見る。

手を離したのは少女だった。



(待って! どうして!)

(阿保め、両手がふさがっておったら何も掴めんじゃろうが)



少女の身体に黒い腕が絡みつく。

少女は抵抗しなかった。

赤い着物が鮮やかに、暗い底の方へと沈んでいく。



(安けくあれよ、子どもたち)



花は必死に手を伸ばした。


空振る指の先で少女がほほ笑む。

それはまるで母親が子供に向けるかのような、優しい、ほほ笑みだった。



少女を完全に飲み込んだ黒い腕が、今度はこちらに向かって迫ってきていた。


花はぐいと前を向くと、光の先に向かって思い切り手を伸ばした。

思い暗闇をめちゃくちゃに両脚で蹴り飛ばし、

腕が外れるのではないかと思うくらい、光へ、その先へ手を伸ばす。


腕の筋がぴんと張り、つま先に黒い腕が絡みつく。



指先に、何かが触れた。

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