第8話 灯璽さまとわたくし



 


 アゼルは灯璽さまから落ちた唐紅色の雫を目印に矢や剣を四方に放っていく。

 すべて宙に飾るだけ飾って虚しく落ちていく。

 その隙をついて灯璽さまが攻めていく。

 まだ麻痺が残っているらしく、片腕でもあしらっていく。

 しかし切り傷をつけるだけで、アゼルの腕や足から朱が枝垂れていく。

 

「……――うっ! いってー。おまえ、仕事中は一撃で仕留めるのに普段はじわじわとだったよな……。悪趣味だな」

「…………」


 アゼルは灯璽さまの姿を見えなくとも仁王立ちして受け身の体制でいた。

 灯璽さまの刀の攻撃を受けてから剣を振る。諸刃の剣。

 しかしその剣先が触れる前に灯璽さまは躱していて届くことはなかった。

 やはり灯璽さまの武器に少量毒が塗ってあるのだろう。


 「ホント悪趣味だよな……」

 とうとう体を支えるように剣を地に刺して悪態を吐き始めた。

 


 

 

 

 二人が攻防している間わたくしは濁った意識記憶が少しずつ少しずつ澄んでいくのを感じた。


 わたくしは基本的に見ることしかできない。

 それでも人はわたくしを必要としている。

 出来ることといえば雨を降らせ喉を潤すことくらい。

 寂しいものだけれど、今は役に立てそうだと思い立つ。


 灯璽さまの身体を濡らした水で見えなくした。

 

 今度もわたくしが。

『水』が。

わたくし』が全て流してあげましょう。

 囚われ助けられた恩はこれだけじゃ返せないけれど。


 わたくしの覚悟と同調して雨が更に激しくなって行く。そしてとうとう上から土石流が、上の川から津波が押し寄せてきた。

 城を上から包み込む。




 

 ――ああ。

 本当に魔王城に来たのが灯璽さまでよかった。

 

 灯璽さまの友人だからと大目に見ていたけれど灯璽さまを傷つけるなんて……。……あまりにも調子乗りすぎだ。

 濁流が轟音で嘲笑う。

 

 傷つく灯璽さまを護らなければ……。

 差し出がましいとは思ったけれど、わたくしは灯璽さまも土石流に流されないように水の球に入れ込む。

 

 「――っ?!」


 一瞬灯璽さまが驚く。しかし水に吞まれないようにしているのだと察してくれる。あとは息を止めておとなしくわたくしの思うままにしてもらった。

 包み込むと同時に屋上は土砂にまみれていった。

 わたくしの水の球はその場に留まりふよふよと魔物たちが旋回している空に向かっていった。


「と、灯璽殿」


 安全な竜の背に移動してからわたくしは球を割る。

「けほっ」と灯璽さまは咽ていたが大事には至らずわたくしはほっとした。


「大丈夫ですか」

「ああ……今度は合図してくれ」


 わたくしに言ったのかそれとも魔物の誰かがしたと思っているのか。どちらにしろ嬉しくて「はいっ」とわたくしは返事をした。

 

 アゼルはわたくしに呑み込まれていった。それを空から眺める。

「魔王か……」という灯璽さまの呟きとその無表情な相貌からは喜怒哀楽は読み取れなかった。

 

 そして天を仰ぎ見た灯璽さま。

 その頬を撫でる雨粒。

 

 あなたさまと喋ることもできないけれど。

 灯璽さまが安らげるようにわたくしは降り注ぐ。


 これからもあなたさまに。

魔王とうじ』さまに降りかかった紅を洗いましょう。

魔王とうじ』さまから流れる涙を雨で隠しましょう。





 中央に泉ではなく今は噴水となっているそこ。

 魔王がいて、灯璽さまが戦ったところ。

 その両脇に流れて行き、階段を降りて行く水。

 その階段に灯璽さまは座り込み、その水に手を入れわたくしを撫でる。


「ずっと俺は一人だと思っていたが……。信仰もないがきっと水の精霊が味方してくれていたのだな」


 はっとするわたくし。

 しかしわたくしの声も聞こえない、存在さえわからない筈なのに灯璽さまは問いかけてくれる。

 そのわたくしの嬉しさに相まって、少しだけ水の勢いが増す。

 ふっと笑う灯璽さまにまたわたくしも嬉しくなる。

 

「ずっとおりますよ。これからも」と伝えても聞こえないのは承知している。

 

 きっと今までの記憶がないのは、流れ朽ちてしまったのでしょう。例え灯璽さまが魔王さまになろうともわたくしはついて行きます。

 

 何処にもいないけれど、何処にでもわたくしはいるのですから。

 心が潤うかはわからないけれど、あなたさまの悲しみを雨で隠すために。

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