Case.26 保管場所

Case.26 保管場所


警察官出身のジュンが、改変対策課に異動となった理由がまた一つわかった。

「斉藤さん、そろそろお認めになったらどうですか?」

「嫌だ」

 斉藤は改変対策課の一室に連行されていた。秘密の保持を約束していたはずだが、辰巳を始め多くの人間に言いふらした。ほとんどの人間は合成だと思ってまともに取り合わなかったため、大事には至っていない。

 ただし、ディストーションの情報を漏洩したのは容認しがたい。斉藤は連行され、取り調べを受けることになった。ジュンは現在、警察官の制服を着て、斉藤の前に座っている。

(警察官っていっても、取り調べとかしたことないのに……)

 ジュンは心の中で嘆く。駆け出しのペーペーで交番での勤務しか経験したことのないジュンは取り調べをしたことがない。警察学校で練習をしたくらいだ。だけど、『警察からの出向』というだけで、あれよあれよと斉藤の取り調べを任されることになった。

 ちなみに、ジュンがやらなければ、リクがやることになっていたらしい。リクは嬉々として制服をジュンに押しつけてきた。

「だいたい、俺は何の罪になるんだ?」

「偽計業務妨害にあたります」

「はぁ? 何だソレ」

「簡単に言うと、デマを流して展示会に混乱を招いた嫌疑が斉藤さんにはかけられています」

「おまわりさん、デマじゃないって。あれ、本当なんだって」

 斉藤は両手を開いて訴える。

「俺の彫った熊が動いたの、本当に」

「私も映像は確認させていただきました。たしかに良くできていたと思います」

「だぁかぁらぁ! 合成とかじゃないんだって! 本当に動いていたんだって!」

 斉藤は机に拳を打ち付ける。何度言っても聞き入れない、目の前の警察官に怒りがこみ上げる。

「……斉藤さん、もしかしてお疲れなんじゃないですか?」

「おまわりさん、俺を馬鹿にしてんの?」

「いいえ。……ただ、斉藤さん。このままでは、ここから出ることができませんよ」

「何だ? 脅しか? 警察官が脅してんのか?」

 斉藤は鼻で笑う。このご時世、まさか脅しをかけてくる警察官がいるとは。

 それこそ、ここを出たらインターネットで書き込んでやる。『不当な取り調べを受けた』と書けば、マスコミや警察嫌いなアカウントはすぐに飛びつく。丁度、『穿つ』がヒットして、斉藤のアカウントは注目を浴びている。ここに更に警察官の不適切な取り調べをアップすれば、更に燃え上がるだろう。

 斉藤は心の中で決意を固める。だが、そんな斉藤の決意を、ジュンはごく簡単に打ち砕く。

「脅しではありません。その……大変申し上げにくいのですが、このままでは精神的に不安定ということで、病院に入院していただくことになりますから」

「は……? いや、ちょっと待てよ。病院? 俺が? 俺はどこも悪くないだろ!」

「判断するのは私ではなく、医師なので」

 斉藤の頭が冷や水を浴びせられたかのように、縮こまる。

 病院に入院――精神的に不安定ということは、そういう病院なのだろう。そこでの生活はいったいどういうものか、斉藤にはわからない。だが、インターネットに繋がることはもちろんない。彫像の制作なんてもっての外。何もできず、ただ病院で過ごす日々。

(ふざけんな! 俺は、今が一番大事な時期なんだよ!)

 『穿つ』が人目を惹いた。ようやく、斉藤は自分の番が回ってきたと思った。何体も何体も彫った。斉藤よりも余程線が細く、迫力に欠ける、だけど宣伝だけは上手な奴ばかり有名になっていく。

 だけど、耐え忍んだ。いつかは俺の作品が認めてもらえるはずだ。いつかは俺が。俺が。

 斉藤は執念を込めて、木を彫り続けた。その結果が、『穿つ』だ。

 ようやく世間の目が斉藤に向いた。ここからが正念場だ。一発屋ではなく、本物になるためには、ここからがむしろ大事だ。『穿つ』に続く傑作を造り世に出すことで、斉藤は本物になる。

「よく、思い出してください。あなたが提出した映像を。あの木彫りの熊が本当に動き出したのか、あなたが作った合成の映像なのか」

「すいません、今思い出しました。あれは……俺が作った合成の映像です」



「いったい正義ってなんでしょうね?」

「警察官様に聞かれるとはな」

「おちょくってます?」

 ジュンの疑問に、リクは肩を竦めるだけだ。

 斉藤の取り調べを終えたジュンは、そのままの格好で改変対策課の執務室に戻ってきた。この後は調書を取ることになっている。『警察の取り調べ』を装う以上、そういった手続きもしておくべきらしい。

