遠き“もしも”の魔法使い

溝呂木ユキ

とある魔法使いの話

意地っ張りな貴女に

沢山の感謝と祝福と

ほんの少しの後悔を


01

「サヨナラを告げに来ました、花咲里かざりさん」

 

 それは長い梅雨のど真ん中、たまたま雨が降らなかった日のことだった。

 旧校舎屋上へと伸びる、今にも崩落しそうな赤錆まみれの外付け階段。

 その踊り場、残った水溜まりをピシャリと踏みしめながら、どこか自慢気な笑みを浮かべてみせた對馬ほうまマフィンに――さてどう返事をしたものかと、私は一瞬だけ悩んだ。


「ん、んー……?」

「つまりお別れです」

「あ……そうなんだ……」

 ご丁寧な言い方をされても困るんだけど――咥えたままの棒付きキャンディを舌で上下に揺らす。今日のフレーバーはグレープ味。もう一本、指に持っているのはプリン味。お子様舌の對馬がこれとストロベリークリーム味ばかり欲しがるものだから、この前買ったばかりのアソートは、既に中身が寒色系に偏り始めていた。

「飴いる?」

「はい、いただきます」

 千切れて剝がれたフィルムを丁寧にポケットに仕舞う對馬を横目に、私は凭れかかった手すりの表面をペリペリと削りながら、對馬の言う『サヨナラ』とやらに思い当たりがないか考えてみる。

 サヨナラ、お別れ――別段珍しい単語じゃないけど、馴染みのある単語でもない。

 あるいは今日が金曜日だったなら。あるいは今が放課後だったなら。

 その言葉もそれなりの意味を持ったんだろうけど――じっくり五秒ほど考えてはみたけれど、理由らしい理由は思い浮かばなくて。

 奥歯がガリリとキャンディを削る音を合図に、私は降参の意を示した。

「どういうつもりで言ってんの」

「うーん……ま、簡単に言ってしまえば使命ですかね」

 わたしの果たすべき使命です――うんうんと頷く對馬は、なにやら一人で納得しているようだったけれど、こちらとしてはますます困惑が深まるばかりで不親切極まりない。

「花咲里さんは忘れてるかもしれませんけど」

 湿気をたっぷり含んだ風がどこか遠慮がちに吹いて、隣から漂う風香が鼻腔を擽った。綿菓子を一本一本解いたような髪からシャンプーの匂い。聞いたことのないブランドの香水の匂い。全体的にしつこいくらい甘ったるい、對馬の匂い――そこにふと混じる、プリン味の微かな匂い。

 カロカロと口内でキャンディを転がしながら、對馬は当たり前のように言った。


「魔法使いじゃないですか、わたしって」


02

 本校において對馬マフィンが色々な意味で有名人である理由は三つある。


 一つはその名前。ただでさえ珍しい苗字にカタカナで『マフィン』ときた。今更子供でもあるまいし、人様の名前にケチをつけるつもりはない。ない、けれど――初めて名前を見た時に「すごい名前だな」と思ってしまったのは確かだった。


 二つ、對馬はめちゃくちゃ見た目がよかった。絡まりそうなふわふわした髪の毛。一昔前に流行った白いたい焼きを連想させる色白でもちもちの肌。凝縮した宇宙のような輝きと昏さを持つ瞳。身長もクラスの中ではかなり低い方で、実は小動物的な人気があるということをおそらく本人は知らない。誰も直接言わないから。


 最後に三つ、これが「色々な意味で」という枕詞をわざわざ持ち出した理由になる。

 これさえなければ對馬は沢山の友達に囲まれていたのかもしれない。かわいいかわいいとチヤホヤされながら、私とは永遠にすれ違うばかりだったのかもしれない。予算不足で解体されていないだけの、廃墟同然の旧校舎外階段の踊り場なんて、薄汚い楽園に足を運ぶことなんてなかったのかもしれない。


 對馬マフィンが色々な意味で有名である三つ目の理由にして、最大の要因。

 それは彼女が入学直後の自己紹介で「わたしは『魔法使い』です」と。

 薄い胸を精一杯張りながら、やたら通る大きな声で高々に宣言したことだった。


03

「まだ言ってるんだ」


 半ば溜息のような独り言を、對馬の耳は聞き逃さなかった。

 ムッとした表情になって、キャンディを指先でキープしながら。

「そりゃ言いますよ! 花咲里さんだって『高校生じゃないでしょ?』って訊かれたら、ちゃんと『高校生です』って答えるでしょう!」

「そりゃそうでしょ、実際に高校生なんだし」

「同じことです! 実際に魔法使いだから、魔法使いって主張するんです!」

 一転して得意気なドヤ顔になった。相変わらず数秒ごとに表情がコロコロ変わる。

 そして当然、對馬のバカみたいな言い分に納得する私ではない――私は職業:高校生で、對馬は自称:魔法使い。私の身分は国が保証してくれるけど、對馬が魔法使いだと証明してくれるモノは何もない。それになにより私はロマンチストでもなければ、この歳になってまだ無邪気に魔法なんてものの存在を信じられるほど、夢見る女の子ではないのである。

