ソーヤノミヤさま騒動記

湾多珠巳

A Burlesque about Princess Soyano-miya


           

「遅いよぉ、タクミ。待たせないでってば。んで、今日はどんな面白い発明を持ってきたの?」

 いかめしくも豪華な謁見の間に、まるで釣り合わない軽薄な少女の声がきゃんきゃん響く。定刻十分前に入室したユーディス・タクミはそっと眉根を寄せた。科学技術立国で有名な我らが列島国家王家の血筋でありながら、このミーハーな姿勢はどうだ。おおよそ、王立アカデミー技術開発顧問の器ではない。それはそうだろう。なんてったって、この最高顧問官とやらは、十五歳の小娘なのだし。

 それでも、万事わきまえた大人の対応として、タクミは腰を低くして顔を伏せ、最大限の敬意を評しつつ慇懃に応対した。

「は、なにぶん複雑なシステムですので、一言で申し上げるのは難しいのですが」

「うんうん」

「ソーヤノミヤ様は、近年実用化に入っておりますジャンプ・ゲート・システムの原理はお聞き及びでございますか?」

「なにそれ、わかんない」

「先日も木星までのご旅行で体験なさったことと思いますが」

「なんかあったっけ?」

 一瞬、タクミは軽い空間失調症を自覚した。なんで俺はこんなところでこんなおバカな小娘相手に、愚にも付かない会話をしているのだろう? 形式通り特許庁に普通の申請をする方が健康にはいいのかも知れない。けれどもこの、好奇心の塊で、好奇心しかないという宮様に、〝国家的新技術の相談〟という名目のこういう謁見を行っておけば、確かに超高速で特許の受理が行われるのだ。この娘、科学的素養はゼロに近いくせに、直感的にモノを見る目だけは確かなようだし、(困ったことに)自分はこの宮様から〝愉快な発明おじさん〟と好意的に見られてるらしい――まだ三十前で未婚なのに。

 それに、通常ルートで出していれば他のメーカーに先を越される可能性が大だし、どのみち上司が許可しないだろう。

「……というわけで、ゼロ時間で何光年もの移動を可能にするのが、ジャンプ・ゲートの原理でして……ご理解いただけましたでしょうか?」

「全然。それよっか、早く現物見せてよ」

 身もふたもない反応にため息をついて――タクミだってどうせ分かりゃあしないとは思っているが、会見の形式上、必要な手続きなのだ――説明の角度を切り替える。

「……このたび私どもは、地上型ジャンプ・ゲート・システムの完全動作に成功しました」

「ふん?」

「重力の影響がはなはだしい惑星表面上では、非常にリスクが大きいと言われてきたジャンプ・ゲートですが、再三の改良により、移送の不安定率を〇・〇〇〇三パーセント、つまり一般の空中移動交通の事故率より小さい数字に抑えることが可能となりまして」

「はあ」

「法整備の問題を解決すれば、これで地上の交通事情は大きく変革できます」

 沈黙が十秒ほど過ぎた。ソーヤノミヤの貧弱な想像力が、タクミの期待以下でしか働いていないことは明らかだった。せめて「それはすごそうだね」と言わせて、さっさと特許庁への特別勧告を安請け合いさせれば話は終わったのだが。

(現物でデモンストレーションするしかないのか。どうも気が進まんなあ)

 身振りで助手達に合図を送る。小振りなタンスほどの機械部分が付属した、空港の危険物探知ゲートのような構造物が現れた。大人が立ったままくぐれるような馬蹄型のアーチだ。全体が仰々しい金属製で、あちこち配線や基盤がむき出しになっている。不可解な顔のままのソーヤノミヤに、タクミが恭しく一礼してみせた。

「こちらが試作品でございます。製品化第一号は、基本的には同じ形になるはずです」

「……で?」

 未だ認識野が真っ白けなままらしいソーヤノミヤに、タクミはもういちいち失望などしなかった。その代わり、黙ってに連絡を入れると、そのまま始動シークエンスに入る。ほどなく、ゲートの馬蹄型アーチの内部に虹色の光彩が現れた。

