笑うセリヌンティウス

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笑うセリヌンティウス


「「「は~……」」」


 芹沼瑞樹せりぬま みずきG.W.ゴールデンウイークを利用して、大学の同級生2人と温泉旅行にやってきた。


 広い露天風呂に浸かり、3人同時に息を吐く。無色透明な、かけ流しの湯。

 近くで行われているイベントが賑わっているようで、温泉に他の利用客はいない。


「朝からめっちゃ走ったから、ほんま気持ちえぇわ~」


 関西弁を話すのは、相沢芽呂栖メロス

 ご両親が太宰治のファンだったために芽呂栖メロスと名付けられた、ちょっと不憫な男。


「ナニ言う? 走るハメになっタの、芽呂栖メロス、自分のせい」

「いや~、せやけど全力疾走してきてんで?」

「朝までゲームしてた、SNSあげてたデショ」

「まぁゲームはしとったな」


 カタコトで話すのは、留学生の王 亮ワン・リャン

 電車のチケットを持っている芽呂栖メロスが遅刻したせいで、旅行初日からやきもきしたことを咎めているのだ。


「『1人だけ足湯入られへん刑』受けたし、もう許してや」

「マダ『温泉のあと牛乳飲めナイ刑』も残ってルヨ」

「実際それが一番キツいで」


 予定の電車には間に合ったものの、精神的苦痛を味わったと、ワン芽呂栖メロスに対していくつかの罰を与えていた。


「なんか毎回、間に合う思てゆっくりしてまう」

芽呂栖メロス、そういうとこあるよな。

 だからって、電話口で『走れ、走るんやメロス!』とか自分に言い聞かせるのやめろよ」

「今こそ言う時かな~思て」


 芹沼せりぬまが言うと、芽呂栖メロスはカラカラ笑って答えた。


 4月から受けている一般教養の授業で、太宰治の『走れメロス』が取り上げられている。

 そのため3人はなんとなく、『走れメロス』かぶれとなってしまっていた。


「でも芹沼セリヌマ、『芽呂栖メロスは間に合うよ』って信じてたヨネ。

 ワタシまったく信じられなかったヨ、このヒト電話のムコウで鼻歌うたってたシ」

芽呂栖メロス、足速いからな。いつもなんだかんだ、間に合うし」

芹沼セリヌマは、芽呂栖メロスに甘すぎネ」


 ワンに言われ芹沼は、肯定も否定もしなかった。久々の穏やかな湯治に、妙な喧騒を持ち込みたくなかったのだ。


「つか、ワンが連休に予定空いてんの珍しいな」

「大体デートの予定入ってるもんな」


 芽呂栖メロスと芹沼が続けて言うと、ワンは風呂の縁に背中をあずけ、昼空を見上げた。


「セフレみんな切ったカラ……暇なのヨ」

「呆れたワンや。生かしてはおけん」


 琴線に触れたようで、芽呂栖メロスは空を仰ぐワンの顎をつまみ、ぐぐぐと指に力をこめた。


「いたイ! 童貞のヒガミ、ヤメロ!」

「童貞ちゃうわ!」

「ウソだ!」


 興奮したワンが湯の中からザバッと立ち上がり、芽呂栖メロスに覆いかぶさった。

