「薔薇の名前」
「あんまりそう、無闇に息を吐いてはいけないよ、使い果たしてしまう、(——残された、わずかな息を、)と言ってとめるのに、女はとんじゃくせず、深く呼吸をして、鳩が生まれては重い羽ばたきをして逃げてゆくのを眺めては楽しむのでした。 そうその夜は、傾きかけた船から鼠らが逃げ出してゆくように、幾羽もの鳩が女の躰を見すて、身をよぢって、もがいて脱け出していったのです」(本文から抜粋)
「女」が息を吐く度に胸の奥から鳩が飛び出てくる。
そのたびに「女」の躰が薄く、小さく、華奢になる。
「ひどく寒い晩」の物語。
「龍の都」
「人間は龍になったと言われる。しかし、それは誤りだ。人間は美しくなく、そして正しくなかった。人間はこの世界のものだから。ただ、人間は、世界を喰らい続けている」(本文から抜粋)
隣の世界からうつくしい「龍」が現れた。
「龍」の鱗には「喰われた都」が映っていた。
「龍」はこの世界の「心」を食べることにした。
神は龍を殺さなかった、龍はうつくしかったから。
「龍の都β」
「サラマンドラに触れたことなどそれまでなかった。火のように熱くて、凍りついた少年を溶かし出すようで、それが火のない空気の中で細く消えかけていて、細く、細く、細く、——」(本文から抜粋)
戦火を凌ぐために用意された、城半分を覆う穹窿(ヴォールト)にはサラマンドラの「卵の殻」と「抜け殻」が貼り付けられている。
父と二人で暮らす「少年」はサラマンドラを大切に育て、脱皮のたびに抜け殻を聖堂に運ぶ。
抜け殻を届けたらお菓子を貰えるだけでなく税金を幾らか免除してもらえるのだ。
少年の家の竈で生まれたサラマンドラにはやがて翅が生え、「神昇祭」の時に太陽まで翔んでいく。
しかし穹窿の完成を急ぐ大臣に彼の娘がある提案をして……という話。
*
「薔薇の名前」を除く二編は硬質な文体で描かれ、〈無責任に遠くから眺める〉ような残酷なムードすら漂わせている。
登場人物や世界そのものへの愛着をあえてセーブし、話の展開に応じてドライに破滅させる。
エッシャーの絵画を見ているような心地にさせる作品である。
「薔薇の名前」は温もりのある軟質なデスマス調(デアリマス調やデゴザイマス調ではない)で書かれているが、やはり独特なカタストロフへの志向がある。
そういう意味では『奇病庭園』の作者らしい感じもするが、『無垢なる花たちのためのユートピア』で見せた多彩な展開を考えると「硬質かつ破滅的」とばかりは言っていられない。
二◯二四年五月現在では三作品のみの公開に留まっているものの「連載中」だからさらなる「過去作」の発掘に期待したい。
作者に少しでも興味がある人は読んでみると良い。
特に「龍の都β」は間違いなく傑作の内に入る。