 一度ゲートの輪の中いっぱいに満たされた光の波がゆっくりと中央から晴れてゆくと、そこから思いがけない光景が現れた。ソーヤノミヤ達がいるのは蒸し蒸ししたノイエ・ナニワの朝の光が満ちている謁見室。しかし、曙のワイルドな空気と共に現れたのは――。

「えっ!? あ、あれって……!?」

 目を大きく見開いて、顧問席から思わず立ち上がるソーヤノミヤ。少女の素朴な反応に満足したタクミは、莞爾として頷いた。

「はい、キリマンジャロです――高精細ホログラフィアではありませんからね。本物です。ゲートから〝抜け出て〟みられますか?」

 先導するタクミに、恐る恐ると言った体で、馬蹄形の構造物をくぐるソーヤノミヤ。次の瞬間、アフリカの透明な息吹が少女の黒髪をかきあげた。全方位ホログラフィアなどには決して作り出せないすべて――早朝の風が、香りが、大地の感触が、空の高さがあった。戸惑ったように彼女が背後を振り返る。そこには、謁見室と同様のゲートがむき出しの地面に設置されていた。場所はタクミが所属する企業のケニア研究所と思しき敷地で、ゲートの脇には現地研究員も数名いる。

 ようやくにして、少女の瞳に理解の光が宿った。

「つまり、二つのゲートでトンネルを作ってるってこと?」

「簡単に言えば、そうですね。長い時間通路を維持するのはまだ難しいのですが、目的地にあらかじめゲートを設置してさえおけば、どこへでも何度でもゼロ時間で移動できます」

「すると、ゲートを世界中に設置できたら、パリでもニューヨークでも……」

「はい、緊急災害時の救助等も迅速に行えますし、援助物資の輸送も楽々と……」

「一日で南極観光とローマの買い物と上海デートがスケジュールできるんだね!」

「は、他にも難民問題や資源開発に強烈なプレゼンスを発揮するのは間違いなく……」

「すごーい!」

 すでにソーヤノミヤはタクミの献策など聞いちゃあいなかった。ダッシュでもう一度ゲートをくぐって謁見室に駆け戻ると、今まで見せたことがないほど精力的に関係部署へ連絡を入れ始める。特許庁長官と科学省大臣がどうやら主な相手らしいことが分かって、ひとまずタクミは肩で息をついた。ま、目的は果たした。ここまで入れ込んでくれるとは思わなかったが、会社にも上司にも、これで面目が立つ。――にしても、この宮様の反応、どうもこれで終わりそうにない感触があるんだが……。




「王宮によこせ、だと? それも三つも?」

「はあ。試作タイプでいいからと」

「一般向けの開放もまだだというのに。で、どうした?」

「どうせ断れるもんじゃなし、言われるままに持っていきました」

 研究所の自席で思わず顔をしかめるタクミ。しばらく出張している間に、ソーヤノミヤが〝アカデミー内での研究見本〟と称して、彼の助手達にゲートマシンの現物を奉納させたらしいのだ。

「夢の交通機関を私物化するつもりでしょうかね?」

「他にどんな理由が考えられるんだ。くそ、これが目的で、こんなに働き回っていたのか」

 謁見室の会見から二ヶ月。地上型ジャンプ・ゲート・システムは、試験稼動の扱いながら、すでに世界五十四ヶ所にポイントが設けられている。もっとも、観光都市や世界遺産が九割以上、残りわずかが平和維持・開発援助関係という内訳は、早々とこのシステムが道楽の手段に堕してしまったことを示していた。むろん、背後で旗を振っていたのはあの娘だろう。

「まったく、世紀の発明を何だと思ってるんだか。しかし三つもどこに設置したんだ?」

「一つは宮様の私室のようですが……」


「ふふん、ふふん、ふふん♪」

 鼻歌混じりで、ソーヤノミヤが鏡の前で流行のスーツに袖を通していた。午後からの予定は全部オフにしてある。スタイルはばっちり決まってるし、あとは小さなバッグ一つ抱えれば、文字通り世界を股にかけてのトリップタイムだ!