「だって對馬が魔法使ってるとこ、見たことないし」

「んがっ……! そ、それはぁ……!」

 呻き声にも似た声。ポロリと指先から落下しかけたキャンディを危うくキャッチし、今度は苦々しい表情で私を睨みつける。万華鏡フェイスの中心の瞳が、揺蕩う光を揺らした。

 ――つまり、私と對馬がここでどんな会話をするかといえば、そんなものだ。對馬は魔法使いを名乗る。私はそれを聞き流すように、わからず屋の子供をあやすようにやんわりと否定する――無論、出会った当初から一貫して『魔法使い』を名乗り続ける對馬である。真っ向からとまではいかずとも、少し斜め右くらいから否定する不届者へ、自身が魔法使いであることと――魔法の存在を証明することに、躍起にならないはずがなかった。

「箒で空飛んだりしないし、怪しい薬作ったりもしないし」

「ステレオタイプすぎますよ! 確かにそういう古典的な魔法使いは今も存在しますけど、わたしを含め現在魔法使いの多くはもっとシステマチックかつサイエンティフィックで」

「だとして見たことないんだから仕方なくない? 信じてほしいなら魔法見せてよ」

「それ、はぁ……! ぐ、ぐぅ……! うぅ、不甲斐ない……!」

 やがて反論の術なくしおしおと萎びた對馬は、誤魔化すようにキャンディを回転させた。

 半透明のクリーム色が陽光を浴びて煌めく。僅か吹いた風に乗って鼻先を掠めた甘ったるさは、はたしてキャンディの匂いか對馬の匂いか――どっちでもいい。

 私はこの匂いも、この匂いが漂ってくる時間も嫌いじゃなかった。

 昼休みの喧騒が遠くに聴こえる踊り場で項垂れる、自称魔法使い。

 ひととおり落ち込んだ對馬は、大きな溜息を吐くと独り心地に呟いた。

「――わたしがもっと、すんごい魔道具を作れたらなぁ」

 

 あえて分類するならば、對馬は『魔道具製作師』というものに該当する。

 それが魔法使いとしての立ち位置――漫画やアニメみたいに、ファンタジックでド派手な魔法が使えるほどの才能こそ持たないけれど、代わりに魔道具を作ることに長けた一族の者であり、古より魔力を通すことで奇跡を起こすマジカル便利アイテムを用いて、この世の摂理をちょっとだけ書き換えるなどの芸当ができた魔法使い――らしい。

 もはや耳にタコができるほど聞かされた話ではあるけれど。

 それにしたってこんな呆れた設定、我ながらよく覚えていたものだ。


「ま、いいじゃん。どの世界にも落ちこぼれはいるもんだからさ」

「いやいや! 流れるようにわたしを落ちこぼれ扱いしないでくれませんか!? これも何回も言ってますけど、わたしの作る魔道具は業界じゃ結構評判なんですよ!? リピーターだっています! むしろおかしいのは花咲里さんの方なんですからね!」

 その言い訳も聞き飽きた、と溶けて小さくなったキャンディを噛み砕く。

 私になんとしても魔法使いであることを証明したがった對馬は、その努力を惜しまなかった――自分が作ったという魔道具の数々。それを連日ここに持ち込んでは、使わせて私に魔法の存在を認めさせようと必死だった。

 一見するとただの洒落たハンドメイド雑貨。

 だけど曰く、その性能は折紙付き。

 所有者の記憶を遡り過去を見せる砂時計とか。

 沢山の幸福を掬い取ることができるスプーンとか。

 甘いお菓子を乗せるとそれが一つだけ増える小皿とか。

 今回は珠玉の自信作ですよ、と――いつも自信作しか持ってこなかった気はするけど。読むだけで胃もたれしそうなほど幻想の踊り狂う解説と共にお出ししてきた、小さな魔法具の数々は、しかし結局どれも私に魔法を認知させるには至らなかった。というかそもそも一つとしてまともに使えなかった。機能しなかった。

 たとえどれだけ幻想に塗れた魔道具であっても。

 使えないなら妄想で固められた小雑貨でしかない。

 私の掌で沈黙したまま転がされている魔道具を呆然と眺めながら、對馬は「魔法を信じない人に魔力は宿らない」とか「そもそも花咲里さんは王に見初められてないから」とかなんとか――よくわからない言い訳をツラツラ並べて、最終的にガックリと肩を落とす。

