第14話「伝説の谷にて、英雄罠に落ちるのこと」

 かくして、条約軍の間に短時間で情報は伝搬でんぱんしてゆく。

 言葉尻には尾が生え、それが増えてゆく。

 後方を撹乱かくらんする魔女たちの噂は、五十万の将兵を震え上がらせた。

 なにより、本命である幽谷関ゆうこくかんの攻略も遅々として進まない。

 エンの軍はたかだか一万……しかし、粘り強く果敢に抵抗を続けていた。

 そして、シャンホアの策略は最終段階に突入する。


「シャンホアー! ミーリンも! アルテパ、帰ったぞ。矢が尽きちゃったんだぞ」

「これ、アルテパ。ミーリン様を少しはうやまうんじゃ。まったく」


 アルテパとキリヒメの凸凹デコボココンビも戻ってきた。

 ひたすら隠れて丸太をブン投げていただけあって、アルテパは無傷で少し汗をかいた程度だった。そして、対象的にキリヒメはドス黒い鮮血でびしょ濡れである。

 だが、全て返り血だと彼女は笑っていた。

 この二人だけで、何百人という兵士が命を失った。

 それを計画した意味を、今になってシャンホアは震えて知るのだった。


「二人共、お疲れ様ッ! でも、ここからだよ……ボクの予想通りなら、ここからが正念場しょうねんばなんだ」


 そう、今のシャンホアは悪辣あくらつにして悪逆あくぎゃく、卑怯極まりない謎の軍師だ。

 条約軍の中では、指揮官のアルトを始めとする全員が、見えぬ恐怖に知恵を尽くしているはずである。卑怯にも守るべき女たちを兵として使い、いくさの作法や常識を無視して後方を撹乱する謎の人物。

 その正体がまさか、つい先日みやこに出てきた田舎娘いなかむすめだとは誰も思わないだろう。

 思わないだろうが……確かめたいと思う男が向こうに一人いることをシャンホアは確信していた。


「こっちも弾が尽きかけてますわ。このあとは彼女たちも左右の崖の上でよくて?」


 ヘリヤグリーズも戻ってきた。

 相変わらずの涼し気すずしげな無表情で、汗一つかいていない。

 だが、彼女の率いる寵姫や女官たちの銃士隊は疲労困憊といったところだろう。何人かは泣いていたし、中には戦場の毒気にあてられ混乱している者もいた。

 そして、百人ほどの小さな女だけの部隊は、全員が帰ってはこなかった。


「五、六人ほどもってかれましたわ。まあ、許容範囲内の被害ですわね」

「ヘリヤグリーズさん……」

「わかってますでしょう? シャンホア。戦争になれば命なんて、数字でしかないのよ」

「でも、命は数えてはいけないものです。だからボク、そのためにも」

「ええ。早くこの戦争を終わらせて頂戴ちょうだい。この国が滅びる以外の方法でね」


 ヘリヤグリーズは銃を片手に、なにかをテンテンに渡して去っていった。

 それは、戦死した女たちの形見かたみ……家族や親しいものにと、遺言ゆいごんとともにヘリヤグリーズが受け取ったものだった。ひたすら狙撃を繰り返す中で、そんな余裕など本来はなかっただろう。

 だが、彼女は銃爪ひきがねを引き絞る機械であるより、同じ女であることを選んだようだ。

 そのテンテンも、商人たちに大号令をかける。

 生き残った寵姫ちょうき女官にょかん、そして集められた商品たちが左右の崖の上へと移動していった。


「皆さん、お疲れ様でした。ここで勝って、一度戦争を止めましょう」


 ミーリンも疲れているだろうに、ここでは一人の少女としての顔を見せてくれる。寵姫たちは皆、死んだ国母とは別の形で父の愛を受けた者たちだ。

 今は母や姉のように慕ってくれている。

 なにより、そんなミーリンの健気さが、女たちの結束を揺るがぬものにしていた。


「カカカッ! 戦争を止めるとな? 抜かしよるわい、ミーリン様も。勅命ちょくめいとあらばこのキリヒメ、何度でも戦ってみせようぞ」

「アルテパも頑張るぞ!」

「まあ、わたくしもひたすら戦うのみですわ。……ここにいないシャンリンの分もね」


 シャンホアの姉シャンリンは、今も都に残ってインウたち宦官かんがいと政を回している。この戦争で負ければ、それは全て無駄に終わるだろう。

 シャンホアたちの勝利を信じるからこそ、その先の明日に備えている。

 未来に続く一日一日を、国と民のために紡いでゆくのだ。

 だから、絶対に負けられない。

 同時に、此度の勝敗を決する大一番は、ここで自分たちに委ねられるとシャンホアは思っていた。

 かつて神話の時代、西方より黒衣の救世主に成敗され、魔王ノインが東へと逃げた道。

 そうよばれるこの真っ直ぐな渓谷に、必ずあの男は来ると信じていた。

 そして、それは現実に鳴る。


「ん、なにか来るんだぞ! 騎馬兵が数千と、ぞろぞろ沢山の歩兵の足音なんだぞ!」


 不意に屈んだアルテパが、地面に耳を擦り付ける。

 程なくして、谷の入口に影が増えてゆく。

 砂塵さじんを巻き上げ疾走する、騎馬の大軍だ。

 ことここに至って、シャンホアに準備すべきことはない。身構える必要もなく、やれることは全て終わっていた。

 そして、彼女のよみ通りにあの男が現れる。


「やあ、これは驚いたな……本当に女の子ばかりじゃないか」


 騎馬隊の中央から、一人の男がやってくる。

 馬から降りたその姿は、どこか頼りなくぼんやりとした印象だ。だが、周囲とは意匠の違う軍服には威厳があって、彼に注がれる条約軍兵士たちの視線には信頼が輝いていた。

 間違いない、この男が聖騎士アルト・ベリューンだ。

 この場に彼を誘導する策は、見事に成功したのだ。

 名将にして義に厚く、兵と軍を大事に思う優しい男だから。

 そこにつけこんだ時点で、シャンホアの素人しろうと考えは一流の戦術たりえたのだった。


「どうして僕がここに来ると? あっちのとりではもうすぐ落ちる。兵の数が違うからね」

「でも、まだ落ちてない……本当はもう落とせてるのにって……そう思ってるよね? アルトさん」

「アルトさん、か。はは、君の名前は?