 私室――と言っても、小さな一戸建てが丸ごと入るぐらいにでかい空間――の片隅、鏡の横のゲートへいそいそと近づくと、聞き覚えた始動シークエンスに取りかかる。

 三つぶんどったゲートの残り二つは、それぞれ彼女が〝とっておきのスポット〟と決めている場所にすでに運ばせていた。お気に入りの土地なのに、なかなかこれまで出かけられなかった。でもこれからは、時間がとれ次第いくらでも跳んでいける! そう想像するだけで、犬ころみたいにはしゃぎたくなる。今日はその一回目だ。

「んーと、現地で今は丑三つ時? うん、ちょうどいい感じ。しばらく楽しめちゃう。んふふふ」


「にしたって、設置はできても稼動登録はしばらくかかるんだろう?」

「いえ、研究所の動いてるやつをそのまま持っていきましたから」

「なに!? あれを持っていったぁ!? しかし、交通省に報告の義務が……」

「宮様ご自身がなさっておられました。交通大臣をお相手に、何やら遠回しな脅迫めいたお言葉遣いで……利用許可はその場で下りたようです」

「くっ、ろくでもない娘だ。おい、大至急ソーヤノミヤ殿下の私邸に連絡! 急げ、大惨事になるぞ!」

「は?」

「試作品の旧A型タイプなんだろう! 調整チェンバーのないゲートを素人が操作したら、何が起こるかわかりきってるじゃないか!」

「その辺りの危険性と対応法は、じっくりと時間をかけてご説明いたしましたが?」

 涼しい顔の助手に、タクミがずい、と顔を近づけた。目つきが尋常ではなかった。背後に禍々しい不気味線をたくわえ、いつにない凄みが部下の心身を圧迫する。

「いったい君は、私と謁見室に何度も何度も出かけておいて、あの娘のど・こ・をっ、観察してきたのかね!? ええっ!?」

「えっ、いや、そ、それは……」

 ようやく顔が紙の色に変わりだした助手を叱りとばして、接続を急がせる。通話端末は、留守録セットになっていた。

「ちっ、おい、殿下に近しい関係者を急いで当たれ!」


「んじゃ~、これでよしっと。さあーて、半日旅行にしゅっぱあーつ!」

 スイッチをオンにすると、ゲートが虹色の渦を作り始めた。幾何学模様にうっとりと見入るソーヤノミヤ。と、不意に両腕でその目をかばうと、腰をかがめて一、二歩後退した。風だ。いきなり強烈な突風が吹きつけて、室内を荒らしている。轟音が部屋全体を揺らし、瞬く間につむじ風から竜巻へと拡大していく。しかもますますひどくなっていくようだ。

「なに、これ、わあ、きゃーっ!」

 床になぎ倒された、と思う間もなく、ふわりと体が浮き上がる。そう言えば、試作タイプはジャンプ先の気圧を何とか、とか言ってたような助手からの説明をぼんやり思い出すが、すでになすすべもない。何かがすさまじい音を立てて割れ、崩れているような気配がある。ばたんっべたんっと壁らしい所にぶつかってから、不意にひゅっと狭い所を通り抜けた。直後にぱりんと薄いガラスを破るような軽いショック。そして落下感。あれ、落ちてる~!と叫ぼうとした瞬間、どっぽーんと水の中に落ち込んだ。ショックと冷たさで慌ててもがいていると、ほどなく水上に頭が出る。頭上には満天の星空。それは確かに彼女の求めていた風景ではあった。あったけれども。

「何なのよ、いったい~!」

 ソーヤノミヤ、チチカカ湖畔にて土左衛門寸前で発見さる、の報がタクミの元に届いたのは、それから二時間後だった。




「ですから、世の中には大気圧ってものがあって、これが風を起こすんです。デモの時は大丈夫でしたが、試作品タイプはジャンプ先との気圧差を調整するチェンバーがないから、現地気圧を確認しておかないと、普通突風が吹くんです。しかもチチカカ湖っていやあ、標高四〇〇〇メートル近くでしょう? すごい気圧差です。そりゃあ家も壊れますよ。マシン自体は損傷がなくて助かりましたが、説明はしっかり理解していただかないと」

「…………」

「宮様ご自身も、お隠れ家の部屋のガラスが薄くて、湖面に近かったからよかったものの、下手すりゃ壁に全身打ちつけて即死でしたよ。ご自宅でも、あと数秒吸い込まれるのが遅れてたら、天井の下敷きだったんですから。十日間でご回復なさるなんて奇跡です」

