最終話「埋もれてゆく輝きたちのこと」

 後の世に『』と言われてしまう戦いがあった。

 歴史に名を残すとも知らずに、迷いも躊躇ためらいもなくシャンホアがやらせたのだ。

 敵将の良識や善意に付け込み、最後には人間の欲とエゴを刺激する。

 舞い散る無数の財宝を前に、寵姫たちは一斉に駆け出した。

 弾は飛んでこない。

 敵兵たちにはもう、宝石や金塊しか見えていない。


「き、金だ……あのうつわも、さかずきも……金だ!」

「見ろ、ダイヤだ! 青いのも赤いのもある!」

「こ、これだけあれば親に楽がさせられるぞ!」


 咄嗟とっさにアルトが叫んだ命令が、塗り潰される。

 シャンホアがせいぜい撹乱かくらん程度にと思っていた策が、とんでもない効果を引き出してしまった。

 条約軍の多数は皆、貧しさゆえに兵役で税を納めていた男たちだったのだ。

 その眼の前に、金品や財宝をこれでもかとぶちまけたのである。


「みんな、まずは迎撃を! 女たちを倒してからでも拾える! あ、いや、略奪は許されないけど、先にまずは戦いを、ッグ!」


 初めてアルトが焦りを見せた。

 そんな彼の頭に、宝石を散りばめたつぼが直撃する。それ一つで小さな国が買えるぐらいの秘宝だが、流石さすがに英雄はそれを振り払う。

 その時にはもう、こぶしの届く距離にシャンホアは踏み込んでいた。

 アルテパは落ちてた巨岩を放り投げたし、キリヒメも腰の太刀たちを抜く。

 ヘリヤグリーズの銃声を合図に、全員で一気にアルトだけを狙って叫んだ。


「アルトさんを生け捕りにっ! 利用価値があります、絶対に殺さないで!」

「わかってるぞ、アルテパは賢い。キリヒメも、今回は首切りダメなんだぞ」

「これだけの大将首を前にかや? やれやれ、つまらぬのう! ああ、つまらぬ!」

「いいからさっさとふん縛りますわよ! あと、その人は聖騎士、不用意に近付いては――」


 アルトが腰のサーベルを抜き放つ。

 正面に剣を構えた礼は、正しく聖騎士の名に偽りなき姿だった。

 だが、すでに周囲の兵士たちは金品以外なにも目に映っていない。

 完全に孤立したアルトに対して、シャンホアたちは初めて数の優位で襲いかかったのだった。

 だが、たった一つの誤算が全てを無常にも破滅させる。

 優秀な指揮官、優しい青年……そこにはしかし、教会の加護を得た武人も同居していたのだった。


「んんんんっ! っ、かあぁ! 此奴こやつ、やりおる……ハ、ハハ! 強いのう!」


 笑いながらキリヒメが倒れた。

 彼女の吹き出した鮮血が、きらめく空の黄金をあかく染めてゆく。

 慌ててアルテパが彼女を抱き寄せたが、彼女のブン投げた巨岩は真っ二つになって落ちた。その真中から、アルトはあくまで優男風の表情を崩さずに歩み出る。

 そして、銃を構えていたヘリヤグリーズは、謎の赤い影に襲われていた。


「やれやれ、僕は女子供に剣を向けたことがないんだけどね。エノヤ、こっちも殺さずでいこう。いいね? 殺しちゃ駄目だよ? 絶対に駄目、いいよね?」

「承知……チッ」


 赤い蓬髪ほうはつを振り乱した、謎の女が現れた。

 まるで、アルトの影から這い出た幽鬼ゆうきごとくだ。

 その両手に握られた短刀が、あっという間に左右の連撃でヘリヤグリーズの銃を切り刻む。

 突然の暗殺者に、シャンホアは思わずあの時の光景を思い出していた。


「あの人っ! 太后様たいこうさまを……メイラン様を手にかけた人っ!」


 腰の拳銃を抜いたヘリヤグリーズは、そのまま手首を切り裂かれて膝をついた。

 速い、疾過はやすぎる。

 赤毛の女は、年の頃は皆と同じか、少し上くらいだ。