 そんな一連のやり取りが、この場所での定番になって久しい。

「おかしいのはあんたの頭でしょ」

「わたしだって傷ついたりするんですが」

 んなもん知るか――棒付きキャンディの白骨死体をダーツみたいに放り投げると、不格好な軌跡を描きながら旧校舎の茂みに落下していった。不法投棄ですよ、と口を尖らせた對馬を無視して、次にポケットから取り出したのはコーラ味。どこかケミカルで作り物くさい、私が一番好きなフレーバー。私も私でこれとラムネ味ばかり舐めるものだから、アソートの底に残るのはだいたい決まった面子になる。主に寒色系の。

 同じくらいのタイミングでプリン味を舐め切ったらしい對馬は、取り出したハンカチで棒を丁寧に包むと、そのままスカートのポケットに仕舞った――いつものことではあるけれど、そのハンカチでまた手を拭くのだろうか。

「随分と都合悪く魔力を持たない人間に会っちゃったね」

「うぅ、本当にそうですよ……魔力とは願い、あるいは祈りそのものです。人は多かれ少なかれ、そこに夢や希望を抱くものなんですけど……いったいどうなってるんですか……」

 そんなこと私に訊かれても困る――願いとか、祈りとか。

 夢とか希望とか、私にはいつだって縁遠い単語だったんだから。

「残念ながら私はそうじゃないってだけだし」

「本当にヒネた人ですよね! 可愛くないです!」

 昔からその手のものとは相性が悪かったのだから仕方ない。

 否定的なのではなく興味がない。だから幻想も抱かない――それだけ。

 それでもなんとなくムカついたので、對馬の頭に小さくチョップを叩きこむ。

「……そんなじゃいつまで経っても友達できませんよ」

「また言ってる。面倒臭いからいらないって、前にも言わなかったっけ」

 ズイっと顔を近づけた對馬が「本当にぃ?」と。

 訝しむような眼でじっと見つめてくる。プリン味の匂いの残滓。超至近距離に湛えられた宇宙。水面に映った星空を覗き込んでいるような錯覚――いや、この場合覗き込まれているのは私の方か。

 ただ残念なことに、いわゆる虚勢でも強がりの類でもないのである。


 私――花咲里アザミは『周りに合わせる』のが大の苦手だ。

 黒色と赤色のカラーリングが好きだから髪にメッシュを入れて。

 露店でかっこいいピアスを見つけたので耳に穴を開けて。

 人だらけの校舎が嫌すぎてボロボロの旧校舎に拠点を設けて。

 やる気が起きない日は図書室から大量の本を持ち込んで読み耽った。

 そして気付いたら、私はクラスきっての『問題児』に認定されていた――そう、問題児。問題のある子供。不名誉な称号だが特に否定する気はない。というかこれだけ好き勝手しておいて「私は問題児じゃない」とか今更言い張るのはおかしい。花咲里アザミは問題児である、という学校側の判断は至極真っ当だ。その程度の感性と常識は持ち合わせていたので、私は誰も寄り付かない旧校舎で非常識に問題児を貫き続けた。


 誰かに合わせるのは嫌いだ。

 自分の領域を蝕まれる感覚が肌に合わない。

 その感覚は単位で変わるものじゃなかった。広くなければとか、いっそ一人だけならとか、そういうものじゃないこともわかってきた――たぶん、きっと。

 きっと私は、そもそも人間が嫌いなんだ。夢も希望も抱かないほどに。


「いいんですか、そんなこと言って! 同窓会に呼ばれなくてもいいんですか!」

「どうせ行かないし――あぁ、そっか。對馬は今でも思うんだ、友達欲しいって」

「なっ!? ななななな、何の話ですか!?」

 応戦するように、鼻先の距離まで顔を近づける。コツンと、互いの額が衝突する。

 自分から近付いてきたくせに、いざ迫ってやったら對馬の瞳は驚愕に見開かれた――単純に驚いただけかもしれないし、あるいは私にビビっているのかもしれない。自分で言うのもなんだけど、私は色々と怖いらしい。身長が高くて、顔もだいたいムッとして怒っているように見える。それは家族にもよく言われるし、寝起きに鏡を見た時なんかは自分でも痛感する――そういう意味で言えば、私はずっと對馬が羨ましかった。

