二十五 毒婦と呼ばれた女③
「どれくらいになりますか……私はもう永く、同じ方に恋をしているんです」
ぽつりと流麗が零した言葉に、舜の顔は心臓が縮み上がったかのように固まった。
「それまでお会いした事も無かったのに、です。もしかしたら、いつかお会いできるかもしれないと期待して、礼儀作法を身につけて、化粧を覚えて、できる限り女らしくあろうと髪も伸ばし続けました。いつかお会いする日が来なくても、その方のために生きようと思い、婚姻もする気はありませんでした」
手の届かない、けれどもいつか相見える事もあるかもしれない
まるで、淡い恋心のように。
流麗は、この件が最初で最後の出会いと割り切り、せめて舜の脳裏の片隅に残るようにと最善を尽くした。
たった一度。その尊顔を拝謁し、お側にあっただけでも満足しようと。
けれども、舜の本意の想いと決意した姿を目の当たりにして、ただの満足でいられる筈もなかった。
心を抑え切る切る事はもう――
「貴方を、お慕いしております」
見つめ返した流麗の視線の眼差しには情愛にも似た熱量が籠る。
「例え、毒婦と呼ばれる事になろうとも、この身も心も全て陛下のものにございます」
流麗の手が、そっと流麗自身の胸へと添えられた。まるで、心を指し示すように。
少しばかり恥ずかしげに目を伏せて、流麗もまた、本意を――永年の想いを語った。
ふと、舜との距離が近づいた。舜の身体が覆い被さるように、流麗を背凭れへと追い詰める。流麗は期待の眼差しで見上げるだけで抵抗も見せなかった。
舜の左腕こそ身体を支える為に塞がれていたが、空いた右手が流麗の濡羽色の髪を掬って、そっと口付ける。
それだけでも流麗は絵も言われぬ感情で顔が熱くなるばかりだったのに、熱情を覚えるほど眼差しに絡め取られ動くことすらままならなかった。
「名を呼んでくれないか」
以前の胸を貫く寂しさは消え、甘い声が流麗の耳を痺れさせる。
「今だけは――俺はただの
精悍な舜の顔に手を添えた流麗は、そっと囁いた。
「――舜」
その一言が皮切りだった。
互いに唇を寄せ合って、抑えきれない欲望が濁流の如く溢れ出す。
重なった唇が惜しげもなく愛を奪い合っているようで熱情のまま溺れてしまいそうになる。
しかし、人払いしたとはいえここは客間。部屋の外で様子を伺うような……ほんの些細な物音に、二人の唇は名残惜しそうに離れていた。
「……部屋を移ろう」
吐息混じりの舜の声に、流麗は頷くだけだった。
新たな年を迎える鐘の音が、皇宮でも鳴り響いた。それは皇帝の居宮でもある耀光宮にも同じように届いた――のだが、果たして二人の耳には届いただろうか。
皇帝の寝所――
全てを目に焼き付けて、初めに
癖になる甘露な果実はどれだけ貪っても飽きる事を知らない。その果実も、舜に喰らいつこうとして艶めかしい腕が滑るように首へと絡みつく。
手つきに初々しさはない。手慣れた女の部分が露わになって、また一つ女を知ったと思うと立ち所に魅了されている気分に浸った。
さて、この女。妖か、
悪鬼の上に立つ禍々しくも勇ましき姿と、月光に照らされた妖艶なる姿。
――どちらでも良いか
どちらにしろ、唇を重ねる度に甘い毒に脳と身体を支配しているようで、目の前の女のことしか考えられない。
どちらが喰われているとも判然としない状況で、熱情は高まるばかり。段々と身体は褥へと沈んでいった。
新たな年が明け、一人の名が宮中を駆け巡った。
年を跨ぐその時に四人の妃嬪を差し置いて刻帝と閨を共にした女がいると。
その意味を官吏達だけでなく妃嬪達も深く考えねばならなかった。
皇帝を惑わし、己がものと言わんばかりに一度だけならず二度までも閨に入り込んだ不届きな女。
一度だけならば若さ故の戯れで済ませた。されど、周皇后の廃后に加え転換期とも言える皇后選定を目前としたこの時期に穏やかでいられる筈もなかった。
既に、皇宮には噂が広がりつつある。
白き面の下に隠した妖艶なる美貌と妖しき
だが同時に皇帝の寵愛を一身に受け、唯一自由を知る
これは、毒婦と呼ばれた女――姚流麗の物語である。
第一章 了
妖血の毒婦は禍を喰む 柊 @Hi-ragi_000
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