 ワンとは15センチの身長差があるので、芽呂栖メロスは簡単にバランスを崩す。お湯を飲んでしまったようで、芽呂栖メロスはゲホゲホと咳き込んだ。


 「暴君王!」「体力オバケ!」などと言い合う2人を、芹沼は生暖かい目で見守り、虚しい争いが落ち着くのを待って口を開く。


ワンモテるんだし、彼女作ればいいのに」

「女子の気持ち、信じられナイ。イケメンならだれでもイイのかなッテ……」

「やっぱ生かしておけん……」

芽呂栖メロスにワタシの孤独は、わからヌヨ」


 ワンが言うとまた芽呂栖メロスがちょっかいをかけ、お湯の掛け合いが始まる。


 ワンは『走れメロス』を読んで日本語を覚えたらしい。会話の端々に『メロス』の台詞を引用するのが、ワンの癖だ。


ワンって、『メロス』全文暗記してるの?」

「ウン。でもメロスとセリヌンティウス、理解できナイネ。

 メロスみたいなヒト、ワタシ信用できナイ。だからセリヌンティウスなぜ人質、理解できナイ!」


 ワンは『メロス』の登場人物の行動には同調できないようだ。それに関しては、芹沼も賛成だった。


 『走れメロス』でメロスは、暴君な王に文句を言うため策もなく城に乗り込み、あっけなく捕まる。妹の結婚式を開催したいからと、代わりに友人・セリヌンティウスを人質として差し出す。セリヌンティウスは文句も言わず、それを受け容れるのだ。


「まぁ……2人とも変わってはいるよな」

「たぶん2人、BL耽美のカンケイね!」

「一理あるな。

 もしかしたら、セリヌンティウスにしかわかんないメロスの良さがあるのかも」

「え、メロスって熱くてええヤツちゃう?」


 芹沼とワンが考察を進めていると、芽呂栖メロスは目を真ん丸くして口を挟んだ。

 ワンは驚きすぎて言葉を失っていたので、芹沼が代わりに応える。


「悪い奴ではないけど……ちょっと独善的で、自己愛は強いよな」

「メロス、友達の命かかってル、早めに行動すベキ! ノープラン、行動ムチャクチャ! 寝坊スルし、鼻歌うたってのんびり歩クの、ありえナイネ!

 後半ズっと言い訳と、被害者ヅラばかり!」

「なんでか知らんけど、耳が痛いわ……」


 なんでか知らんのかーい、と思いつつ、芹沼はツッコミを入れず様子を見る。


 ワンの言い分も、わかる。

 メロスはセリヌンティウスが人質となっているにも関わらず、ちょっとひと眠りして寝過ごしたり、余裕があるとわかればもちまえの呑気さをとり戻し小歌をうたってぶらぶら歩くのだ。


 そして帰り道では濁流にのまれ、山賊に襲われ。そうして追い込まれると突然、被害者的な発想を繰り返す。もうどうでもいい、急ぎに急いでここまできた、私だからできたのだ、正義だの信実だの愛だのどうでもいい、と。

 ついにはまた眠ってしまい、湧き水を飲んでようやく気力をとり戻し、ふたたび走り出す。


「メロスの行動は同意できんけど、メロスはずっとメロスなだけやねん」


 温泉にのぼせたのか、芽呂栖メロスは風呂の縁の岩に足を組んで腰かけた。


「気合い入れなあかんって時に、後ろ向きなこと考えたらサガるやん?