「調書……というよりは、念書ですか」

「そうだな」

 リクはあっさりと肯定する。

 調書といっても、その実体は『ディストーションのことを口外しない』との念書に近いものになる。

「……」

「何だ? 何か不満か?」

「そういう訳じゃ……いや、そうですね。すっきりとはしませんね」

 斉藤に嘘を吐かせている。ディストーションは現実に『ある』現象なのに、『ない』と言わせる。芸術を守るためだと言い聞かせても、ジュンの心の中にある靄は晴れない。

「そうだな。ドラマによく出てくる正義は、秘密を暴き、悪を暴く。だが、俺たちのやっている正義は、嘘を吐かせてでも、秘密を守らせるものだ。真逆ではないが、正当ではない」

 当事者に嘘を吐かせ、大義を守る。大事の前には小事は見過ごされる。

「あまり真剣に悩まない方がいいぞ」

「まぁ、そうですけど」

「お前が斉藤を説得できなければ、斉藤はもっと酷い目に遭っていた」

「病院送りに?」

「それだけで済めばいい方だ」

 ディストーションは全世界的に秘密にされている。斉藤がディストーションについて暴露する。国際的な機密保持に違反することにもなりかねない。

 ディストーションを暴露しようとする者は、世界規模で危険人物として取り扱われる。

「それって、つまり……」

 殺される、ことになるのだろうか。ジュンは背中にアイスブロックを詰め込まれたような冷たさを感じる。

 そんな馬鹿なと笑い飛ばせるような冗談ではない。ジュンは笑い飛ばせないほどに、改変対策課の内情を知ってしまった。

 ジュンは御朱印のディストーションに悩まされている神社の住職を思い出す。住職はディストーションが起こす現象を知っていながら、『神様のご機嫌が悪い』と納得していた。

 知らない方が幸せなこともある。住職はきちんとわきまえていた。だから、平穏な毎日を約束されている。

「俺たちの権限じゃ、ディストーションを公にするなんて決定はできない。それはもっと上の、それから世界の方向を決定する人たちが考えるものだ」

 ジュンがどれほど正義と大義の間で葛藤しても、世界は何も変わらない。

「斉藤を救うことができた。そう思え」

「そう、ですね……」

 世界は不合理なのかもしれない。だけど、その不合理から斉藤を救うことができた。斉藤は病院に入ることにも、抹殺されることもなく、芸術家として成功した人生を送るだろう。

「辰巳さんは……」

「彼女は難しいだろうな」

 斉藤は秘密を守り生きていく覚悟を決めた。それは、プライドを捨てることでもあったのかもしれない。

 だが、辰巳はできないだろう。辰巳はディストーションした作品を作ることに拘っている。芸術家としてのプライドを持っているからこそ、より良い作品を作りたい。だから、ディストーションを諦めきれない。

「どっちが正しいんでしょうね?」

「さぁな。俺は、高みに辿り着くことを諦めた人間だ。辰巳さんの気持ちはわからん」

 リクは『仲間はずれ』を思い出す。素晴らしい出来だった。辰巳は、ごく数人しか辿り着くことのできない高みを登りきった。

 一方、リクは高みを目指すのを諦め、こうして改変対策課で働いている。そんなリクに、辰巳の気持ちはわからない。せっかく高みに辿り着いたのに、下りろと言われる屈辱を理解することはできても、想像することはできない。

 辰巳はこれからも続く長い人生の中で、プライドを捨てることができるだろうか。芸術を諦めることができるだろうか。それは誰にも、辰巳自身にもわからない。

「松原さん、塩谷さん。『仲間はずれ』及びその他作品の鑑定結果、出ました」

「ありがとうございます。行くぞ」

「あ、はい」

 リクに書類が手渡される。リクはすぐに立ち上がる。ジュンも同行する。

「今の方って」

「第三係の遠藤主任だ」

「あの、結局第三係って」

「説明がまだだったか」

 リクはジュンにどこまで説明していたか思い出す。執務室にほとんど揃っている第二係とは違い、第一係同様外に出突っ張りの第三係の説明を忘れていた。

 リクはジュンに、受け取ったばかりの資料を手渡す。リクは空いた手でエレベーターのボタンを押す。行き先は保管庫だ。

「第三係はディストーションを解除できなかったものの保管・管理を行っている」

「保管と管理ですか」

「ディストーションを解除できれば、美術館に展示したり、個人での所有が認められる。だが、ディストーションの解除が困難なものや解除の方法が確立されていないものは、改変対策課の第三係が保管・管理を行っている」

 以前、保管庫の前を通った時、ドアの向こうには多くのディストーションされた作品があるとリクは言っていたのを思い出す。ジュンはそのとき背筋が寒くなった。屏風から出てくる虎を見た直後だったこともある。

 あのように恐ろしいものが、この世界には数多くあり、しかもこのドア一枚を隔てた向こうにある。このドアが破られれば、恐ろしい災厄が世界に広がる。

 そして、リクは今、その災厄の坩堝にジュンを案内しようとしている。

「過度に怖がる必要はない。第三係の管理はしっかりしているし、厳重なロックもされている」

 エレベーターが止まる。ジュンはリクに資料を返す。

「つまり……、辰巳さんの『仲間はずれ』はここに保管されることになった、と」

「……そうだな」

 ここまで話をして未だに言い淀むリクにジュンは嫌な予感を覚えつつ、エレベーターを降りる。 

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