 小さくて、可愛くて。本当はもっと上手に生きられるはずで。

 魔法使いだなんてぬかさなければ、きっとここにはいなかった對馬が。

「昼休みに机囲んで、みんなでお弁当食べて。放課後にカラオケ行ったり、誰かの家に集合してダラダラしたり、そんな当たり前のことがしたかったりすんの?」

「そんなの、は……ぐぅ――そりゃまぁ、そういうことができたらよかったなぁと。思ったことがないといえば、嘘になりますけど……!」

「え、なんか正直すぎ。いや、普段から正直だったけど」

「嘘が下手だってよく言われます。なので見栄なんて張ってもすぐにバレちゃいます……お友達、欲しかったですよ! 本当はすごく! 花咲里さんが言うような、普通の生き方だって――でも、きっと私に、そんな生き方はできませんから」

 對馬は見据えた瞳を反らさなかった。それが答えだと思った。

 プルプル震える身体に合わせて、彼女の長い睫毛が揺れていて。

 それだけの頑なな意思の使いどころを、こいつはきっと間違えている。

「生き方ってなに」

「わたし、魔法使いですから」

 ――フッと、自分の唇端から息が漏れたのがわかった。

 なんだ、それ。そんなの、ただの痩せ我慢じゃないか。

 そうやってよくわからない設定をどうしても譲ろうとしないから。

 そんな妄言を吐くから、今もクラスで浮いてるくせに。

 誰にも話しかけてもらえないまま、ずっと俯いて過ごしてるくせに――教室のどこにも居場所がなくて、こんな薄ら寂しい場所に通い詰めるようになったくせに。

 自分の言い分をいつまでも信じてくれない、こんなつまらない人間相手に。

 嬉々として幻想を語る羽目になっているくせに――本当に、こいつは。

「魔法使い、か」

「はい、魔法使いです」

「本当にそうならよかったのにね」

「いやだから本当だって言ってモガッ」

 プリプリと怒る對馬から離れるついで、その口へキャンディを突っ込んでやる。

 甘いストロベリークリーム味。ピンクとホワイトのツートンカラー。

 普通に生きられたはずなのに、普通でいることを投げ捨てた大バカへ。

 不服そうな顔でいた對馬は、やがて顔を綻ばせて鼻歌を口遊み始めた。


04

「で、結局サヨナラってどういう意味?」


 そういえば始発点はそこだったな、と――今になって思い出したのか、それとも面倒だから思い出さないようにしていたのか。そこは我ながら定かではないけれど。とにかく隣で美味しそうにキャンディを舐める自称魔法使いに真意を問質すことにした。

 しばらく「……?」と首を傾げていた對馬は、やがてポンと手を叩いて。

「あぁ、そうでした! 今日はその話をしに来たんでした!」

「使命だとかなんとか、結局よくわかんなかったんだよね」

「ふっふっふ、気にすることはありませんよ! つまるところ魔法使い界隈の常識でしかないので、夢も希望もない花咲里さんがピンとこないのも当然です!」

 別になにも気にしてないし、たぶん私じゃなくてもピンとこないから。

 そうツッコミながらもう一回、ふわふわ頭へチョップを叩きこんでやりたい気持ちは山々だったけれど――実行すればそれだけでまた話が逸れてしまう気がしたので、仕方ない。今日のところはこのまま黙っておいてやることにした。でもチョップはした。

「あたた……おほんっ! 魔法使いには果たすべき使命が二つあります! 一つは魔法的な使命! これは各々の家の研究によって様々なので、一概にどういうモノとは言えませんが――たとえばわたしの場合は歴史に名を残すような、革新的な魔道具を世に送り出すことになりますかね。つまり魔道具界のエジソンです」

 そしてもう一つが――ふと、舐めていたキャンディを口から取り出して。

 こっちに向き直った對馬は、今まで一度も見たことがない表情をしていた。

 薄く開いた瞼と、緩やかに結ばれる唇――大人じみた微笑み。思わず十年くらい未来の對馬が会いに来たんじゃないかとすら、錯覚してしまうほどに。

 寒々しくて、どこか不気味な微笑みを浮かべながら、對馬は続きを紡ぐ。

「世界の終わりと戦うことです」

「――は? なに、それ。世界の終わり、って」

「あはは、ですよね。そうなりますよね。スケールデカすぎだろって話ですし、どこまでも抽象的な表現ですし。マヤの予言とか、ノストラダムスとか、人が余多持つ預言の日とか、そんな大そうなものではないんですけど――でも実際、過去数回にわたって魔法使いたちは世界の終わりと戦ってきたんです。人知れず、こっそりと。命を賭けて。そのおかげで今の世界が在りますっていえば、雰囲気くらいは伝わるんじゃないでしょうか」