 だが、そこに女性特有の柔らかな感情はない。

 平坦な痩せ過ぎた肉体は、驚異的な瞬発力で刃を振るってゆく。

 無表情に、まるで機械のようにミーリンに迫ってゆく。


「いけない! ……約束した、フェイルと約束したんだ! ミーリンを守るって!」


 エノヤと呼ばれた凶刃きょうじんが、周囲を気にせず真っ直ぐミーリンに突っ込んでゆく。

 その背を追いかけるシャンホアは、多幸感に笑い叫ぶ兵士たちを乗り越えてゆく。縫うように避けて通る時間がないから、最短距離で障害物として踏んで蹴る。

 これだけの人間が密集しているのに、殺意と闘争心を燃やしている人物は数名だけだ。

 皆、無数の宝物に酔いしれている。

 谷の外の兵士たちまで、話を聞きつけ無理に入ってこようとしているのだ。

 そこではもう、最強の聖騎士が指揮権を使っても、統制は戻ってはこなかった。


「ミーリンだけは! 絶対に守るんだ!」


 シャンホアの声に振り返らず、エノヤが短剣を逆手に持ち替える。

 間に合わない、一瞬で全てが決着する。

 あと一歩、わずか一歩が届かぬままでもシャンホアは諦めかなった。

 その気迫と、なによりシャンホアを信じて動かぬミーリンとが奇跡を呼んだか。それともこれは、禍々しき太古の亡霊の顕現か。

 紅き暗殺者は、一瞬動きを止めて飛び退いた。

 ミーリンの全身から薄っすらと、謎の光が漏れ出て影を作る。

 それはまるで、九つの尾を持つ巨獣のようだった。


「間に合った! ミーリン、しっかりして!」

「クッ、なんだ……今のは」


 ミーリンは微動だにせず、むしろ不遜な態度で腕組み仁王立ちだ。

 そこにもう、おどおどと落ち着かない普段の姿はない。

 そして、口を開けば別人とさえ思えるような声が驕り高ぶっていた。


「最後の最後までわれに頼らんとはな。そこな小娘、信用されておるぞ。でしゃばってしまったが、まあよい……斯様な大戦おおいくさの際に暗殺返あんさつがえしとはまあ、フフフ」


 まただ。

 あの、謎の光が生み出すミーリンの別人格だった。

 その正体は不明だが、一種異様な殺気が周囲に満ちる。それにエノヤは一瞬気圧けおされたのだ。そのわずかな刹那の時間に、シャンホアは暗殺者の背に追いつき、追い抜く。

 身を盾にしつつ、ぷつりと糸が切れたように倒れるミーリンを抱き寄せた。

 そして、あらん限りの声を張り上げる。


「先の太后様のかたきッ! メイラン様は守れなかったけど、ミーリンはボクが絶対に!」

「……錯覚か? 今、一瞬……いや、いい。その娘は殺す。邪魔するお前も、殺す!」


 迫りくる暗殺者を前に、チラリとシャンホアは視線を放る。

 サーベルを手に、アルトは悠々ゆうゆうと歩み寄ってきた。

 まるでそう、既に勝敗は決したかのような余裕が見て取れる。

 一人が一軍に匹敵するかと思われた寵姫たちも皆、やられてしまった。

 今、戦えるのはシャンホアだけだった。


「僕はね、略奪りゃくだつ強姦ごうかん虐殺ぎゃくさつを許さぬ覚悟で攻めてきてるんだけどね。帝国が滅んでも、無辜の民たちには平和を保証するつもりだったんだけど」

「じゃあ何故なぜ! どうしてボクたちの国と戦争なんか」

「西方じゃ、僕みたいな一介の軍人に決定権なんてないんだよ。ええと、民主主義というのがあって、文民統制が……あ、わかるかな」

「わからない、知らないっ! わかれないし、知りたくもないっ!」


 西方諸国連合せいほうしょこくれんごうが先進国の集まりだとか、選挙制度と三権分立に基づく民主共和制だとか、シャンホアは全く知らない。理解できないし、想像することすらできない。

