逆
目の前に、大きな砂時計があった。中には沢山の蒼い砂があったが、それは落ちてゆくのではない、逆に吸い上げられるように、一粒一粒、放たれ上へとあがってゆくのである、全てを赦された罪人の、天へ昇ってゆくように。
昇ってゆくにつれ、砂は段々に蒼を失い、透き通ってゆく。そうしてちょうど中心の、くびれた部分にさしかかった時、ひとすじ光が差し込んで、本当に透いた砂はきらきらと、何色にも輝くのである。黄金の鱗を持つ一匹の龍が、朝の最初の光を浴びて、輝くように。
いや違う、砂は、色を発散するのではない、今まで放ちつくした影と光とを、その身のうちに吸いこみ、ひとつとなる。だからまるい硝子宮の、最上部にのぼった砂粒の、持っている影と光は、はなっても失われないかたち。
固定された色を失くし、もとの形に戻った砂粒が、全部上の球に戻って行ったとき、それは何か激しい、追慕であるとか切なさであるとかいったものを、起こさせた。それらが硝子の壁に閉じ込められていることに、あるやりきれなさを、さみしさを、感じさせた。
その壁の中から、砂粒は解放されなければいけない。この残酷な牢獄は、破壊され、透明な砂粒をこぼし出さなければいけない。しかし周りには、この硝子を壊し得るような棒一本とてなく、握り挙の抗議にも厚い硝子は揺れさえしなかった。
いくどとない破壊のはてに、そうして最後であり真実であるひとつの破壊ののちに、破壊はもう利かないことは、悟られねばならぬ事実である。そうしてそれはふと悟られ、硝子宮の破壊のかわりに、種子の成長が願われた。
息づまるような硝子の駆の中に一筋風は吹き渡ったに違いなく、その風は最後の願いの風であったに違いなく、今まで成長を禁じてきた砂時計の中で砂粒であった、種子のうちの一つからみどりいろの芽はのび、あらゆるみどりを内包したそれは厚い壁を突き破った。
壁には突き破られた大きな穴があき、太いひびはその面を走って、砂時計はくずれおちるように倒れ毀れた。無数の砂だけが星でもなく水晶でもなく、開かれた掌の内におさまりはせずにただ浮かび、ゆっくりゆっくりと漂うのである。
その漂いゆく先は、影と光の一つになった名、種子というものの、沈み落ち、落ち来ては、深い眠りにとける、水晶窟の、あるいは星空のような、そこは安けく砂漠であろうか。いつかの芽吹きを待ち、それは必ず遂げられる、透いた種子たちの揺りかごであろうか。
「私は魂なのでしょうか。」
語りかけられた質問に、返されたのは一つの質問。
「魂、とは、何ですか。」
守り番のように砂漠に立つそれは、しかし植物のかたちをしている。
あらゆるみどりを内包し、種子からのび出た芽のかたちをしたそのひとの、問い返した質問、それに与えられる筈の答えはどこにも見つからず、そのことを示す沈黙を、そのひとは破り、厳かに言った。その宣告の、その言葉。
「一つのものとしてのあなたは、存在せず、よってあなたの持つ、一つのものは、存在しない。あなたは無数の種子のあつまり。躯の崩壊後、残るものは、一つしかないものではなく、無数の種子。一つのものとしてのあなたは、あれ。」
それに指差されたものは、崩れ落ちた厚い硝子の、球体をした年獄。一つ一つの時間の種子の成長を縛り、けれど最後に、その身の内から薄き出る崩壊の願いに、種子の成長をゆるし滅びた駆。いま桁ちゆく、しずかに潜えゆく、その姿は骸。
「あれは骸。ただの駆。だがあなたは種子、無数の種子。駆としてのあなたはもう存在せず、次に目覚める時は無数の種子として、無数の種子の別々の意識として。」
「あなたはここの番人ですか?」
破れた梢子が、風にゆれ気楼のようにふるえた。
「種子は自分で存在し、守るものを必要としない。私はその駆に閉じ込められた時間の種子の、最初に発芽したもの。破られたいという駆自身の願い。最も間違った、砂時計の時間に耐え、自らを破って、よくここまで来られた。これからは、種子の時間。」
硝子は震動に耐え切れなくなったように、突然、砕け散り、霧状に細かく、そして滑え去った。そこにあるのは、失われることのない影と光、静かに発芽を待つ種子の砂漠、どこまでも遠く遠く広がり、海のような、赤子を抱く揺りかご......
archives 川野芽生 @umiumaya
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