二十四 毒婦と呼ばれた女②

 ◆◇◆◇◆




『私は不義理を犯しました。ですが、どうかこの子の命だけは――』


 眼前で、妻になった筈の女が平伏しながらも、口にした言葉に舜は淡々と見下ろした。初夜を迎える筈だったその日、向かい合った閨。寝台の上で平伏しながら蒿李は肩を震わせていた。

 額を擦り付け、これ以上ない姿を見せる。自分の命も、無理矢理皇后へと押しやった父親や親族の命などどうでも良い。全てを投げ打った姿だった。


『月のものが来ておりません。身に覚えもあります。このままいけば、姫家の血を受け継がない子が陛下の子を名乗る事になってしまいます』


 舜はまだ十五歳だった。蒿李は二十一歳。本来であれば、若き皇帝の支えになる為に選ばれたとも言える。

 その支えるなる予定だった人物は、若き皇帝を前にしてただただ必死の様子だった。

 

 己の首を斬られる覚悟はあった。だが、子だけは何に変えても助けたかった。

 蒿李は覚悟を見せる。けれども、必死の覚悟を前に、舜は小さく笑って顔を上げるように言った。


『蒿李、余とそなたは共に秘密を抱える事になったな』


 とても、十五歳とは思えぬ言葉に、蒿李は言葉を紡げなかった。


『丁度良かった。実を言うと、子を儲けるつもりがなくてな。官吏達にどう言い訳をするかを悩んでいたのだ』

『……陛下……ですが、それでは……』

『呪われた血など、途絶えた方が良い。余の代で終わらせるつもりだ』


 だから、と仄暗い表情で舜は続けた。


『これから生まれる子は、余の子供だ。何も気にする必要はない』




 ◆◇◆◇◆



 


「慶は周皇后が婚姻以前に孕った子だったが、俺はそれを知っても慶が後継でも良いと思った。……それが、蒿李は不安に苛まれ続ける理由でもあった。愚かな俺は慰めていれば、いずれ落ち着くと信じていた……だが、それも間違いだった」


 語り終えた舜は一息つく。けれどもその表情は、肩の荷が降りたように澄み渡っていた。

 その表情のまま、舜は流麗の顔を覗き込む。

 


「そなたは皇后位を望むか?」

「私の家柄、そして使命を前にしては皇后位は務まりません。何より、官吏達の反感を買う恐れが多い」


 流麗の瞳は真っ直ぐだった。真実を物語る瞳は、曇りもなく、舜に向ける熱意も変わりない。けれども、吐き出す真実の重みばかりがずんと流麗にのしかかった。

 

「陛下、私――姚家の女はじゅがかけられていて、子を身籠る事はできません。例え、私が陛下の伴侶になったとしても、後継を生むことはできないでしょう」

「……だから、婚姻は縁がないと言ったのか?」

「それは、関係ありません。我々は呪われた血です。女は悪鬼を孕むとされ、婚姻こそ結ぶ事はあっても、姚家当主が生まれた時にかけるじゅにより子を成すことができなくなるのです」

「流麗、そもそも俺は子を望んでいない」

「ですが、国主としては必要のはずです。私などとは――」


 子を孕めない様な女を受け入れるべきではない。そう、流麗が言葉を紡ごうとしたが、舜は流麗が何を言うか悟って言葉を遮った。

 

「俺は血が全てではないと思っている。同じ血だからと言って、間違いが起きない訳ではない。玉座には相応しい者があるべきだ。だが、国を統治するにふさわしい者が存在したとしても、姫家のような世襲を前にしては消えていくだけ。ならば、この血は俺の代で終わらせるべきだ」


 舜の言葉もまた、重かった。国の重みを体現するその身がより言葉を重くする。けれども未来を憂うのではなく新たなる未来を願う男の口は饒舌に続いた。


「古い時代の皇帝――それこそ、姫家が国を治めるよりも前は、皇帝の資質があるものに皇帝位を禅譲したという逸話がある」


  古い、御伽話のような話だった。

 太古の世、まだせんと言う国ですらなかった頃。最初の皇帝と言われている青帝せいてい太昊たいこうは、実子ではなく炎帝えんていへ皇帝の座を譲った――そんな神話が確かにあった。

 また別の神話でも、炎帝の末裔たる赤帝せきていが姫家の始まりとされる黄帝こうていへと皇帝位を禅譲ぜんじょうしたと言う話もあるのだが――どれも、実しやかなる話である。


「ですが、それは――」


 夢物語のようで、流麗は呆然とした。何せ、黄帝の後、数百年以上の歳月を姫家が世襲によって国を治めているのだ。


「だとすれば、俺が最初という事になるな」


 舜は呆然とする流麗を見て、顔を綻ばせ笑って見せた。

 が、あまりにも流麗が固まったままなものだから、触れていた手を離して流麗の髪を撫でた。


「途方もない話をしているのは判っている。事を成しえた頃には老人になっているかもしれない。だが、そなたを想う気持ちに変わりはない」


 舜は、椅子を下り、いつかの流麗のように膝をつく。


「陛下!」


 流麗が慌てて舜を立ち上がらせようとするも、舜は遮り流麗に座ったままでいる様に静止させた。膝に置かれたままの手を取ると、決意ある言葉が溢れ始めた。

 

「流麗。俺が玉座を降りる事は容易ではない。異母兄上の意志を継ぎ、国を、民を安寧に導かねばならん。本当に相応しい者が見つかるかどうかもわからない。何よりも俺と共にいて、悪意を向けられるのはそなただろう。下手をすれば妾扱い所では済まないやもしれん。だが、俺は――そなたと共に生きたい」


 舜の目は本意を伝えていた。

 その目には、暗闇で見た金色は今はない。だが、龍眼に勝るとも劣らない輝きが舜の目に宿っている様にも見える。

 手が熱い。想いが燃えるが如く、流麗の胸の高鳴りは激しくなるばかりだった。

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