後編
「お前、何も持っていないじゃないか」
男の人は目を細くして、私を見下ろした。
「あ、あなたはなんで、こんな所に……?」
「知るかよ。気が付いたら、ここに閉じ込められていたんだ。お前たち人間が閉じこめたんだろうが」
「人間……? あなただって、人間でしょう?」
「フン。人間はすぐに死ぬだろう。俺は、ガキが年老いて死に、その子供もまた年老いて死んでいくのを、何度も見てきたんだ。お前らみたいな下等なものと一緒にするな」
「じゃあ、あなたは……何なんですか?」
「さぁな。覚えていない。人間どもは、マガツヒサマとか、カミサマと呼んでいたな」
そういえば、こんな金色の目をしている人は、見たことがない。
——まだ人間じゃないなんて信じられないけど、マガツヒサマ、カミサマ……。もしかしてこの人が、おばあちゃんが言っていた神様なの?
図書室で神話の本を読んだ時に、似たような名前を見た気がする。たしか、
——願いを叶えてくれる神様なら、禍津日神とはまた違う神様だよね……?
「あーあ。久しぶりに美味いものが喰えるかと思ったのに、何も持ってこないとはな。言っておくが、
「供物って……お
私が訊くとカミサマは
——え……?
暗がりに、白い塊が積み重なっているのが見えた。
長細いものや、平べったいもの。それに、穴が2つあいた丸いものがある。
「あれって……もしかして……。人間の、骨……?」
「あぁ。あれは硬いから喰わない」
「硬いからって……。まさか、あ、あなたが……食べたってこと、です、か?」
「あれは供物だ。喰うに決まっているだろう。持ってくるなら赤子にしろよ? 大きくなったのは硬くてまずいからな」
喉の奥が閉まっているような感じがして、うまく呼吸ができなくなった。
——人間を、赤ちゃんを、食べた……? 嘘でしょ? そんなの、聞いてない。なんでこんな所へ来ちゃったんだろう……!
「なぜ怯えた顔をする?」
カミサマは私の顔をじっと見つめた。
「だって! 人間を……食べるなんて!」
「だからどうした」
「人間は、食べ物じゃない! あの子たちは、生きていたんでしょ?」
「人間も生きているものを喰うだろう。それなのになぜ、人間は喰い物じゃないんだ?」
「何で、って……」
「俺にとっては豚も魚も人間も同じ、ただの供物だ。大体、赤子を供物だと言って寄越すようになったのは、人間だぞ?」
「そんな……嘘よ」
「嘘じゃない。他の味を忘れてしまう程長い間、俺は赤子しか喰っていない。それはこの村の人間どもが、赤子しか持ってこなかったからだ。雨を降らせてくれ、作物がたくさん育つようにしてくれ、流行り病を治してくれ。そう願う度に、人間どもは赤子を供物として、俺に寄越したんだ」
「……酷い……」
私が言うとカミサマは、ハハッ、と声をあげて笑った。
「愚かな人間どもの考えそうなことだ。お前が今言ったように、自分たちが酷いと思うからこそ、効力があると考えたんじゃないのか? あいつらは自分たちが生き残るために、赤子の命を犠牲にしたんだよ」
——犠牲……。
生贄になった子供と自分が重なった。なんて自分勝手な親たち。どうして、何も悪いことをしていない子供が、苦しまないといけないのだろう。子供を犠牲にして、自分たちは楽をしようなんて——許せない。
「面白いやつだな、お前」
私が顔を上げると、カミサマは笑みを浮かべて私を見ていた。
「お前も願いがあって、ここへ来たんだろう? 叶えてやるかどうかは分からないが、暇つぶしに話だけ聞いてやる」
「えっ……。私は、あの……助けてもらえるかなと思って、来ました……」
「助ける? 何から助けるんだ。どうやって?」
「どうやって……ええと……」
そこまでは考えていなかった。ただ、母さんに言われた通りに施設に入るのが嫌で。あの怖い人たちから逃げたくて。それだけだった。
「それに、助けてほしいだけなら、なぜ、そんなに邪気を
「……分かるんですね」
「見れば分かるだろ。お前が纏っている黒紅色は、怒りの色だ」
——人間には視えないものが、視えているみたい。この人は、本当に神様なんだ……。
「たしかに、怒っています。私も、あの子たちと同じだから……。学校から帰ったら、家の中のものが全部なくなっていて、家族もいなくて。養護施設に……親のいない子供が行く場所があるんですけど、そこへ行けと書いてある紙だけがあって……。
