第50章 花と写真の物語


 手紙を胸に抱きしめ、僕とあかねは涙を流した。それから、小間物屋で見つけた金色の満月の飾りを、コスモスの花束につけた。

 お月さまは、すずさんの姿だった。彼女が一番愛した花、コスモスが美しく映えた。


 空は茜色に染まり始めた。僕らは水桶を持ち、静かな墓地へと歩いた。久しぶりに会えると思うと、心が痛んだ。「ごめんなさい」と、すずさんの墓石に頭を下げた。

 そして、彼女に想いを伝えるように、花束をそっと置いた。その瞬間は、永遠に僕の心に深く刻まれた。


 風が耳元でささやく。その声はすずさんのものだ。優しくて力強い言葉が、僕らを応援してくれる。彼女の温かさが心に届く。僕の心は震えた。すずさんはまだ生きている。季節や世界を超えて、彼女の魂は輝いている。



 すずさんはふたつの美しさを持っていた。それは相反するものだったが、彼女の中では調和していた。僕は彼女に惹かれていたが、不思議で仕方がなかった。


 彼女は母でもあり、女でもあった。娘には優しく、男には熱く愛した。僕は写真家として、母性をコスモスに、女性を月下美人に投影した。


 コスモスは、四季を越えて咲く花だった。風に煽られても折れない。別れてもまた会える。彼女はそんな強さと可愛らしさを持っていた。


 月下美人は夜に咲く花だった。上品で甘い香りを放ち、朝にはしぼむ。すずさんはそんな清らかさと儚さを持っていた。一方で、その花言葉は、彼女の愛に相応しい「危険な快楽」だった。


 彼女のふたつの美しさは、娘のあかねにも受け継がれていた。それは母と娘の太い絆だった。僕はそれを知って、胸がいっぱいになった。


 僕らはすずさんの墓石に向かって、手を合わせた。「これからもふたりを見守ってほしい」と心から願った。あかねは僕の腕にしがみついて、涙をハンカチで拭った。


 墓参りが終わった後、僕らは手を取り合って、優しく微笑み合った。すずさんに、「ありがとう、さようなら」と別れを告げて、墓地を後にした。



 *


 その日の夜、僕たちは一緒に夕食を楽しんだ。あかねはすずさんから教わった湯葉料理や京うどんのレシピを紹介してくれた。


「これ、うまいやろう。他の大勢の人にも食べてほしいぐらいに。おかんの言うとおり、お店でもやろうかしら」


 僕はすずさんから渡された手紙を見て、カフェのことを思い出した。あかねが若女将となり、僕が調理を担当することになった。そんな世界も素敵だ。  

 京都風のカフェなら、観光客にも店内や小間物を見せられるだろう。僕が撮影した古都の写真も飾れるだろう。考えていると、夢が広がってくる。


 あかねはすずさんから教わった料理がたくさんあると言っていた。僕はすずさんの料理を忘れないようにメモを取りながら、あかねと一緒に作ってみようと約束した。

 僕たちはすずさんの思い出話に盛り上がりながら、料理や生け花、踊りの話で楽しい時間を過ごした。

 


 食事の後、あかねに連れられて屋根裏部屋に上がった。僕にとっては初めて見る場所だったが、彼女にとっては幼い頃に遊んだ秘密基地だったらしい。けれど、「もう忘れてもうた」と言っていた。  


 屋根裏に入ると、ホコリひとつない別世界が広がっていた。もちろん、「まっくろくろすけ」なんていなかった。すずさんが大切にしていたものが、きちんと整理されていた。


 目についたアルバムを開いてみると、すずさんの若い頃の写真があった。舞妓姿であかねを抱いて微笑むすずさん。あかねが線香花火で遊ぶ可愛らしい笑顔。今の彼女にも似ている。見れば見るほど、目頭が熱くなる。


 歴史を感じさせる桐箪笥を開けると、あかねの七五三の着物や夏に着た浴衣が、折り目をつけてたたまれていた。ひとつひとつが和紙で包まれていて、すずさんの几帳面さが伝わってきた。そのとき、あかねがビックリしたような声を上げた。


「悠斗はん、見て見て。これ、うちの花嫁衣裳やろか。真っ白な帽子もあるんやで」


 あかねは目を輝かせて、引き出しの中を覗き込んでいた。彼女の視線の先には、白無垢の着物と角隠しや綿帽子が丁寧にしまわれていた。目を凝らすと、メモ書きが一枚添えてある。  

 そこには、「あかねちゃん……。おかんが若い頃に着られへんかった着物やけど、仕立て直しといたから、よかったら着てくれへんか。すずより」と書かれていた。


 さらに、「角隠しにするか、綿帽子にするかは、あんたが自分自身で決めなされ。気の強うあかねには角隠しの方が似合うと思うけれど……」という添え書きが目に入った。すずさんの優しさと京都人らしい奥ゆかしさがここにも表れていた。


 女心は「秋の空」と言われる。母親の優しさに触れて涙を流したばかりなのに、あかねは僕に抱きついてキスを求めてきた。


 僕は彼女にそっと寄り添って、くちびるを重ねて、「愛してる」と囁いた。あかねもそれに応えてくれた。

 僕らはすずさんの写真を一枚ずつ丁寧に眺めながら、思わず笑ってしまった。それは彼女の人生そのものだった気がした。

 そして、僕たちの愛は、新たな旅立ちをするために、最後の扉を開けていく。


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