5 言い訳
フィリリアの瞳が動揺で揺れる。
「わたしの話、ですか?」
念のため繰り返す。ネーベルはこくりと真っ直ぐに頷いた。
「──わたしの、なんでしょう?」
自分の話と言われても何を話せばいいのか分からない。
フィリリアは困惑しながら懸命にネーベルに答えを求める。
「なんでもいい。でも、確かに大雑把すぎるね。俺が質問してもいい? フィリーはそれに答えてくれ。いやなら、何も言わなくていい」
「……はい」
焦りでぐるぐると渦を巻いていた心が静まる感覚にフィリリアは安堵する。
罪の話をしていた時よりも彼の声は和やかだ。それがまたフィリリアの戸惑いを落ち着かせた。
「じゃあまず最初……──フィリーは、ずっと守り人をしているの?」
ネーベルは一度考える仕草をしてから軽やかに訊く。
「はい。そうです。守り人は、看守長に認められた人間しかなれません。だからこそ、命を受けたわたしたちは、精一杯お勤めするのです」
「へぇ。みんな優秀なんだ」
「それは、分かりませんが……ただ、看守長に認めていただけたのは確かです」
「凄いことじゃないか。フィリー、もっと誇っていいことだよ」
ネーベルはあまり音を立てずに拍手してみせる。フィリリアは少し恥ずかしくなって唇を結んだ。
「じゃあフィリーは守り人の精鋭なんだ。ずっと代理を任されてる。それに囚人の俺とも会話をしてくれた。でも仕事は一流。すごく立派だ」
「あまり褒めないでください。慣れていないのです」
「そう言われると、余計に褒めたくなるな。能ある鷹は爪を隠すって、フィリーのこと?」
「…………いえ」
声が小さくなっていくフィリリア。ネーベルはくすくすと笑い、次の質問に移る。
「フィリーの出身はどこ?」
「──ここです。生まれは隣町だと聞いています。でも物心ついた時にはもうダズワルドにいたので、わたしの故郷はこの場所です」
「もしかして英才教育?」
「守り人は多くがそうです。生まれてすぐに素質が認められないと」
「そうなんだ。それは知らなかったなぁ」
ネーベルが興味深そうな声を出す。
「でも、仲間がたくさんいるので、寂しくはありませんでした。両親も守り人をしていたので、昔はよく顔を見せに来てくれましたし」
フィリリアはガレやローリーの顔を思い浮かべて声を和らげる。
「昔は?」
「はい。今はもう体力も落ちていますので。魔力に満ちたこの場所に来るのは負担になります。だから、しばらくは会えていません」
「そっか……」
「憐みは必要ありません。同僚たちがいます。皆、とても楽しい人たちです」
ネーベルの落ちた声が聞こえ、フィリリアは慌ててそう付け加える。
彼に同情される義理などない。彼の罪の話を聞いたフィリリアは、想像していなかったその内容から、彼に向ける視線の温度を見失っていた。
「看守長たちも正義感は強いですが、わたしたちに良くしてくれます。魔術師にも、本当に色んな人がいるのですね」
「そうだな。フィリーの言う通りだ。君にはあんな魔術師の連中には会って欲しくない」
「……それは問題ありません」
フィリリアがぽつりとこぼした声。あまりにも小さく透明で、ネーベルにまで届かない。
「とにかく……わたしたち守り人は、多くが外の世界を知りません。この場所で育ち、訓練され、使命を果たす。そうやって、この監獄を守り続けるのです」
「どうして生まれてすぐに見極めないと駄目なんだ?」
「え?」
不意の質問にフィリリアはきょとんとする。
「普通、成長してから素質ってものは分かるだろ? 本人にも何が向いてるのか、もう少し大きくならないと意識すらできない」
「そうかもしれませんね。他の仕事の場合は。でも、この監獄で働くには、魔力の適応能力の有無が重視されます。比較して数の少ない魔術師たちだけでは公的機関の運営はやっていけません。魔術師ではないわたしたち人間の手を借りる必要も出てきます。その時に求められるのが、魔力の適応性なんです。それは生まれてすぐに分かります。それに、小さなころから魔力に慣れる必要があります。わたしたちは魔術を操ることはできませんが、扱わないといけない。だから生まれてから訓練しても遅いくらい。魔術師の子どもは生まれる前から魔力に適応していますから」
こくこくと頷きながら話を聞くネーベルに分かってもらえるように、フィリリアはしっかりと説明していく。
