第4話 嫉妬する水

「……」


 しばらくショーウィンドウに添えられていた指は手の甲に雫が落ちてからすっと落ろした。

 そして歩き出す灯璽さまにほっと胸をなでおろす。


 水たまり映る灯璽さま。

 なんだか水の上を歩いているようで、その幻想的な空間にまたうっとりするわたくし。

 ずっと雨は降っていりけれど、灯璽さまは心地良さそう。それに応ずる水も嬉しそう。

 何度でも……何ならずっと見ていられる。否、見てるか。


 わたくしがるんるん気分で後をついてまわっていると、本降りの雨となっていった。まるでわたくしの感情を表している様。

 灯璽さまの滴る姿も良いものだと思ったが、流石に風邪をひかれるのも憚られる。

 

 ――いやでも……。看病という手も!

 

 わたくしが妄想していると、灯璽さまは巻いていたターバンをやめてマントに切り替えていた。

 

「ぐぅ……」


 少々悔しくはあるけれど、仕方ない。わたくしはホッとして灯璽さまの後をついていった。

 

 この通りは冒険者ご用達の装備が売っている店が多く、灯璽さまも防具以外をゆっくりと歩む。

 店のショーウィンドウで時折立ち止まっては先の手の防具の時の如く見つめて葛藤していた。

 わたくしが大富豪であれば……! と思いつつ、度々灯璽さまの購入を「ご、ご飯食べられなくなりますっ」と止めるのがしばらく続いた。


 その店が途絶え、灯璽さまは振り返らずそのまま橋を渡っていく。また引き返して購入に至らずホッとしながら「今度はどこへ?」とわたくしは手を繋ごうとする。

 するりと躱されるわたくしは落胆するより仕方ないと思う。

 

 手を繋ごうにも繋ぐことは叶わない。

 喋ったとて会話することはできない。

 それでも良き時間だとわたくしは幸せを噛み締める。


 

 ぶんぶんと頭を振って、暗い感情を落とす。

 ちょうど傘に垂れた水を落とすように。

 そうして恐らく通常より水量の多い川の上を歩く。人気は一切なく灯璽さまにもきっと危ないのではと言いたくなったが、重要なのかもと思い伝えるのはやめた。

 

 上流を伝っていくとここに着いた時横で見た滝がこうして流れていっているのがわかった。

 

 先の重たい感情も流れていき灯璽さまとるんるんで城とは反対の山に登っていく。雨の中の山は土砂崩れとか危ないのではと思ったが少し雨も止み、灯璽さまは足元に気をつけながら登っていく。


「向こうが城か……」


 展望台兼見張りの場として使われているらしき頂上に着く。

 残念ながら、降る小雨で視界は悪く途中案内人が言っていた壮大な景色を拝むことは叶わなかった。しかし、対岸の城はしっかり見ることができた。

 ……つまり先に外からでも敵情視察ということなのだろう。そういえば魔王討伐の際も入城して割と早く最上階にある魔王の間に来ていたし、外から見ただけでもある程度の間取りのわかるマッピング能力があるのではと感心する。

 

 ちょっとした休憩所に座り込んで観察していると物見役――水門、滝を監視する役割を担っていると思わしき老兵が近づいてきた。

 

「おや若い方この辺は危ないのでお帰りになったほうが良いですよ」

「小降りだったので立ち寄ってみたんだ。良い眺めだと聞いてきたんだがやはり視界が悪いと勿体ないな」

「旅の方でしたか。それでしたら、早目にこの町から出られた方が良い。今回の雨は尋常じゃないですからな。あの滝もあんなに音を立て水もあんなに濁って……。幾十年生きてきましたがこんな天気初めて見ましたよ」

「なるほど。そうなるとあなたも危ないのでは?」

「まあ私は後先短いので問題はございません。そのお気持ちだけいただきましょう。それに水の精霊さまにこうして祈ればまた違うのではと思うのですよ」

 

「精霊……」と灯璽さまが一人呟く。


 最初老人お一人……? とわたくしは思ってしまったけれど、灯璽さまとの会話で皆家々に返したのだと察した。そして老兵さんのこの土地の愛着の深さを会話の節々しで感じわたくしはとても感慨深くなる。


 灯璽さまの独り言も老兵さんは拾っていき、「ちょうどすぐそこに小さな社があるのです」と案内する。

 どうやら一つ一つの街に一体精霊を祀っている場があるらしい。

 わたくしも着いて行くと可愛らしい地蔵さんとその小さな家のような社。というよりは祠。古めかしいが手入れが行き届いているのが見て取れた。この老兵が世話をしてくれているのだろうと嬉しくなる。


「可愛らしいですね」


 のほほんと見学していたわたくしが後ろから呟く。

 途端、灯璽さまが振り向く。

 そこにはもう一人の来客者がいた。

 

「……あっちゃん」

 

 気配だけで振り向けるとはさすがと思いながらわたくしは灯璽さまが呼んだその人物を眺める。灰色味と茶色味の入った、砂のような色の金髪に深海色の瞳。袖のないシャツを着ていて露出している肌から水が滴る。きっと他の人ならどちらか迷うのだろう。わたくしから見れば灯璽さまのほうがより煽情を引きたてられるのだけれど。

 老人を労わってからようやく返事をする。

 

「よう! そんな変な呼び方で呼ぶのおまえだけだよ。それにしてもこんな時期に観光か? ……まあ、折角来てくれたんだ。どこかメシでも連れて行こうか?」

「おお!!」


 わりかし寡黙な灯璽さまの表情がこの友人らしき人物の前では変わった。さらに呼び方も親しそうでわたくしは嫉妬してしまう。そんなわたくしをさておきご飯にするらしく仕方なくついていった。

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