因習村の廃れ神
碧絃(aoi)
前編
もうすぐ日が暮れる。
草だらけの山道を1人で歩いていると、ほんの少し前まで家族だったはずの人たちの声が、聞こえてくる気がする。
今朝は、どんなふうに家を出たんだっけ。
普通に朝ごはんを食べて、いつも通りに「行ってきます」と家を出たような気がする。それから中学校へ行って——。でも学校が終わって、アパートへ帰ってからが、いつもと違っていた。
私が帰ると、家の中のものが全てなくなっていた。
自分の部屋を
何が起こったのか理解できずに、呆然と部屋の中を眺めていると、手書きのメモが落ちていることに気が付いた。そこには、学校の近くにある児童養護施設の名前が書いてある。
「なんで、施設の名前を……」
メモに書いてある文字は、母さんの字だ。なんで母さんは児童養護施設の名前だけを書いたんだろう。
家具がなくなっていて、家にいるはずだった母さんと、3歳の弟もいない。でも私は、引っ越すなんて聞いていなかった。
そういえば——平日の朝なのに父さんがいた。いつもなら、私よりも早く家を出るはずなのに。
「もしかして私、捨てられた……?」
そうとしか考えられない。弟は連れて行ったのに、私は置いて行かれたのだ。私は、父さんと血が繋がっていないから……?
突然、ドン! と玄関の方から大きな音がした。
「笠原さーん! いるんでしょ?」
「借りた金は、返してもらわないと困るんですよねぇ!」
——お金? もしかして、お金を返せないから、私を置いて逃げたの……?
また、ドン! ドン! と大きな音が響いた。
「笠原さーん!」
玄関の外で、男の人たちが叫んでいる。2人共、すごく機嫌が悪そうだ。
——どうしよう……逃げた方がいいよね……?
私は静かに、ベランダから外へ出た。男の人たちに見つからないようにアパートの敷地を出て、そのまま中学校がある方へ走る。
段々と呼吸が苦しくなって、涙が出そうになった。どうしてこんなことになったんだろう。なんで私が逃げないといけないんだろう。
10分ほど走ると、メモに書いてあった児童養護施設の前についた。
同じクラスにも、施設から通っている子がいる。親がいなくても、施設にいれば、今まで通りに普通の生活ができるはずだ。
「ここで暮らしたいって、言えばいいのかな……」
私は門を開けようとしたが——手が止まった。
——なんで、私を捨てた母さんの言うことを聞いて、施設に入らないといけないの?
それに、あの怖い人たちがここへ来たら、私はどうなるんだろう。親でさえ私を捨てたのに、施設の人たちが私を守ってくれるとは思えない。
もしあの人たちに捕まったら、私は売られてしまうのだろうか。それとも、殺される……?
——そんなの、イヤだ!
その時ふと、おばあちゃんの話を思い出した。
今は誰も住んでいない山向こうの村には、願いを叶えてくれる神様がいると聞いたことがある。
「神様にお願いをしたら、助けてくれるかな……」
今までは神様なんて信じていなかった。だって、神様がいるなら、私はもっと幸せだったはずだから。こんなつまらない毎日を送ってはいないはず。
でも今は、いるかどうか分からない神様でも、信じてみたくなる。
もうすぐ暗くなるけれど、もう門限を気にする必要はないし、山の中で迷子になっても心配する人なんていないのだから、行ってみてもいいかも知れない。
——おばあちゃんが言っていたのって、学校の裏山のことだよね。
私は山の方へ向かって歩き出した。
◇
学校に着いて裏へまわると、山の中に続いている細い道があった。
山の向こう側へ行くのに、どのくらいの時間がかかるのかは分からないけれど、ここを抜けないと、神様がいる村には辿り着けないのだろう。
「考えていても、仕方ないか……行こう」
私は山の中へ入って行った。
コンクリートで舗装されていない道は歩きづらい。草だらけで、古くなった木が倒れている場所もある。
制服のままで飛び出してきたので、スカートの裾が枝に引っかかって、破れてしまった。足には傷が増えていく。
それでも、山の中で立ち止まるのは嫌だった。