「生まれながらに魔力の適応性があるのは、成長してから分かる素質と同じことです。それに、ここで働く魔術師たちのことをわたしたちは尊敬しています。世界に秩序をもたらし、多くの平和を維持している。だからすごく光栄だって思っています。皆そうです。もし、自我を持ってからやるかやらないかを問われたら、迷いなく首を縦に振るでしょう。わたしには魔術は使えません。けれど、こうやって携わることが出来て、世界の平穏に尽力できる……この上ない経験です」
フィリリアの声がじんわりと滲むように霧に広がる。
彼女の嬉しそうな様子を肌で感じたネーベルの頬が自然と綻ぶ。
「フィリーはここでの仕事に不満はないようだし、ここの魔術師たちも尊敬しているようだ。君にとってここは良い場所だろう」
「そうかもしれないです」
「また控えめだな」
ネーベルが吹き出すと、フィリリアの体温がほんの僅かに上がる。
恥ずかしさと照れが同時に襲ってきたからだ。身体を冷まそうと霧の中へと目を逸らす。
「フィリー」
ネーベルの声に呼ばれ、フィリリアはゆっくりと視線を彼に向けた。瞳の奥に再び熱の気配を感じた。
「もう一つ訊いてもいい?」
「はい。そういうルール……でしたよね」
「はははっ。ルールねぇ。うん。そうだ」
ネーベルは楽しそうに笑いながら身体を揺らす。
「もう日も落ちてくるから、これを最後にしよう」
ごくりとフィリリアは息をのみ込む。
最後。
求めていた言葉なのに、どこか重く心にのしかかってくる。
「前に聞いた夢の話。霧のない森を見てみたいって言ってたよね。君は働き者だし、きっと評価もされてるだろう。なのに、見に行かせてもらうことはできないの? 休みとかあるよね? まさか、休みなし?」
「ふふっ」
矢継ぎ早に質問をするネーベルが少し可笑しかったのか、フィリリアは微かに笑い声をこぼす。
ネーベルもそれに気づき、ハッとして恥ずかしそうに頬を掻く。
「休みはあります。でも、長期では取れませんから。なかなか外に行く機会はありません。それこそここの担当のように体調でも崩さないと……──だから、わたしにとっての夢になったんです。霧のない世界を見ることが」
笑ったことで心がほぐれたフィリリアは、穏やかな口調で自分の秘密を話す。
どうせ最後なのだ。
その事実がフィリリアの気を軽くしてくれた。
「わたし、仕事の後に部屋で一服するのが好きなんです。食事をとり、仲間たちと話をした後。部屋に戻って寝るまでの間、ココアを飲みながら窓の外を見るんです。わたしの部屋は最上階で、高い場所から遠くの世界まで見られるはずですから。わたしは首を長くして、どうにか見ようとする……でも、霧が漂っているからなかなか外の世界を見ることが出来ません。それでもたまに、霧の隙間から何かが見えたような気がするんです。その瞬間が待ち遠しくて。気づけば寝る時間になってしまうほど熱中してしまいます。見たい景色をちゃんと見れたことはないです……けれどいつか、毎日続けていればいつか、見えるんじゃないかって」
フィリリアは話しながら心が躍ってくるのが分かった。
ただの願望を話しているだけ。それでも、そのいつかを思えば胸は高鳴る。
想い焦がれた世界を頭の中に描き続けてきた。
「わたしは、霧の向こうにある果ての世界を見たい。空想じゃなくなるその時まで。もし垣間見ることが出来たなら。わたしはきっと時を忘れて夜更かししてしまうでしょう」
肩をすくめ、フィリリアははにかむ。
ネーベルの反応も今は怖くなかった。
彼との最後の会話。
どちらかと言えば、本心を話せたことが清々しい。
心が軽くなって、ふわふわと身体が浮かんでしまいそうなほどだ。
「フィリーの夢は空想じゃないよ」
「……うん」
思った通り、ネーベルは彼女の夢を否定しない。
本当は、夢を叶えた彼の口からその言葉が聞きたかっただけなのかもしれない。
フィリリアは"最後"を言い訳にした自分にこっそりとそう囁いた。
空を見上げ、靄の上に見える空が暗くなりかけていることに気づく。
そろそろ戻らなくては折角の御馳走をガレに全部食べられてしまう。
フィリリアは残りの聖水を隅まで撒き終え、ネーベルに向き直る。
「それでは、どうかお元気で。ネーベルさん」
「やっぱり、フィリーは勤勉だね」
フィリリアの畏まった挨拶を聞いたネーベルは、最後までからからと楽しそうに笑って彼女を見送った。
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