頼んでもいないのに私を作って、捨てるなんて……! すごく自分勝手だと思います。しかも、弟は連れて行ったくせに、なんで私だけ! いらないからって捨てられた私は、あの生贄になった子供たちと一緒だなと思って、怒っています」
「ふ〜ん、そうなのか。じゃあ、あいつらも怒っていたんだな」
カミサマは、牢屋の奥にある骨の山に視線を向けた。
「当たり前です! あの子たちはもっと生きたかったはずです!」
「なるほどな。それで、お前はどうしたいんだ? あいつらはもう死んでいるが、お前はまだ生きている。怒りを感じているのに、何もしないのか?」
「何も、って……。文句を言うってことですか? でも、どこにいるかも分からないのに……」
「ハハハッ! そんなことでいいのか! お前の怒りは、大したことがないんだな。捨てられたのは腹が立つが、仕方がない。その程度か!」
身体の奥が、一気に熱くなった。
「そんなことはありません! ずっと家族だと思っていた人たちに、物みたいに捨てられたんです! もう何も信じられないし、私には帰る場所もない! 悔しくてたまらない! 私が今苦しいのと同じように、あいつらも苦しめてやりたい!」
自分でも驚くほど大きな声で叫ぶと、温かいものが頬を伝っていった。それは顎から滴り、手の甲へ落ちていく。それを見て、やっと自分が泣いているのだと気が付いた。
——捨てられたと分かった時も涙は出なかったのに、どうして今、涙が出るんだろう……。
「それがお前の本当の願いだ。さぁ、これからどうする?」
「私はまだ子供だから、何もできないんです……! 人間は大人にならないとお金を稼ぐことができないから、あの人たちを探すこともできない……!」
「それなら、頼ればいいだろう」
「え……?」
「自分ができないなら、手伝って貰えばいい」
カミサマは意地悪な笑みを浮かべながら、低い声で
「俺は対価があれば、願いを叶えてやるぞ?」
「対価……。でも、私は何も持っていません。全部なくなっていたから……」
「それは知っている。だから、俺をここから出すことを対価として受け取ってやるよ。もちろん、お前でも簡単にできることだ」
「出すだけ……ですか」
「あぁ。俺はこの首に巻かれている布を、自分で外すことができないんだ。でも、人間なら外せる。お前がこれを外せば、俺は外に出られるんだよ。簡単だろう? その後は望み通り、お前を捨てた家族を◾️◾️◾️◾️◾️◾️◾️」
本当は、なんて言ったか聞こえていたけど、聞こえなかったことにした。
だって、カミサマは悪い神様だから。
願い事なんてしたら、私にも悪いことが起こるかも知れない。座敷牢の奥に転がっている小さな骨を見ると、身体が震える。
するとカミサマは、格子の間から顔と両腕を出して、私の目をじっと見つめた。ぶつかりそうな程近くにある金色の瞳が、酷く綺麗に見える。
「嬉しいか?」
「嬉しい……?」
その時、カミサマの瞳に、自分の顔が映っていることに気が付いた。私は目を細くしていて、唇の両端は上がっている。
——そうか。私、笑ってるんだ……。
さっき身体が震えたのは、怖いからではなかったのかも知れない。私を捨てた人たちに恐ろしい天罰が下る。自分の願いが叶うから、嬉しかったのだろうか。
——カミサマは私の願いを知っている。別に私がどうして欲しいと言ったわけじゃないんだから、何が起こっても、私が悪いことにはならないよね……。
私は、カミサマの首に巻かれていた赤い布を外した。
別に、きつく結んであったわけではなくて、ただ巻かれていただけの赤い布。本当に簡単なことだ。カミサマはなぜ、布を外すことができなかったのだろう。
「それでいい」
カミサマが微笑むと、金色をした目の奥が光って見えた。
なぜだろう。あんなに怖かったはずなのに、今は恐怖なんて、まるで感じていない。捨てられたと分かった時の怒りも悲しみも、どこかへ行ってしまった。
今は、これから始まることが、楽しみで仕方がない。
ただ、それだけ——。
〈了〉
因習村の廃れ神 碧絃(aoi) @aoi-neco
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