 それとサヨナラという言葉に、何の関係があるのか。

 わかった気がした。わかってしまったような気がした。

 だけどわからないふりをして、私はただ「それで?」と。

 對馬らしくない對馬から、對馬っぽい言葉を聞き出したくて。

「色々お世話になりましたから、サヨナラくらいは伝えなければと思った次第です」

 諦念にも近い雰囲気を纏いながら、何もおかしなことなどないように。

 当然のことだとでも言いたげに、對馬はサヨナラの意味を私に告げた。


――だから、サヨナラ」


 喧騒が一際遠ざかっていったような気がした。

 死ぬと思う――言葉は、妙にハッキリした輪郭と。

 息が詰まるような現実感をもって、私に圧し掛かる。

「――は、はは。意味わかんない。死ぬって、なに?」

「文字通りの意味ですよ! なんたって相手は世界の終わりですから! 犠牲なしに倒せるもんじゃありません! 有名も無名も関係なく、世界中から集まった魔法使いたちが一生懸命戦って――えっと、80%だったかな? 前は確かそのくらい死んだと聞いてます!」

「はち、じゅう」

 80パーセント――10人に8人の確率。もしかしたら、もっと。

 そして對馬は語りだす。それが如何なるものであるかを、訊いてもいないのに。


 魔法使いたちに力を与える“王”と呼ばれる存在が沢山いること。

 そのうちの一人が古の契約に則って負債を回収しに来るということ。

 それが世界の終わりであり、正式名称を『終末機構ハルマゲドン』と呼ぶこと。

 昔からずっと繰り返されてきた聖戦であること。

 その度に魔法使いたちが命を賭けてきたこと。

 参戦できるのは魔法使いにとって素晴らしい栄誉であること。

 前回の『終末機構ハルマゲドン』は第二次世界大戦と重なってしまったせいで、眩暈を覚えるくらい沢山の魔法使いたちが死んだこと。


「要するに一種の現象なんです、これは。現に『殺戮王』ことマドゥラ=アフは、もうとっくの昔に滅ぼされました――でも交わした契約は生き続けていて、今も周期的に世界を終わらせにくる。厄介だし迷惑な話ですよね! 1000年前の御先祖様たちは、悪い輩とむやみやたらに契約を交わしちゃダメって教わらなかったんでしょうか?」

 ――對馬の言葉のどれもが、泥のように脳へ沈んでいく。

 ツラツラと紡がれる言葉は、いつもと同じかそれ以上に幻想と空想塗れで。

 なのに、對馬が今まで聞かせてきたどの話よりも希望がなかった。

 だけど、今まで聞いてきたどの話よりも容易く呑み込めてしまった。

「そういうわけなので『終末機構ハルマゲドン』は人類にとってもかなり重要な聖戦です。本来ならわたしみたいな末端には声もかからないんですけど、でも時代の変化とか色々な要因で、今は魔法使いも泣けるくらい人材不足でして……そこで! この稀代の魔道具製作師であるわたしがお呼ばれしたというわけです! 今晩には出発する予定なので、お別れするなら今しかないかなーと思って」

「……違うじゃん」

「なにも違いませんよ!? わたし、今の時代では結構すごめの魔道具製作師で――」

「誰もそんな話してないだろ!」

 鉄柵を力任せに殴る音と、怒声に近い叫びが旧校舎に反響する。

 ビクリと肩を震わせて對馬は黙る。この程度でビビるやつが、あんな悪辣な冗談を口にしていたのかと思うと、なぜだか更に怒りが込み上げた。

「死ぬとか! 栄誉とか、古のルールとか、千年前の契約とか! そんなの知らないけどさ! それはあんただって同じでしょ!? 顔も見たことない御先祖様のやらかしに付き合って、尻拭いのために命賭けて! だから死にますって――サヨナラなんて、馬鹿じゃないの!? あんたそんな下らないお題目のために魔法使いやってたの!?」

 なにそんなキレてんの、と冷静な私が諫める。

 信じてんじゃないよ、と冷淡な私が嘲る。

 私だってわからない。こんなのいつもの妄言じゃないか。對馬にしてはダークな設定だって。露悪的すぎてウケないよって。適当にあしらってやればいい。

 だって、魔法も魔法使いもこの世には存在しない。對馬の頭の中にしか存在しない。

 王とやらも。古の契約とやらも。『終末機構』とやらも。悪趣味な誉れも。全部、全部全部全部全部全部――どうせ全部、對馬のくだらない妄想なんだから。


「あんたが信じてほしかった魔法って、そんなものだったの――?」

 

