最終の章 小春日和の夢


 翌日、僕たちは新たな旅立ちを迎えて、あかねの実家を後にした。


 京都の風情、その千二百年の歴史を胸に刻みつつ、東京の実家に一度戻ることにした。それは、悠久の都に別れを告げるものではなかった。


 僕はあかねを自分の結婚相手として両親に紹介する必要があった。もちろん、彼らが反対することは考えられなかった。


 しかし、あかねはそうした事柄には興味を示さなかった。無邪気さを保ったまま、「東京は初めてやさかい、浅草仲見世やスカイツリーを見たい。パンダを観たらアメ横にも寄りたい。悠斗はん、忘れんと案内してや」と口にしてきた。


 まだプロポーズはしていないけれど、僕たちの心はすでにひとつに結ばれている。すずさんの遺志を継ぎ、共に生きることを誓ったのだ。


 すずさんの三回忌を執り行うことが先決だったので、すぐには結婚式を挙げられなかった。無事に法要を終えたら、友人やお世話になった人々に祝福される小さな式を挙げたかった。きっと、すずさんも天国から見守ってくれるだろうと信じていた。

 

 糺の森での初デートを思い出しながら、僕たちは未来への誓いを新たにした。あの日、彼女の手を握っただけで、僕の心臓は高鳴りが止まらなかった。彼女の指先に初めて触れた時の熱さと震えは、今でも忘れられない。その瞬間、彼女への初恋に目覚めた。

 初デートの思い出は、今も僕の胸に深く刻まれ、永遠に色褪せることはない。彼女への愛は、時を超えても変わることのない、僕の心の中の宝物だ。

 

 あかねは、みたらし祭で浴衣を濡らした池の畔にある神殿で結婚式を挙げたいと提案した。もちろん、僕も彼女の提案には全面的に賛成だった。春に学校を卒業する僕たちは、先に籍を入れることに決めた。

 僕は、自分の姓を「神崎」からあかねの姓の「野々村」に変えることにした。それは、俗世間で「婿入り」と呼ばれるのだろうが、気にすることはなかった。



 *


 僕らは新幹線の発車時刻に間に合うように急いで京都駅へと向かった。京都駅での別れは、新しい良き日の始まりを予感させるものだった。

 神さまが、微笑んでいるかのような気がした。なぜなら、東京行きの十一番線ホームでは、コスモスのロマンチックなメロディーが流れていたからだ。僕たちはそのメロディーに耳を傾け、互いの手を握り、永遠の愛を誓った。


 お世話になった隣のおばさんやあかねの友だち、そして仲の良かった舞妓さんたちが見送りに来て、あかねに花束とプレゼントを渡し、「必ず幸せになるんやで」と祝福してくれた。


 一方では、僕がご縁になったバイト先の社長や同僚の結衣、看護師のあおいさん、色々と面倒を見てくれた詩織も駆けつけてくれた。フラッシュの光が飛び交う中、僕はこの一年の出来事を思い返し、目頭が熱くなった。


 先斗町での出会い、糺の森での水占い、嵐山の送り火、運命の手紙、宵山の音色、月下のなみだ、初めての夜、鞍馬の火祭、心のアルバム……。それらはいずれも、あかねとの愛を紡いだ思い出だった。



 あかねは、「おおきに。すぐに戻ってくるんやさかい。大袈裟やん」と皆に笑顔で答えて、涙をこらえながら別れを告げた。僕も同じ想いだった。

 そして、僕はひとりの男の姿が目に留まった。それは、すずさんが愛した一郎さんだった。彼は人目を気にしつつも、「また、故郷に戻ってこい。ずっと待っているから」と声をかけ、静かにあかねを見守っていた。  

 一郎さんは、しめやかに執り行われたすずさんの葬儀にも木陰から顔を覗かせていた。その際、あかねも彼の存在に気づいていたのかもしれない。

 今この場で、彼女は「おとん、おおきに」とつぶやいて目を潤ませていた。 



 列車が発車する時、僕らは窓から手を振った。皆も手を振り返してくれた。それは僕らが過去に別れを告げ、友人たちが未来に向かう僕らを応援する仕草だったのだろう。僕らが乗る列車が別れを惜しむように、ゆっくりと駅から遠ざかっていった。


 春の景色が車窓から広がり、新たな希望の象徴として僕らの心に響いていた。あかねはすずさんに感謝の言葉をささやき、僕はこれからの幸せを彼女に約束した。

 席に座りあかねの手を強く握りしめ、「もっと幸せになろう」と言い、生涯の愛を誓った。それが僕からのプロポーズだった。そして、彼女の頬に優しくキスをした。あかねは僕の胸に顔を埋め、幸せそうに微笑んでうなずいた。


 春の桜草と山あいに咲くコスモスの花が、青空に映える茜色の満月と共に車窓から見えた。あかねはそれを見て、微かな声で語りかけた。

 そのささやきは、「お母さん、これまでありがとう。私、幸せになります」という言葉で、僕には肌で感じられるように伝わってきた。



 僕たちには嬉しい春の便りがひとつ届いていた。あかねは、舞妓修行の別れと高校生活の卒業祝いに、「春のをどり」の晴れ舞台に立てるという。それは彼女の長年の夢が叶ったことだ。ただ、すずさんにあかねの晴れ姿を見せられなかったことが、僕には心残りだった。


 そして、僕は写真コンクールの結果を待つ一方で、あかねと力を合わせ、京カフェの開店に向けて新しい人生を歩み始めた。



〈 完 〉


 ── Thank you very much ──


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雪の結晶が織りなす、「京都花街の恋物語」 神崎 小太郎 @yoshi1449

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