こんな何もない山の中で、誰にも気付かれずに死にたくはない。それに、突然親に捨てられたのに、文句の一つも言えずに寂しく死ぬなんて、私が可哀想だ。
ずっと歩き続けて、辺りが夜の闇に包まれた頃。
急に、開けた場所に出た。月明かりがあるので、屋根のような三角のものがいくつもあるのが見える。多分ここが、おばあちゃんが言っていた村だ。
「どこかに、お祈りをする場所があるのかな。探してみよう……」
全く人けのない村の中。私が草を踏む音と、虫の鳴く声しか聞こえない。
そういえば、私は暗いところが怖いはずなのに、今は何も感じない。どうしてだろう。急に大人になったのか、それとも、星空と満月が綺麗だから、この暗闇と廃墟が気にならないのか——。
「ん? あの家……。明かりがついてる……?」
村の1番奥にある小さな家は、なんとなく明るく見える。
——誰もいないと思っていたけど、まだ人が住んでいるのかな。
それなら、どうやって神様にお願いをすればいいのかを、教えてもらえるかも知れない。そう思いながら近付いて行くと、明るく見える家は、他とは形が違っていた。それに、大きさも半分ほどしかない。
「あ、家じゃない……。お堂なんだ。じゃあ、ここでお願いをすればいいのかな」
私はお堂の扉を、そっと開けた。
「あれ……?」
お堂の中には、仏像や祭壇のようなものがあるはずなのに、何もない。中に入って見まわしてみても、やはり、何もない。
——おばあちゃんが言っていたことって、嘘だったのかな。本当に今日は、
思わずため息をつくと、一気に身体の力が抜けた。もちろん疲れもあるけれど、不運なことが続くと、全てがどうでもよくなってくる。
「もう眠って、全部忘れたい……」
夜の山の中を歩くよりは、このままお堂で眠った方がいいだろう。そう考えながらお堂の奥へ行くと、床板の隙間から光が漏れていることに気が付いた。
——どこが明るいのかと思っていたけど、もしかして、下にも部屋がある……?
しかし、お堂の中に階段は見当たらない。それに、扉もないようだ。どうやって下に行くのだろうか。
「変なお堂……。何もないし、下へは行けないし……」
私はその場に座り込んで、床板の隙間に爪をかけた。
すると——カタン、と音がした。それに、床板の一部が動いたような気がする。
——暗くてよく見えないけど、ここが入り口なのかも知れない。
私が埃だらけの床を両手で
床にあいた穴の下には、石段があるようだ。
「こんなところに、人が住んでるの……?」
どう考えても、まともな人ではないような気がする。それでも、神様にお願いをする方法が分からないと、苦労してここまで来た意味がなくなってしまう。
私は、ぼんやりとした灯りに照らされた石段を、ゆっくりと下りた。
地下にある部屋は、床も壁も石で出来ていて、ひんやりとしている。それに、白っぽい灯りが見えていたので、部屋の照明かと思っていたら、全く違っていた。
部屋の中には、丸い鏡がいくつか置いてある。その鏡に月明かりを反射させて、部屋の中を明るくしているようだ。ただ明るいだけで、人が住んでいるわけではないのかも知れない。
部屋の中を見まわしても、上にあるお堂と同じで、何も見当たらない。ただ、奥が木の
——お堂の下に牢屋があるなんて、変なの。
牢屋の奥は暗くなっていて、よく見えない。近付いて格子に顔を近付けると——。
「誰だ」と低い声がした。
「ひぃっ」
身体が
「なぜ怯える?」
暗い牢屋の奥に、金色に光る物が2つ現れた。それは、ゆっくりと私の方へ近付いてくる。
怖くて逃げたいのに、足に力が入らない。
そして、金色に光るものが格子の前まで来ると、それが男の人の目だと分かった。真っ白な髪が、月明かりに照らされて輝いている。長めの前髪は、猫のように大きくて丸い金色の目を、少しだけ隠していた。
男の人はたぶん、私より少し上。高校生か大学生くらいに見える。黒い着物を着ていて、首に巻いてある包帯状の赤い布には、黒い文字が書いてある。
こんな綺麗な顔立ちをしている男の人に会えば、いつもなら喜ぶはずなのに、今はなぜか、怖い——。
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