 ――妄想、だとしても、妄想であるからこそ。

 違う。嫌なんだ。なにより私が嫌なんだ。見たくないんだ。

 普通なんて自分からかなぐり捨てて、ずっと幻想と踊っていた對馬から。

 そんな對馬の口から紡がれる言葉に、夢も希望もないのが嫌なんだ。

 あいつが今浮かべている、まるで空虚な微笑みが――私は嫌でたまらないんだ。


 シンと静まり返った踊り場に吹いた風が、甘い匂いを私に運ぶ。

 息以外の音は何も聞こえなくて。真下に落ちる影は二つしかなくて。

 まるで私と對馬だけが、この世界にいるみたいだった。

「……やっぱり嘘ですよ、花咲里さん」

 あなたに夢も希望もないなんて、そんなの嘘です――そう言って對馬は困ったように。だけど口にしたってどうしようもないことを解っているのか、取り出したハンカチを私の頬に当てる。言葉の代わりに添えられたそれは、やっぱり甘ったるい匂いがした。

「悔しいです、こんなに素敵な人なのに。わたしが不甲斐ないせいで、あなたに魔法を信じさせてあげられなかったことが――あぁ、もう。信じさせたかったなぁ、本当に」

 きっと對馬には、私が泣いているように見えたのだろう。

 泣いてなんてなかったけど。泣いてるつもりはなかったけど。

 小さく震える指先で不器用に、やや乱暴に私の目元を拭いながら。

「下らなくないですよ、絶対に。確かになんでわたしがとか、ちょっと理不尽だなぁとか、面倒臭いなぁとか。思ったことがないと言えば嘘になりますけど――でも、下らなくなんてないです。沢山いる人々の、花咲里さんの。夢や希望や、明日を守るために命を賭けることが、下らないことなわけがない――きっと誰もが、そう思って臨んできたんです。魔法みたいに形がなくて、でも魔法なんかよりよっぽど信じられるもののために」

 嘘を吐いたらすぐにバレる對馬の、笑ってしまうくらい嘘偽りない言葉。

 相変わらずらしくないと思った。でも、さっきよりよっぽどらしく思えた。

 少なくとも今ここにいる對馬は、私がよく知っている對馬で。

 誰もいない踊り場で、いくつも会話を重ねた、あの對馬に違いなかった。

「……さっき80%は死ぬと言いましたが、つまり20%は生き残るんです。これ、決して低い数字じゃないですよ。それにあくまで第二次世界大戦の死者数も込みなので、きっと正確な数字じゃありません。あと『終末機構ハルマゲドン』は出現する度に弱体化しているとか、今回が最後になるかもしれないとか、そんな噂も最近はよく聞きます。しばらく会えなくはなりますが、案外すぐ戻ってくるかもしれません。結局サヨナラの言い損でしたねって、嗤ってもらえることになるかもしれません――だけど、だから」

 一瞬顔を伏せた對馬は、やがて意を決したように顔を上げた。

 波紋広がる宇宙の瞳に、へにゃへにゃの口元と、よくわからない表情を浮かべて。


「だから信じなくていいです。というか信じないでください、いつもみたいに。さっきの話は下らないって切り捨てて――どうかまた、ここで会えるわたしを信じてください」


 それが精一杯の笑顔であると気付くのに、少しだけ時間がかかった。

 もしかして泣いてるのは對馬の方なのかもしれない、と私は思って。

「……對馬を信じたこと、今まで一度もないけどね」

 だけど口にしなかった。口にすべきではない気がした。

 僅かばかりの彼女の名誉と、なにより私のために。

 信じてなんてやるもんか――これまでも、そしてこれからも。

「うっ! 確かに言われてみれば……そうでしたね、はい……」

「……ハンカチさ、洗っとくからまた取りに来てよ」

 半ば引っ手繰るようにハンカチを奪う。意外なほど上品な手触りの中に、少し細くて硬い感触――よく考えたらさっきキャンディの棒を包んでたやつじゃん、これ。

「對馬、また会えたらさ」

「はい! なんでしょう!」

「ここでまた会えたら――いや、ここじゃなくてもいいか。こんな狭いとこじゃなくて、どっか別の場所で会おうよ。どこでもいいよ。對馬の家でも、私の家でも。学校なんかサボっちゃって。ご飯食べ行ったり、ゲーセンとかカラオケ行ったり――そういう普通のこと、してみるのも悪くないかもしれな……」

「ほへぇー……」

「い……っ!?」

 ふと私は、ポカンと間抜け面を浮かべる對馬を見て正気に戻った。

 つまり、なんだ。私は對馬とそういうことがしたいのか。そういうことをしてみたかったのか。ここで会って話をするだけの関係じゃ満足できなかったのか――いや、違う。きっと對馬の願う“普通”なんかに耳を傾けてしまったせいだ。絶対にそうだ。

