メリークリスマス・フロム・トーキョー

九重ツクモ

メリークリスマス・フロム・トーキョー

 街のイルミネーションが目に沁みる。

 笑顔で行き交う人々。どこからか聞こえてくるジングルベル。クリスマスイブに浮つく雑踏が、どうにも目障りで仕方ない。

 いつもは荒んだ空気の漂う歌舞伎町も、今日ばかりはどこか浮かれた雰囲気だ。

 別に予定があった訳ではない。けれどクリスマスに仕事というのは、どうも憂鬱になる。不思議なものだ。幸せなクリスマスなぞ経験したこともないのに。


 俺は路肩に停めたネイビーのフィアット500に寄りかかり、寒さに首を縮めながら煙草の煙を吐き出した。

 こんな日に限って、随分と厄介な仕事が舞い込んだものだ。

 つい漏れそうになる溜息を、紫煙しえんに忍ばせた。


 この仕事を始めたのは、十五の頃。

 埼玉の家を飛び出して、あてもなく東京を彷徨さまよっていた時、ボスに拾われたのがきっかけだった。

 ボスにやらされ……いや、紹介されたのは、依頼人を希望通り逃す仕事。

 裏の世界では『逃がし屋』と呼ばれている。

 明らかに堅気かたぎではないボスによほどヤバいことでもやらされるのかと覚悟したが、本当にそれだけの仕事だった。

 ただ、依頼する奴らは、すねに傷持つ"訳あり"ばかりだ。

 例えば、今日の依頼人のような。


 夜風に身震いし、モッズコートの襟元をかき合わせる。

 かじかむ手でまたマルボロを口元に運ぶと、煙でイルミネーションをかき消した。

 暖房の効いた車内に居たい所だが、そうもいかない。依頼人が時間になっても現れないのだ。もう小一時間、この寒空の下で待ち惚けをくらっている。長時間暖房をつけていたら、愛機のバッテリーが上がってしまう。

 逃がし屋を利用する奴は、大概今すぐ遠くに逃げたい奴らばかりだから、遅刻というのは珍しい。

 ——さては、ヘマでもしたか。

 俺は半ば諦めに似た心持ちになっていた。

 なにせ、今日の依頼人は仕事を終えてから来るという。

「人殺し」という仕事を。


『ペルソナ』。

 それが依頼人の名前だ。

 随分と厨二病っぽい名前をつけたものだと鼻で笑ったが、決して本人が名乗った訳ではないらしい。

 ターゲットに近づくため、あらゆる人格を使い分けるという彼女——ボスはたしか「彼女」と言った——のやり方から、人々がそう呼ぶのだという。

 俺が彼女のような凄腕の殺し屋なら、そんな名前で呼び始めた奴を密かに殺すだろうな、と思った。


 左手のオメガに目をやれば、時刻は23時17分。約束の時間から1時間以上過ぎている。苛立ちを紛らわせるために雑踏に視線を巡らせ、それらしい人物を探すが見当たらない。

 当然か。「それらしい」格好などしていては、仕事にならないだろう。

 舌打ちをして、また新しい煙草に火をつける。

 夜空に煙を吐き出しながら、また雑踏に視線を移した。


 ふと、一人の少年に目が止まった。

 中学生くらいだろうか。ビルとビルの狭間の小さな通用ドアの前でうずくまっている。ぼうっと虚空を見上げるその顔には、出来たばかりと思しき大きなあざがあった。

 ここは歌舞伎町だ。そんな光景は珍しくない。現に誰も彼のことなど見向きもせず笑顔で通り過ぎていく。けれど俺は、彼から目が離せなかった。


 理由は単純だ。

 昔の俺と、そっくりだったから。


 親父の酒と暴力に耐えかねて、母親は俺を捨てて出て行った。俺はそんな現実から逃げるように家を飛び出した。よくある話だ。けれど、もしボスに拾われて居なければ、どこでどうなっていたのか分からない。