 繰り出されるエノヤの切っ先を避けつつ、時に切り裂かれながらもミーリンを守る。

 片手でミーリンを抱えているので、右の拳しか使えない。

 聞きかじりの拳法も、守りに入れば我が身一つさえ守れなかった。

 そんな中で突然、絶叫が幾重にも響く。


「そいつをよこせ、俺が先に拾ったんだ、っ、あが? あ、あれ、俺の腕が」

「俺のもんだ! まだまだあるんだ、好きに拾えば……んぐぅ!? ――ぁ」


 振り返るシャンホアは、信じられないものを見た。

 槍の一撃で兵士たちを薙ぎ払い、血塗れの男が歩いてくる。

 満身創痍まんしんそういのその姿は、激戦の連続を彷彿ほうふつとさせた。

 だが、体力の限界を超えたかに見えるその全身から、空気をゆらがせるような闘気が溢れ出ていた。


「あれは……フェイルッ!」


 そう、フェイルだ。

 彼は無言の視線で暗殺者を、その背後のアルトを射抜く。

 立っているのもやっとに見えるのに、何故かシャンホアには酷く頼もしい姿に思えた。

 そして、荒らげた息の間に怒気をはらんだ言葉が挟まれる。


「お前が聖騎士アルトか。なるほど、見るからに善良そうな優男やさおとこじゃないか」

「そういう君は? あっちのとりでは」

「常勝無敗の聖騎士様にはわからないかい? 幽谷関ゆうこくかんは落ちねえ、抜かせなかったんだよ。お前たちの負けだ」


 まだ、関所は破られてはいない。

 みやこに続く街道の最後の要害は、依然として持ちこたえているとのことだった。

 そして、勝てるはずの優位な戦が長引くと……大軍の間に奇妙な不安が生まれた。それは、謎の魔女騒動も手伝って急激に膨らみ拡散してゆく。

 また、主戦場である幽谷関からアルトが離れたことで、士気が僅かに下がったのだ。


「で、だ。ここでお前を無力化すれば、条約軍は戦力を保持したまま崩壊する。違うか?」

「……だとしても、その傷で僕と戦えますか?」

「戦えるか戦えないか、か……関係ないね。ただ、戦うと決めている。覚悟が違うんだよ」

「どうしてそこまで」

「面白い女がいてな、イモ臭いド田舎のガキだが……死んでやっても悔いはない、そういう女だ」

「女……それだけのためにこんな負け戦を」

「西方じゃ、負けるとわかってたら戦わないのか?」


 それ以上、二人に言葉は必要なかった。

 剣を抜き放つフェイルが風になる。アルトもサーベルを構えてそれを真正面から受け止めた。周囲で貪欲どんよくに酔いしれたような歓喜が広がる中、一騎打ちが始まったのだ。

 そして、重傷で出血も激しいにも関わらず、フェイルの太刀筋が冴え渡る。

 鬼気迫ききせまるその切っ先に、アルトが押されてるようにシャンホアには見えた。

 そして、紅き暗殺者にはそれ以上に危なく見えたのだろう。


「アルト様! 今、お助けします!」

「いけない、エノヤ。これは僕の……」


 よかれと思った善処が、時として悪く作用する。

 そういう局面が不意に訪れた。

 その時初めて、シャンホアは見た……エノヤが逼迫ひっぱくした表情に眉根まゆねを歪めたのだ。

 だが、男同士に割って入ろうとするその背に全身全霊の拳を突き出す。

 背後からの不意打ち、最後までなんて卑怯かな、なんて思ったりした。

 しかし、エノヤは結果的にバランスを崩し、そこにフェイルが勝負を賭ける。


「くっ、しまった!」

「卑怯だなんて言うなよ? 悪いが生きぎたなくても生きてりゃ明日がある、そう思える女なんだよ、あいつは」


 フェイルは突然乱入しよいうとしていたエノヤを、あっという間に捉える。伸ばした左腕でひっつかんで、片手でつるし上げてしまった。

 それを盾にされて、アルトの剣が止まってしまう。

 やはり優しい人なのだとシャンホアは思った。少しばかりの罪悪感も感じた。

 だが、それだけだ。

 攻めてくるなら、国と民を守る。

 そのための手段を選べるほど、今の焔は余裕がないのだ。


「聖騎士アルト、剣を捨てろ。俺の……俺たちの勝ちだ」

「アルト様っ! 自分に構わず奴を!」


 そして、頭上からテンテンの声が降ってくる。

 他の寵姫たちも、打ち合わせ通りに谷の奥へと走り出した。

 皆、生きてる……キリヒメも重傷だが無事のようだ。

 舞い散る財宝の輝きがすぐに、巨大な岩や瓦礫がれきに変わる。谷が埋められ、その中に大軍が飲み込まれようとしていた。

 すぐに土煙つちけむりがもうもうと立ち込める。

 シャンホアはミーリンをしっかりと背負ってフェイルを呼ぶ。


「埋まるよ、フェイルッ! 急いで!」

おうっ! なるほど、最後はそうめるのか。お前、なかなかにやるじゃないか」


 フェイルは、立ち尽くすアルトに向かってエノヤを放り投げる。

 抱きとめたアルトの姿もまた、激しい落盤のような土嵐つちあらしに消えていった。

 その時にはもう、シャンホアはフェイルと共に駆け出していた。


「まずはこれでいい! さらに時間が稼げて、数日は敵も脚を止める!」

「そこから先は? フェイル」

「それを考えるのがお前の仕事さ。やれるやれないじゃない、やるんだよ……シャンホア」

「! ……ボクの名を」

「そら、走った走った! 巻き添えを食っては始まらないからな!」


 こうして走る中で、気付けば二人共笑っていた。

 そして、その足跡を無数の土砂と岩盤が覆ってゆく。

 だが、世界は忘れない……二人の足跡が巨大な帝国を救い、中興ちゅうこうと言わしめる未来を。

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寵姫大戦 ~ ド田舎娘かく戦えり ~ ながやん @nagamono

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