 『ここまで頑張ったんや!』って思たほうが気合い入るやろ」


 なるほど、そう言われたらそうかもしれない、と芹沼は内心で納得する。


「ソレは、そうケド……じゃあ諦めて走るの辞めたのハ?」

「あれはたぶん、フツーに死にかけとったんや。濁流にのまれて山賊に襲われたんやから。

 それに、そもそもな。

 あんまり後ろは振り返らんタイプやねん、メロスは」


 そう言い切る芽呂栖メロスに、ワンと芹沼は唖然として口をポカンと開けた。


「……メロスの気持ちこんなに理解できるヒト、初めて会ったネ」

「安心しろ、ワン。俺もだ」


 たしかに、メロスと芽呂栖メロスは名前だけじゃなく似たところが多い。

 良くも悪くも単純で、自己否定的なことは言わない。熱血漢、曲がったことが大嫌い。かと思えば、マイペースで呑気なところもある。


「教授も言うとったやろ。

 ようは、待つんと、待たせんのと。どっちがつらいか、や」


 太宰治が『メロス』を書くきっかけとなった出来事を引用し、芽呂栖メロスが言う。その言葉に、3人はうーんと首を捻る。


「……待たせる方がつらいな」

「俺は待つほうが嫌やわ」

「ワタシは~……待つのはヤダ! でも待たせるのもイヤ!」


 待たせるのがつらい芹沼と、待つのがつらい芽呂栖メロス、どっちも嫌なワン


「ほら見てみぃ、価値観いろいろやろ? メロスを理解できるかできんかも、価値観の相違や!」


 納得いくような、いかないような。

 芹沼とワンは腕を組み首を捻るが、芽呂栖メロスは満足げだった。


「つーか、純粋に物語を楽しめや~。俺なんか、ラスト泣けてもーたで」

「すごい話、思ウ。でも泣くホド?」

「うーん……」


 たしかに芽呂栖メロスは、授業中に初見で『走れメロス』を読んでウルウルと目に涙を浮かべていた。


「ほな再現したろ! 俺の熱い演技で2人を泣かしたる」

「アァ、あなたは気が狂ったカ」

「狂ってへんわ! やるで!!」


 芽呂栖メロスはザバッと立ち上がり、をプルンと揺らした。


「芹沼、磔台はりつけだいあがれ!」

「え、磔台はりつけだい?!」

「その石段あがったとこや!」


 メインの露天風呂から1メートルほど上がったところに、桶風呂が3つ並ぶ空間がある。

 芹沼は芽呂栖メロスの指示どおり、石段を5段昇る。そして芽呂栖メロスが立つ露天風呂を見下ろすように、岩の縁に腰をかけ足を投げだした。


「 “殺されるのは俺や! セリヌンティウスを人質にした俺は、ここにおる!”

 ……ほれ、ワン、地の文読んでくれ」


 さっそく、再現が始まったらしい。ワンも渋々といった様子で、付き合う。


「『かすれた声で精一ぱいに叫びながら、ついに磔台に昇り』……」


 ワンが読み上げる『メロス』の地の文に合わせ、芽呂栖メロスが露天風呂のなかをじゃぶじゃぶと走り抜ける。が、ブルンブルンと飛沫を飛ばし、上下左右に揺れる。


「『釣り上げられてゆく友の両足に、かじりついた』」

「セリヌンティウスッ!!」

「んなぁっ!!」


 芹沼がヘンな声を上げ、身体をよじった。

 なんと、芹沼が露天風呂の上段 処刑台 から垂らしていた足先に、芽呂栖メロスがかぶりついたのだ。がブルンッとあらわになった。


「オイィ! 何してんだよ!!」

「だって『かじりつく』言うたやん!」

「それって『しがみつく』みたいな意味じゃね!?」


 いずれにしても、よく人の足に齧りつけるなとドン引きする芹沼とワン

 芽呂栖メロスをプルプル揺らして石段を駆け上がり、演技を続けた。


「 “セリヌンティウス、途中で諦めてもーた俺を殴るんや!” 」

「えいやっ」


 芹沼は振りかぶって芽呂栖メロスの頬をツルンと撫で、あとに続く。


「 “メロス、俺もお前を疑った。俺を殴れ!” 」

「腕にうなりをつけて、とりゃあ!」


 芽呂栖メロスは芹沼の額を、ツルンと撫で上げた。


「「『ありがとう、友よ!』」」


 乗り気でなかったはずの芹沼もなんとなく勢いに乗せられて、芽呂栖メロスと抱き合う。

 友情のために走って、殴りあって、抱擁。たしかに芽呂栖メロスが好きそうな展開だと、芹沼は納得する。


「 “ワタシも仲間に入れろ!!” 」

「んぎゃっ!」


 置いていかれたようで寂しくなったのか、ワンも石段を駆け上がり、2人にタックルした。がブルルンと踊る。

 その勢いで3人は、後方の桶風呂にザブンと沈む。


「どや! 感動したやろ?!」


 お湯の中からザパァンと顔を出し、芽呂栖メロスは生き生きと笑った。


「……思ってたよりは、よかった」

「ウン。王様のキモチわかったヨ」

「そっちかい?!」


 狭い桶風呂の中で『万歳、王様万歳!』とゲラゲラ笑い合う、フ〇チンの3人であった。

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笑うセリヌンティウス pico @kajupico

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