Case.27 世界認知
Case.27 世界鑑賞
数多く並んでいる保管庫のドア。そのうちの一つの前で止まる。顔認証のロックを解除し、中に入る。
中に入った途端、ジュンは圧倒された。
「う、るさ……っ」
「ここは主に立体物が保管されている倉庫だ。彫像はどうしても動きがちだし、声を上げがちだからな。これが絵画が保管されている倉庫だったら、もう少し静かなんだが」
ジュンは高くまで吹き抜けている天井を見上げる。上の方にはぐるぐるとモビールのように羽ばたいている鳥の模型。毛糸で作られた可愛らしくデフォルメされたライオンは、出ようと必死にショーケースに体当たりをして跳ね返されている。ジュンには何を形作ったかわからない金属でできている不思議なフォルムの彫像は、ぐねぐねと形を変えながらショーケースの中を這い回っている。
「動物園……」
種類の違う様々な動物たちが、展示されている動物園。この倉庫も、素材も表現しているものも違う彫像が、展示されているようだ。ショーケースの中であることはさておき、自由に動き回っている様は静謐な美術館よりも、動物の生態を観察する動物園の方が近いとジュンは感じた。
「なるほど。言い得て妙だな」
リクは倉庫の奥へと進んでいく。奥にもずらりと様々な作品が並んでいる。
動物観に似ている。それは確かに思った。だけど、動物園よりも凶暴性を感じる。最初は『動物』のような定型的なものではなく、直感的に人を恐れされるような作品が混ざっているからだと思った。たとえば、人の身体に激怒している醜いサルの彫像は、見ているだけで不快にさせる。
だけど、進むにつれて、印象が変わっていく。動物園の動物たちは、人間によって自然よりも余程快適に過ごせるように世話されている。空調の効いた綺麗な部屋で、程よい餌を与えられて生きている。彼らは自由こそ少ないかもしれないが、穏やかだ。猿山のようにボスの座を争う激しさもあるかもしれない。だが、餌がもらえなかったり、外敵に襲われるという心配はしなくていい。野生よりも穏やかな生活を送れるのは違いない。
この保管庫を動物園だと例えるのならば、この荒々しさはどうだろう。みなどれも攻撃的で、満たされていない。檻にぶつかっていく凶暴さを感じてしまう。
「お前は、辰巳葵のアトリエで聞いたな。『仲間はずれ』は誰も傷つけていない。それなのに、ディストーションを解除しないとダメなのか、と」
「はい」
必死に自分の作品を守ろうとする辰巳の思いが間違っていたとは、今でも思っていない。『仲間はずれ』は動くことで初めて完成する作品だったとジュンは思っている。
アトリエでは辰巳の感情が爆発して、結果辰巳自身もバレリーナたち自身も傷つく結果に終わった。それでも、まだ納得いっていない。辰巳が遠い所にいて、穏やかに過ごせていれば、バレリーナたちは優雅に舞い続けるのではないか。そして、それは他の作品にも当てはまるのではないか。
「見ろ」
リクは一つのショーケースの前で止まる。ジュンは言われるがままに、目の前にあるショーケースの中を見た。
「『仲間はずれ』……」
辰巳の作品、『仲間はずれ』が飾られている。黒いバレリーナを取り囲む白いバレリーナたち。彼女たちは今も生き生きと舞い踊っている。
「これは、何をして……」
ただ、『仲間はずれ』のショーケースは例に漏れず騒がしい。バレリーナたちが、順番にショーケースを蹴りつけ、殴り、ぶつかる。跳躍のその勢いで。手を挙げる動作で。見事なピルエットを決めるその身体で。
大理石でできたバレリーナたちは、ショーケースにその身体を叩きつける。ショーケースの内側には、透明なクッションが張り巡らされているから衝撃は小さい。だが、ショーケースが揺れるほどの力強さで、バレリーナたちは踊って――いや、暴れている。
「遠藤主任にショーケースの固定をお願いしないとな」
「リクさん、彼女たちはいったい何をしているんですか」
ジュンは瞬きを忘れて、バレリーナたちから視線をリクに移す。リクは入れ替わるようにバレリーナたちに視線をやる。
「ショーケースを壊そうとしている。脱走しようとしているんだろうな」
「閉じ込められているのが嫌だから」
「それもあるかもしれない。だが、それ以上の目的があると改変対策課は考えている」
「それは?」
リクは努めて平坦な声で言う。
「人間に危害を加えるためだ」
「人間に危害を? 何のために?」
「目的はわからん。ディストーションされた作品に知性があるのかどうかもわからない。会話ができるディストーションの例もあるが、その作品の言葉が本心なのかどうなのかもわからん」
ただ、とリクは続ける。
「ディストーションが解除できない作品が例外なく人間に危害を加えることだけは、事実だ」
