f22の桜

壱単位

f22の桜


 満開の桜の、花の下で。


 車の屋根には、おそらくたくさんの花びらが積もっている。

 窓はいま、やわらかいエゾヤマザクラの桃色で埋められているからだ。


 運転席で顔を、覆っている。

 四十五分、経っている。

 まだエンジンを始動することができない。


 収入は、わたしが持ち帰っている。

 家事は、わたしが担当している。

 車は、わたしが維持をしている。

 町内会、掃除もあつまりも、わたしが出ている。

 考えが必要なことは、わたしが、している。


 そのひとは、ある意味で天使だった。

 いのちの命令だけに従って、生きているからだ。

 それが故に、実社会ではひとりでいきてゆけなくなっている。

 だから、わたしのちからが、必要なのだ。


 いつからこうなったのか、もちろん日記も記録も診断書もあるし、あるいは障害年金の請求にあたっての書類もあるから、いつでも確認はすることができる。

 そんな気持ちになれないだけのことだ。

 いつ終わるかわからない煉獄のはじまりを、改めて知りたいとは思えない。


 サブスクの映画も、ライブも、観る。

 通信アプリで、わかい女性とも、やりとりする。

 先日は、タイの女性と懇意になったといって、日中ずっと、着信音に悩まされたものだ。意見が違って、どうやら別れたらしいけど。

 

 あのひとは、だいじなことは、なにもできない。


 診断名がついたことはないが、申請書には、f22と記載された。

 継続性妄想性障害。

 どうなのかな。

 わたしには、すこし別の見方があるけれど。


 話すも聴くも、ふつうにできる。

 でも、なにかがちがう。

 できるべきことは、だいじなことは、なにもできない。

 職場では、あまりに説明が難しいから、アンダーのときの説明を誇張して、認知機能障害といってある。

 音が聴こえる、嫌がらせを受けている、そうした妄想により日常生活がうまくいかなくなっていることなど、説明しきれるものではない。

 病気とは、治るべき目標があるもので、解決すべき症状があるもので、その目標にむかって処方も対応も計画も実践も検証も修正も、できるものだ。それが職場の第一線で働いている、望ましい社会人のみんなの見解だった。

 なにもかもうまくいかない状態などは、病気とはいえない。

 痴呆はわかる。もっとおもい病も、わかる。だけどおまえの伴侶の、それは。

 気のせいだ。

 甘えだ。


 そうだね。

 そうだよ。


 もう何年もそうした暮らしを送り、もとの暮らしを封じられ、もとの喜びを嘘だといわれ、それでも、その生活に慣れてきていたし、笑えることだって、いくつかは見つけられていた。

 さいわい、在宅でもできる性質のしごとだったから、職場に無理をいい、午後は家で作業をこなすことにした。肩身は狭かったが、夕方はやくに台所にたつくらしは、料理が苦手でほとんどやってこなかったわたしを、ネットのレシピサイトに登録させ、あまつさえ閲覧数で上位に立たせることとなった。


 いっとき、笑った。

 いっとき。


 なにを出しても、なにをいっても、おぼえていない。

 嫌なこと、言ってほしくないこと、なんどいっても、おぼえていない。


 興味がないものはぜんぶ、こきおろす。

 晩ごはんをつくりながら、その罵倒を聴くことが日課だった。

 わたしが大事な映画も、アニメも、楽曲も。

 わたしが大好きな小説も。

 しねばいい、くだらない、そう、集約されて。


 あはは、そうだね。

 わたしはこころがないふりをして、いつでも、笑って返した。


 なにをいっても、届かなかった。

 わたしといて、楽しかったと思うことなど、ないのだろう。

 わたしが、そう、思うように。


 春の日。

 その病院は主治医の先生が、ずいぶん頻繁にかわる。

 経営が厳しいのだろう。当然だ。こんな田舎で、精神医療専門でやっているのだ。

 文句をいうきもちなど、さらさら、なかった。

 その日も、もとの医長で、現在は院長をやっている先生が、医師不足でまた、戻るという話をきいて、挨拶に伺ったのである。


 自宅のちかくの病院で、自宅もそうだが、桜が多い。

 山なのだが、だれかが植えたのか、あるいは自生しているのか、エゾヤマザクラという種類の、花弁の色が濃い種類の、桜。それがたくさん、たくさん、育っている。

 不思議なのは、色が濃いはずのその花は、わたしの自宅の周辺では、日本で根付いたほかの種類の桜よりずっと、色が薄かったのだ。

 今でも理由は、わからない。


 あのひとが診察を終えて、先に帰して、わたしは、先生に向きあった。

 もう七十を越えているのでは、と思われる、神経質そうな先生。

 あまり、好意を持てるタイプのひとではなかった。


 改めて主治医となっていただいたことのお礼と挨拶を述べて、なにを言えばいいかわからず、黙っていた。

 先生はしばらく診療録をたぐっていた。

 やがて、ああ、と、思いついたように、ひとこと、おっしゃった。


 たまごサンド。よく、食べられるんですか?


 脈絡のない質問に、わたしは、なにも返せなかった。

 先生はなにを気にした様子もなく、診療録に目を落としながら、続けた。


 わたしね、あの方の診療は引き継ぎで、しばらく立ち会ってたんですよ。

 訊かれたことには答えるけど、自分から、なにがしたいとか、なにが嬉しかったとか、いわない方ですから、その言葉にちょっとびっくりして、印象に残ったんですよね。


 え、なにが……でしょうか。


 わたしが問うと、先生はつまらなさそうに、言ったのだ。


 街にあたらしくできた喫茶店に連れてってもらって、あんこのサンドとココアを頼んで、相方はたまごサンドを頼んだんですって、聞かされましてね。


 あれは、いつも、たまごサンドばっかり食べるんですよって。

 そういって、笑ったんですよ。


 たまごサンドばっかり、食べるんですよ、って。

 楽しそうに。

 あいつ、たまごサンドが、好きなんですよ、って。


 面談を、切り上げた。

 しゃべることができなかった。

 会計を車で待たせてもらった。

 

 花が、エゾヤマザクラが降る車に、戻った。

 

 風があまりない日だったと、覚えている。

 なのに、雨のように、帷のように、花が降る。

 薄い桃色が、わたしの、消えたこころに降ってくる。

 

 ボンネットはもう、白い車体の色など、みえはしない。



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