 だけど、それがいい――それでいい。それでもいいに、決まってる。

 問題児と妄想癖。どこまでも普通に馴染めない私たちだけど。

 二人で“普通”とやらをしてみるのも、きっと面白いはずだ。

「えっと……わたしと、花咲里さんとで、ですか……?」

「いや、うん……まぁ、言ってみただけだけどさ……」

 なんだか急に恥ずかしくて、今すぐここから逃げ出したい気分になる。

 私が尻すぼみに切り上げると同時、昼休みの終了を告げる予鈴が鳴った。

 まるで見計らっていたようなタイミングに、一拍置いてプッと噴き出すと。


「あはは! なんかいいですね、それ! 友達みたいじゃないですか!」


 心の底から嬉しそうな声と共に浮かべる、それは不思議と今までに。

 見たことがなかった気さえする――可愛らしい、満開の笑顔だった。


05

 その次の日から、思い出したように空はシャワーみたいな雨を降らせた。

 当然私は旧校舎に寄り付かなかった。野晒しの外階段踊り場はもちろん、老朽化した建物は中にいたって雨漏りもし放題で居心地が悪い。図書室の本を濡らして返すのも憚られたし、なによりわざわざ向かうほどの用事も思いつかなかった。

 キャンディの減りが緩くなって。箱の中に暖色が目立つようになって。

 雨はうんざりするほど降り続いて、やがて雲を切り裂いて太陽が現れた頃には。


 對馬マフィンがいなくなってから、早くも二週間が経とうとしていた。


06

「あっつ……」


 外階段の鉄柵に凭れながら、私は一人心地に呟いた。

 活動を始めたセミの合唱隊と、首筋を汗が這うこそばゆさに眉を顰める――梅雨が明けたと思ったらすぐこれだ。これでまだ本気じゃないんだから堪らない。今年は30度を超える日の方が多くなるなんてニュースを聞くと、それだけで元気がなくなってくる。

 いっそ世界なんて終わってしまえばよかったのになぁ、と。

 これから事ある毎に思ってしまうのだろうか。

 脳に焼き付いて離れない、あの甘ったるい匂いと共に。


 對馬がいなくなってからの二週間、驚くくらい世界は何も変わらなかった。

 来週には中間テストが始まるし、中間テストが終わればすぐに夏休みへ突入する。きっとこのままこの先も、何事もなく世界は鼓動を続けるのだろう――クラスの問題児が一人、急に学校に来なくなった程度のことは、知ったこっちゃないとでも言いたげに。

 あったとしたら、對馬が消えた数日後に先生から呼び出されたことだけ。

 あまりに唐突で長い無断欠席を心配して家を訪ねたら、すっからかんの伽藍洞に出迎えられて頭を抱えたらしい。教職って大変だ。私には絶対向いてない。

 つまりは「對馬の行方についてなにか心当たりないか」と――なんでそんなの私に訊くんだと苛立ちを隠すことなく問うと、先生は虚を突かれたような表情で答えたのだ。


「だってあなたたち、友達だったでしょ……だってさ」

 そうだったのかな。そうだったのかも。そうだったら、どうなんだろう。

 返答なんてあるはずのない言葉をぼやきながら、ふと私はポケットの中から、キャンディと一緒に『それ』を取り出した――エメラルド色の宝石が四隅と、そして中心で輝く掌サイズの金細工。地球儀をちょっとだけ複雑にしたような。アンティーク調のデザインが可愛らしくも知的というか、いっそ小賢しいようにすら思える一品。

 自称・魔法使いの置き土産。私しか知らない、問題児が残していったモノ。

 本当に造形だけは妙に完成度の高い――對馬が作った、妄想の具現化。

「……そんなんじゃ、なかったのにね」


 對馬がいなくなってから数日経ったある日、私宛に日付指定の宅配便が届いた。

 それはやけにデカい段ボール箱で、差出人の名前は對馬マフィン――はて住所なんて教えたっけと思いつつ、特に躊躇いもなく開封したら、真っ先に目に飛び込んできたのは大量の袋とメモ用紙。十袋全てが棒付きキャンディのアソートだった。今まで貰った分のお返しです、なんてメモに書かれていたけど、さすがにこんなに恵んでやった覚えはない。真面目というかなんというか、そういうとこだぞと思った。

 そしてキャンディの袋に挟まれ、まるで隠すように同封されていた小雑貨。

 曰く――『興亡王』と『永劫王』と『螺旋王』。三人の王の力を借り、天蓋の星の動きを読むことで今生きている世界とは異なる世界、所謂パラレルワールドを観測できる――とかなんとからしい、魔道具製作師、對馬マフィンの最後にして最高傑作。