 彼からは、俺と同じ匂いがした。


「おい。何してる」


 気付けば、少年に声をかけていた。

 決して俺自身がボスの代わりになろうだなどと考えた訳ではない。しかしこのまま彼を放置することは、どうにも出来なかった。


 少年はびくりと肩を跳ね上げ、這うように逃げ出した。しかし上手く体勢を立て直せず、すぐに足がもつれて転んでしまう。


「おい! 何もしやしねえよ」

「……あんた、誰?」


 恐怖に引き攣った顔に精一杯の虚勢を貼り付けて、少年は俺を睨んだ。

 思わずハッとする。痣に目がいって気付かなかったが、随分と整った顔をしている。この街では、容姿が優れていることが必ずしも良いこととは限らないのに。


「俺は、女に待ち惚けを食らわされてるただの暇人だよ」

「イブに? 見込みないんじゃない?」


 小馬鹿にするように笑う少年。随分と生意気だが、不安と恐怖から自身を守る為に、憎まれ口を叩くことには身に覚えがあった。


「お前は? 家出か?」

「……関係ないだろ」


 ふいと視線を地面に落として、少年は吐き捨てた。触れてくれるなというオーラを全身から出している。まるでハリネズミのようだ。


「それ、喧嘩じゃないだろ。親にやられたのか?」


 俺は自分の頬を指でつついて言った。少年はちらりと俺の顔を見たけれど、またすぐに視線を戻してしまう。


「…………」

「だんまりか。……でもな、俺もそうだったから分かる」

「……おっさんも?」

「おっさんじゃねえ。まだ二十五だ」

「やっぱりおっさんじゃん」


 少年はふっと目を細めて笑った。

 中学生から見れば、二十代の後半なんておっさんか。釈然としない気持ちで、無理やり自分を納得させた。


 再度左手のオメガに目をやれば、もう23時半を回っている。

 ペルソナは、まだ来ない。


「おっさん家出したの?」


 ふいに、少年が言った。

 地面に膝を抱えて座ったまま、上目遣いに見上げてくる。こいつは自分の顔が良く見える角度を知っているな、と思った。


「ああ。お前と同じくらい……十五の時に。親父がとんでもねえクソ野郎でさ。アル中と暴力で、家の中ぐちゃぐちゃだったんだ。お前んとこも、そんな感じか?」

「まあ、そんな感じ……かな」


 口先だけで呟くと、少年は両脚をぴったりとくっつけ、ぎゅっと膝を抱え込んだ。

 そこで気付いた。少年が、小さく震えている。

 そういえば、最初に声を掛けた時もそうだ。

 少年は、何かに怯えているようだった。


「お前、なんかに追われてるわけ?」

「……ちょっと……こわい人たちに」

「こわい人って」


 唐突に子供らしい言い方をするものだから、つい笑ってしまった。すると少年はむっとしたように口を尖らせ、俺を睨みつけた。


「イブに振られるようなおっさんに笑われたくないんだけど」

「いや振られた訳じゃない。仕事だ仕事」


 軽口を返しながら、少年の言う「こわい人」を考える。少年の整った顔を見て、嫌な予感がした。


「仕事? どんな?」

「……人を好きな所に運ぶ仕事」

「タクシーと違うの?」

「ただ運ぶだけじゃない。依頼人の希望通り、警察だろうとヤクザだろうと、どんな奴からも逃がすんだ」


 子どもだからと油断して喋り過ぎた。とはいえ、別に構わないか、と思い直す。


「おっさんにそんなこと出来るの?」

「この道十年のプロだからな」


 ウーーー

 唐突にパトカーのサイレンが聞こえた。かなりの数だ。


「なら、俺をここから逃がしてよ」


 まるで懇願するように、少年は言った。


 ウーーー

 サイレンの音が近い。

 はたと気付く。さては、ペルソナの「仕事」が発見されたのではないだろうか。

 ペルソナが逃がし屋を使うのは初めてだ。つまり、それだけ「ヤバい」仕事だったのだろう。


「ねえ、お願い。俺を逃がして」


 少年の大きな瞳とかち合う。

 一瞬、時が止まったのかと思った。

 ペルソナは、まだ来ない。


「……乗れ」

「いいの?」

「いい。今日の客はキャンセルだ」


 ペルソナはしくじったに違いない。もう来ることはないだろう。つまり、俺の仕事はもう終わりだ。


 少年を後部座席に乗せ、俺はフィアット500のエンジンをかけた。


「どこに行く?」

「とりあえず、横浜」

「了解」


 少年の言葉の通りハンドルを回し、区役所通りを南に下って靖国通りに入る。パトカーが彷徨うろつく時は首都高は使わない。何かあっても逃げ場がないからだ。外苑西通りに入った所で、また一本煙草を取り出した。


「ねえ、それ俺にもちょうだい」


 それまで黙っていた少年が不意に声をかけてきた。相変わらず生意気だ。


「うるせえガキ。お前はこれでも食ってろ」


 俺は後部座席に小分けの袋に入ったチョコレートを放り投げた。クリスマスプレゼントとしてキャバクラの前で配っていたものだった。

 少年は鼻を鳴らし、ビリッと袋を破ってチョコレートを口に放り込んだ。太々しい態度だが、満更でもなさそうな顔をしている。やはり子どもだ。


 新宿御苑を過ぎた辺りで、検問に引っかかった。年末は飲酒運転の取り締まりが厳しく珍しいことではないが、何故かアルコール検査をされなかった。今は後ろ暗いことがある訳ではないのに、背中に冷や汗が流れる。

 この時間に未成年を乗せていることを警察に不審がられたが、そこは慣れたもの。自然な様子で兄弟だと説明すれば納得し、「早く帰れよ」とそのまま通され、密かに安堵した。


 既に時刻は0時を回り、イブからクリスマスへと日付が変わっていた。


 少年は横浜に何をしに行くのか。本当にあてがあるのか。

 煙草を吹かしながら次の言葉を考える。いや、声を掛けた時から考えていた言葉だ。


「本当にあてがあるのか? ……ないなら、この仕事はどうだ」


 俺は善人じゃない。だが少年を放っておくことも出来ない。

 この仕事は悪くない。きっと少年を守る盾になる。



 俺が意を決して言った、瞬間。

 ふっと、後ろの席からローズウッドが香った。



「ありがとう。でも、間に合ってるわ」


 鈴を転がすような、美しい声。

 バックミラーには、先程の少年とは似ても似つかない、美しい女が映っていた。


 西麻布の交差点で信号が赤になり、ブレーキを踏んだ。

 慌てて後ろを振り返れば、女が当然のようにドアを開け、車を降りていくところだった。


「チョコレート、ご馳走様。メリークリスマス」


 黒くしなやかな髪をひるがえし、女は美しい笑みを浮かべた。

 赤いヒールを鳴らして東京の夜に去っていく。その先には、黒いベンツが停まっていた。



 ペルソナはターゲットに合わせて人格を変える。

 それだけではない。

 どんな姿にもなれるから『ペルソナ』なのだ。


「なんだよ。俺より年上じゃねえか」


 渇いた笑いを吐き出して、また煙草に火をつけた。

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