二十三 毒婦と呼ばれた女①
また、ひと月の日々が過ぎた。
雪が降り、冷気が増して肌に刺さる。
皇宮は現在、周皇后の廃后により慌ただしくあった。永く心の病により臥せっていたが悪鬼に取り憑かれ、心身共に衰弱が見受けられると
しかし、同時に別の噂が広まりつつあった。
『剋帝陛下が毒婦の
その日、多くの目線が一つ所に集まった。
突如、皇宮に白い面の女が新年を明日に控えたその日に姿を見せたのだ。
冷ややかな目線が一人の女へと注がれる中、白い面の女は特に気にする事もなく悠然と歩く。その様は実に堂々としたもので、口が達者なだけの者など意に介してもいない様子だった。
それもそのはず。白い面の女――姚流麗を皇宮へと招いたのは他でもない、剋帝陛下その人だからだ。
冷気立ち込める夜に、火鉢で温められた客間は灯籠の明かりに満たされて橙色で染まり、その色味だけでも十分に温かみがある。
客間には細やかな食事と酒が用意され、客人を今か今かと待っていた。
流麗は案内された先には
「久しいな」
穏やかな声が流麗の身に沁み渡るようで、思わず姿勢を崩しそうだった。以前もそうだったと、初めて尊顔を拝謁した日を思い起こす。
あの日ほど、顔を取り繕う事が得意で良かったと思えた日もない。
「お久しゅう御座います。このような忙しい年の終わりに、また陛下のお住まいへと招待していただけるなど、感激の極みに御座います」
声を強張らせることなく言い終えて、流麗は舜が指し示すままに対面の椅子へと座ると、漸く面を外した。
ゆるりとして穏やかな時間だった。
友人が邂逅を果たしたかのように、互いの近況を語り合う。
されど、どちらも本心を隠しているからこそ――本来するべきの会話を後回しにしているからこそ、穏やかな時間になったとも言えた。
料理が空になり、酒も随分と減った頃。丁度、会話の区切りでもあった。
一瞬のしじまが穏やかであった筈の客間を支配した。
互いに卓を挟んでいる筈なのに、双方の呼吸の音すら聞こえそうでならない。それまで柔和で対面していた筈が、少しばかり空気が重くなった。
すると、その空気が嫌になったか、舜が立ち上がると近くにいた女官に人払いするように命じる。給仕をしていた女官は元より扉の前で待機していた護衛官も、舜の命令と共に気配共々消えて遂には客間の中には舜と流麗の二人になっていた。ますます、静寂が耳についたがそれも直ぐに遮られた。
「流麗」
と、舜の声に流麗は静かに「はい」とだけ返した。
「今日は、話したい事があって呼んだのだ。だが、そなたに拒絶されたらと思うと怖くて、なかなかに言い出せなかった」
卓を挟んだ分だけあった距離。舜にとっても平静を保てる距離でもあったのかもしれない。けれもど、人払した今は最早無意味と化した。
舜は立ち上がると流麗へと近づいて未だ椅子に座ったままの流麗の頬に触れた。
その温もり。流麗にとっては、熱いとすら感じるその熱量に思い違いをしそうなまでに、鼓動が高なる。
うるさいくらいに鼓動が耳の中を埋めているのに、更には舜の手が流麗の手を絡め取って、あちらへ座ろうと窓際にある長椅子に視線を向ける。流麗は、ただ頷く事しかできない。
しかも誘われた先で、流麗は隣に座るようにポンポンと椅子を叩いて促される。
隣に座るなど。そうは思っても、許されたという高揚感で儀礼が今にも吹き飛びそうで、されるがままではあった。
何よりも、されるがままの流麗を満足そうに眺める男の顔を見ると、本当にどうでも良くなりそうなのも事実ではあった。
流麗を隣に座らせ、双眸が向ける眼差しはこの上なく熱く、その手を離しもしない。
「余が望めば、そなたは手に入るのだろうか?」
静寂を突き抜けて、触れた手の
皇帝陛下直々のその言葉に流麗は固まった。
ただの女としては、この上ない言葉だったかもしれない。
だが、姚家の女としては――
「陛下、お言葉とても嬉しゅう御座います。けれども、今は皇宮も転換期のはず。
「混迷か。それも面白いな」
「陛下!」
澄ました顔はどこへやら。いつの間にか、流麗に余裕などなくなっていた。
「余は、皇后を選ぶ気はない」
「陛下……?」
「直ぐにとはいかないが、後宮もいずれ解体する予定だ。もう姑息な真似をするのはやめようと思っている」
流麗に触れたままの手が益々熱くなった。
どちらの体温か分からない程に、熱い。未だ鳴り響く鼓動の所為か、それとも熱量の籠った眼差し故か。
流麗は舜の言葉にどう答えて良いものか悩み、口を結んで閉ざす。
舜が何を望んでいるかは、それとなく悟っていたのもあった。けれども、いっときの気の迷いだと言い聞かせて見えないふりを続けたのだ。
戸惑いを隠せず、流麗は顔を俯けてしまった。
「流麗……以前話を聞いて欲しいと言った事を覚えているか?」
流麗は変わらず俯いたまま頷く。
そんな流麗に舜は優しい眼差しを向けたまま、話し始めた。
「
流麗の肩が僅かだがぴくりと跳ねる。
「――慶は、俺の実の子では無い」
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