ジュンは今通ってきた道を振り返る。ここまで来るのに、たくさんの作品の間を通った。みな一様に暴れていた。ショーケースから出ようと藻掻いていた。それは、人間を傷つけるため。目の前にいるジュンとリクを傷つけるため。
「『仲間はずれ』も……展示できないんですね」
ジュンはバレリーナたちに目を戻す。優雅に舞い踊り、ショーケースから脱出しようと奮闘する彼女たち。彼女たちも、ジュンとリクを傷つけようと奮闘している最中なのか。
「だから、ディストーションは認められない。どんな作品であろうとも。どれほどの傑作であろうとも。例外はない」
だから、辰巳の作品は展示が認められない。ディストーションが解除されるまで、ここで保管されることになる。ここでずっと、ショーケースに襲いかかることになる。
「作品の確認はできた。戻るぞ」
リクは踵を返す。ジュンはもう一度じっくりと『仲間はずれ』を見て、辰巳を思い出す。辰巳が退院するときが、彼女たちバレリーナがここから出る時だ。それは、果たして実現するのか。
ジュンは『仲間はずれ』に背を向け、リクを追いかける。
「あ……」
そこでようやく思い至る。リクは一度も『仲間はずれ』や辰巳のアトリエにあったその他のバレリーナたちを『彼女』とは呼ばなかった。一貫して『彫像』と呼んでいた。
それはリクなりの芸術への向き合い方なのだろう。『彼女』と呼べば、ディストーションを認めてしまう。『彫像』と敢えて無機質に呼ぶことで、少しでもディストーションを押さえたいリクなりのディストーションへの抵抗で、作品へのリスペクトだったのかもしれない。
「遅い。ここに閉じ込められたいのか」
「いや、ちょっと勘弁してください」
リクがドアを閉め切る手前で、ジュンは保管庫から滑り出る。
「チッ、足早いな」
「一応鍛えてるんで」
「新人はここに一晩閉じ込めるのが慣例なんだが」
「絶対嘘ですよね。そんなことされたら、気が触れますよ」
保管庫のドアは続いている。この保管庫以外にもディストーションされた作品がたくさんある。
恐ろしい事実だ。そして、それをほとんどの人が知らない。知らない方が幸せなこともある。
だが、ジュンは知ってしまった。知ってしまったら、もう戻れない。
だけど、知らなかった頃に戻りたいかと聞かれれば、ジュンはノーと答える。知っているからこそ、できることがある。
ジュンはポケットから木彫りのバレリーナを取り出す。精巧さも力強さもない。素人の、手遊び。作るのは楽しかった。楽しくて、夢中で作った。
その楽しさを他の誰かも味わうことができたら、もっと良い。
(あぁ、だから)
だから、リクも春日も森田も遠藤も、みな過酷な現場で働いているのか。リクはようやく思い至る。彼らは、ジュンよりも余程芸術が好きなのだから。だから、もっと多くの人が芸術に触れてほしい。そして、何より楽しんでほしい。
楽しむ心を守るために、改変対策課で働いている。
(ちょっと、格好良いじゃん)
ジュンはリクを見直した。細い背中が頼もしい。
「リクさん、次の仕事はなんですか?」
「次か? 次は某美術館で水彩画のヘビが暴れ回っているらしい。ディストーションの解除方法は……」
「解除方法は?」
「誰かが噛まれることだ。毒蛇だ。頑張れよ」
「え? 俺? 嘘、嘘ですよね。嘘って言ってください、リクさん!」
ジュンは、見直したリクの評価を『嘘が際どい人』に訂正した。
後日、SNSをチェックしていたジュンの目に一つの投稿が飛び込んで来た。
『あれ? この展示会にあったバレリーナの作品、なくなってる。凄い良かったのに、残念~』との文章と共に、『仲間はずれ』の写真が付いている。もちろん、ディストーション前の写真だ。
この投稿は伸び、その日の閲覧数第1位を獲得する。コメントも好意的なものばかりだ。
「辰巳さん……『仲間はずれ』、認められたよ」
辰巳は外界の情報から遮断されているが、病院がリハビリの一環として教えるはずだ。
気づいてほしい。ディストーションなんかしなくとも、辰巳の作品は素晴らしいのだと。そして、いつか外の世界にバレリーナたちと出てきてほしい。
一人の黒いバレリーナと多数の白いバレリーナたち。この作品に付けられた『仲間はずれ』の意味。それは、黒いバレリーナが仲間はずれだと言っているのではない。たとえ色が違ってもみな同じ作品を作り上げることができるとの思いがこもっているから。
『仲間はずれ』は世界に恥じない作品だ。辰巳自身が、今後作る作品で証明すべきだ。
そのときが来るのを、ジュンは楽しみにしている。
アーティスティック・ディストーション 桜木 トモ @sakuraki1006
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