「…………」

「少しは懲りてください。では、あのゲートマシンはそのまま回収していきますね」

「それはだめ!」

 悄然と謁見室でお説教に聞き入っていた風なソーヤノミヤだったのに、既得権益には敏感に反応した。ため息をついて、タクミが首を振る。

「いけません。だいたい、個人用のゲートなんて、本来認められないですよ」

「それはそうだけどぉ……ねー、あたし達の仲でしょ? ゲート・システムがこれだけちゃっちゃと広まったのは、誰が尽くしてあげたからなのお?」

「お、お力添えには常々感謝しておりますが、使用者の側にこういうおバカな、あいえ、初歩的な科学知識で問題点が見られる以上……」

「もー、タイキアツの話なら分かったってば。同じような失敗なんてしないよ! あたし、これでも最高顧問官だよっ?」

 もう一度軽くため息をついて、とりあえず引き下がることにする。まあ近いうちに製品型と交換すればいいか。もう少し安全設計を強化して、何なら遠隔監視・強制停止機能付きのやつを贈呈してやろう。あとは、近日中に交通大臣の口を割らせて、もう一台の行方を確認しておけば……。


「やっぱ抵抗しましたね」

 助手がタクミに苦笑を投げかけた。半ば予想していたことだ。もっとも、ジャンプ先との気圧差問題以外で初歩レベルのトラブルシミュレーションは報告されていないから、これ以上の騒ぎはないだろう。そう思っていたから、助手には軽く頷き返しただけだった。

「それはそうと、ヨーロッパ北部の大水、まだ治まらないのか?」

「ええ、設置ゲート三ヶ所も閉鎖したままです。天気はすでに晴天続きなんですけどね。あれだけ集中豪雨が続いたんで、なかなかすぐには……」

 ここしばらく会社の海外部門を騒がせている懸案事項に浮かない顔をしたタクミは、ふと、何かを思いついた顔で目を輝かせた。

「ふむ。どこかの砂漠か干ばつ地帯にゲートを設けて、水没したゲートとつなげば、たちまち水が退くと思うんだがね」

「あ、いいですね。完全防水構造にして、あとは法整備に少々手間取るでしょうけれども、誰ぞ、政治家でも強力に推進してくれれば、すぐにでも試せる国際貢献案です」

「あるいは、どこぞの王族が、だろ」

 技術者二人は皮肉な笑いを交わした。その一瞬、タクミは何かとんでもない見落としを発見したような気がしたが、直後にかかってきた部長からのどうでもいい電話に気を取られ、後にはすっかり失念してしまっていた。


「現地の天気……晴れ。気圧は……一〇一二へくとぱすかる? なんだ、ここと変わらないじゃん。よし! 今度こそ大丈夫!」

 全壊して改修中の私邸からそう遠くない、ノイエ・ナニワの中央住宅街に設けた仮住まいでは、ソーヤノミヤがリベンジに燃えていた。台無しになったこの前の休暇を埋め合わせたい気分もある。指さし確認で壁面大パネルの国際気象情報をチェックして、改めて旅装姿に身を包み、ゲートのスイッチをオンにする。

「ニュース関係なんて久々に見たなー。でも天気図も分かるようになったし、あたしって偉い!」

 海外や惑星間の旅行にやたら執着する割には、国際ニュースにも宇宙開発にもまるで無関心な人間というものは少なからず存在する。その筆頭格であるソーヤノミヤが、最近半月ほどの間にヨーロッパ北部を襲っている異常気象のことなど、知るはずもなかった。

「さーて、久々のアムステルダム! 今からだと朝から遊べるよねー。ふふ、お忍び用のフラット、解約しないでよかったあー」

 ナニワ・メガロポリスの都心にそびえ立つ八十階建てマンション最上階スイート。ソーヤノミヤの一時滞在先となっているその階下では、ほぼ満室状態の住民達が、日々の喜怒哀楽にまみれ、今日もおおむね平和な生活を送っていた。

 虹色のゆらめきを見つめるソーヤノミヤの目は、幼女のようにあどけなく、罪がない。接続が始まる。ゲートの向こうに、じんわりと水面下二メートルの淀みが、現れ始めた。


    <了>



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ソーヤノミヤさま騒動記 湾多珠巳 @wonder_tamami

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