「シャンホアです」


 シャンホアは背にミーリンをかばいつつ、油断なく目の前の男をにらむ。

 キリヒメもアルテパも身構えた様子はなく、ヘリヤグリーズも銃を肩にかついだままだった。

 たった五人の女しかいない状況に、敵兵たちはざわめき立っていた。

 魔女か妖女かという噂は、思った以上に短時間で広がったようだった。

 だが、ただ一人アルトだけが、ふむと唸って動揺した様子を見せない。


「ええと、いくつか質問しても? レディ」

「どうぞ」

「まず、あの大砲を滅茶苦茶にしてくれた……あれは、投石機とうせききかなにかの応用で?」


 すかさずハイハイ! とアルテパが元気な声をあげる。

 その手には、軽々と巨大な鉄弓が誇らしげに掲げられていた。


「アルテパがやったんだぞ! この弓に射抜けぬものはないんだぞ!」

「……ふむ、南方の蛮族ばんぞく……アステア地方の民か。その胸の傷は?」

「おっさんにやられたんだぞ。でも、アルテパ死ななかった。だから、この命はおっさんのものなのだぞ。……お前たち、おっさん殺した……みんな、怒ってる」

「皇帝の部下? いや、もしかしてお前たちは」


 どうやら気付いたようで、ミーリンが堂々と名乗りをあげる。


「我は女帝ミーリン! そしてこの者たちは、我が父である先帝の寵姫たち!」

「なんと……じゃあ、真っ赤な悪魔が大鎌おおがまで生首を刈り取ってたという話は」

「あ、それはワシじゃ。酷いのう、死神のような言われ方じゃ、クハハハハッ!」

「……銃で援護する少数編成の遊撃部隊は……ん? あれ、まさか……貴女あなたは」

「久しぶりね、アルト。勿論もちろん、わたくしとその仲間たちですわ。女の力、思い知っていただけたかしら?」


 ヘリヤグリーズとアルトは、どうやら顔見知りのようだ。

 西方人同士、戦争がなければもっと違った出会いもあったかもしれない。

 しかし、西方諸国のエゴと欲とが、資源を奪い合う中で小さな皇国を潰し、幼い王子を……ヘリヤグリーズのおっとを殺したのである。

 それがこの戦争の始まりで、終わりは今まさにこの瞬間だった。


「アルトさん、ここでボクたちと和議を結ぶか……ここで死ぬか、選んでください」

「おや、随分と大きく出たね。どうやってここで僕たちを殺す気かな?」

「五十万とも言われる条約軍は、あなた一人を殺せば止まる。違いますか?」

「まあ、指揮系統は乱れるだろうね。だからこそ僕は死ねないし、本当は誰にも死んでほしくないんだ。向いてないんだよ、軍人なんて」

「ええ、ええ、そうだと思います。ボクにはそれがよくわかります。だから」


 直接会ってみて、シャンホアはやはりと思った。

 アルトは素直で純朴な青年で、稀代の名将と呼ばれる印象とはまるで違う。どこの街にでもいるような、学者やなんかをやってる方が似合う男だった。


「僕たち西方諸国には条約があってね。税を修められぬ貧しい者には、兵役へいえきの義務がある。女性は免除されるけど、奉仕作業とか色々あってね」

「……

「え?」

「なるほどな、って。アルトさんもじゃあ、兵隊になることで税を」

「そうだよ。大学まで進めたのも、全て軍のおかげだ。だから」

「勝った! 勝負です、アルトさんっ! あなた一人の命で、このいくさを……止めますっ!」


 シャンホアは無知で無学な田舎娘だった。

 だからこそ、見聞きしたことがすみずみまで染み渡る。

 そして今、敵の総大将が自らとんでもないことを独白したのだ。

 彼もまた、生まれが違えば軍人になどならなかっただろう。

 そして、最後の計略がシャンホアに勝利を確信させた。


「アルトさん、あなたは危険な罠の可能性があれば……自分自身で確かめる! 違いますか? そうですよねっ、だから今もここにいる!」

「……ッ! なんだ、この娘の気配……い、いや、その背後の皇帝から」

「ボクたちの勝ちだよ、もう。テンテン、お願いっ!」


 左右の崖の上から、多くの者たちがなにかを投げ込んだ。

 それは、キラキラと谷間の空間に光を散りばめてゆく。

 同時に、動揺する条約軍の兵士たちが目の色を変えた。

 そう、あらんかぎりの金銀財宝、宝石や装飾品が宙を舞っていた。宮廷の宝物庫は勿論もちろん、都の豪商たちからも出させた帝国の財だ。

 それは、欲とエゴとを殺す必殺の武器。

 そして、シャンホアはその時気付かなかった。

 背後で今、無数の宝石が生み出す昼の星空に……九尾きゅうび妖狐ようこの幻影が浮かび上がっているのを。

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