日没の魔女

山田とり

十秒後に沈む夕日に


 今晩はお惣菜だ。昼間にご近所のお葬式を手伝いに行っていたから、もうご飯を作る元気も時間もない。スーパーで買い物して帰ってきたら暮れ方だった。晩秋の日没は早い。

 まだ少し温いおかずの入った袋をぶら下げて歩いていると、近くの公園のベンチに座る人を見つけた。お向かいのお婆ちゃんだった。


「――どうしました」


 たまらずに声を掛けた。お婆ちゃんはぼんやりと振り向いた。


「あら。今日はお手数おかけして」

「とんでもない。今までたくさんお世話になったんですから」


 うちの子たちが小さかった頃。私が一番たいへんだった頃。子どもとおしゃべりしてくれた。私の愚痴を聞いてくれた。庭の柿をもがせてくれた。


「なんにも、ねえ。こっちは小っちゃい子がいるだけで楽しかったのよ」


 お婆ちゃんは目を細めて公園を見回す。ここで遊んでいた子どもたちのことを思い出しているのだろうか。今は誰もおらず夕日が真横から差していた。

 遠くまで散歩するのがつらくなってから、毎日ここに座っていた。お爺ちゃんと並んで子どもと木と花を眺めていた。一人になってからもそうだった。


「それでも私はありがたかったんです。あらためて、ありがとうございました」

「ええ、ええ。どういたしまして」


 風が吹いてケヤキの葉がザアと降った。お婆ちゃんの上にも舞いかかり、その影をスルリと抜けベンチに積もる。ベンチにお婆ちゃんの陰はない。とろりとした橙色に照らされた枯れ葉がカサと笑った。


「紅葉が見られたからもういいわね。次の桜、とも思ったけど、そうすると春の薔薇、紫陽花、ひまわり、コスモス、彼岸花。キリがないから」


 お婆ちゃんは魔法使いなの、と下の子が訊いたことがある。ヒョイと手の中に飴を出して渡してくれるから。エプロンのポケットに入っているのを私は知っていたけれど、でもやっぱり、この人は魔法が使えたんだ。夕映えの影うつし。お婆ちゃんの想い出だけがここに残り映し出されて。

 家々の屋根の端に太陽が隠れ始めた。私は黙って一歩下がった。

 これまでの幸せを想いながら、暮れゆく日にお婆ちゃんがにじんでいく、薄れていく。空に夜が降りてくる。

 この魔法はあと十秒で解ける。


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日没の魔女 山田とり @yamadatori

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