 相変わらず際限なく目が滑る解説文に記された、この魔道具の名前は。


「『エネアドラ天球儀』」


 確か、そんな名前。うん、見た目はいい。お洒落だ――でも、それだけだ。

 陽光にキラキラ輝くさまは綺麗だけど、使えなければ所詮はただのガラクタ。最高傑作だろうと関係ない――魔法を信じない人間に魔力は宿らない。夢も希望もない私には。そう言ったのは對馬だろうに、よりにもよってこんなものを置き土産にするなんて。私に魔法を認めさせられなかったことがよっぽど悔しかったのかと思うと、なんだか少し笑えた。

「――ねぇ、對馬。私さ、たぶんだけど」

 ひとしきりクツクツ笑った後、天球儀を見つめながらポツリと呟く。

 結局のところ、對馬マフィンの幻想はどこまでが本当だったのだろう。

 世界は終わらなかった。對馬は戻ってこなかった。それだけが、純然たる事実。

 でも事実と真実は違う――誰かの真実になんて辿り着けるはずがない。對馬が語った幻想の真偽も、この場所に帰ってこない理由も私にはわからない。知っているのは對馬だけだ。信じないでくれと言った、信じてくれと言った對馬だけだ。


 だから、忘れ去られていく。忘れてしまう。忘れたくなくても、きっと。

 本当のことなんてわからないまま。本当のことなんて知りもしないまま。

 茹だるような暑さと、目が眩むほどの太陽に、白く染まってかき消されていく。

 きっとそのうち、思い出せないことすら、思い出せなくなっていくんだろう。

 魔法使いを自称していたクラスメイトの存在も。

 問題児同士がたまたま寄り集まった時間も。

 彼女の声も笑顔も、キャンディの味も。

 いつしか私の中で、特別ではなくなってしまうのなら。

 そうして“普通”に染まって、過去を嗤うようになるのなら――


「たぶん對馬のこと、好きだったんだと思う」

 

 ――今でも、きっと好きだ。

 思い出なんて数えるほどしかないけれど。

 報われないと知っていながら、ただ純粋に。

 魔法使いを辞めようとしなかった、對馬のことが。


「……なんて、遅すぎるかな」

 夢も希望も私は持たない。持ったことがない。

 それでもこの感情が、誰しもが持つ、祈りや願いなんてものだとしたら――瞬間、まるで呟きに呼応するように『エネアドラ天球儀』の輪環が回転し始めた。

 虹を溶かした粒子が掌の上で踊り、ふと何処からか甘い匂いが漂う。

 直感で理解する――これが魔法か。對馬が見ていた、幻想か。

 驚きはなかった。そんなもんか、と思った。

 それよりも知りたかった。あの日の“もしも”の、その先を。

 對馬が浸っていた幻想の一端に、私が触れられていた世界の物語を。

 漏れ出た仄かな光が、中心の結晶に結んだ朧げなヴィジョン。

 後悔するかもしれない。このまま捨てたほうがいいのかもしれない。

 そう思いながらも私は、躊躇することなく宝石の中を覗き込んだ。


 ――見慣れたいつもの外階段。そこに私と對馬がいる。

 夏服の私たちはやたらと気怠そうで、加えて對馬はやたらと落ち込んでいる。

 いつものバカみたいな雰囲気もすっかり沈黙してしまっている彼女に、私がなにやら一つ二つ言葉を紡ぐと、半端に開いたその口にプリン味のキャンディを突っ込んで。

 しばらく猛抗議していた對馬が、やがて仕方なさそうにキャンディを転がして。

 声は聴こえない。何の話をしているのかまでは、わからない。

 だけど目も眩むような太陽と、世界すら包み込めてしまいそうな大きい雲の下。

 ふたりぼっちの問題児は、寄り添うようにして笑っていた――


「――あぁ、よかった」

 乾いた声が喉から漏れる。いつかのように、外界の音が全て聴こえなくなる。

 踏み入ることのできないパラレルワールド。今の世界が至れなかった世界。

 もうきっと――私には訪れることのない、一つの可能性の残滓。

 もし私がもっと早く気付いていたら。

 もし對馬が痩せ我慢を止められていたら。


「そんな世界も、ちゃんとあったんだ」

 

 あったよ、對馬。夢も希望も、願いも祈りも。

 とある魔法使いが守ろうとした、形なきものが。

 此処ではない世界の、知らない私たちに――ちゃんと。


 天球儀をポケットに突っ込み、入れ替えるようにキャンディを取り出す。

 甘ったるいプリン味。お子様舌の對馬が好きだった味。

 私はあまり好きじゃないし――これからきっと、嫌いになる。

 ペリペリとフィルムを剥がし、匂いが届く前に口へ放り込んだ。


「――甘いなぁ」

 

 ポケットの中で魔道具が転がる。

 遠くから吹いた風に夏の気配がする。

 甘ったるさは舌の先で溶け、やがて消えた。

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遠き“もしも”の魔法使い 溝呂木ユキ @mutemarizumu

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