第26話 最終話 ~ 戻らない脚とお伽話 ~

 それから一月ひとつきの間、王都は喪に服した。大教会では死者達の合同葬儀が行われ、街の復興工事は大工や現場監督の威勢のいい怒号が飛び交う事も無く、粛々と進んだ。


 そして、喪が明けた最初の休日。金一封の授与式が城の大広間で行われ、そこにあたしとクローエン、風雅が出席するはず――だったのだが。


「困りましたねえ」


 自室のベッドの上に横たわるあたしの足元で、アミリアが特大のため息を吐く。


「いつ戻るんです? この脚」


 そう言って彼女が視線を落とした先には、牛一頭は軽く飲み込めそうな太さの、錦柄の蛇体がのたくっていた。尻尾は水晶玉がある丸テーブルの上で左右にぱたぱたと動いており、頭部は、黒いドレスの下から潜ってあたしの上半身へと続いている。


「知らない。五年くらい前に変身した時は、一月ちょっとで戻ったんだけど」


 あたしはうんざりしながら答えた。

 この体のお陰で、一ヶ月間ずっと外出できないどころか入浴や着替えも一苦労なのである。しかも、この巨体を保つ為にはそれ相応の栄養を必要とするので、どれだけ食べてもお腹が減った。それこそ牛一頭食べたい気分だが、そんな事をしては胃が破裂するので無理だ。

 何より移動が一番のストレスだった。城の生活様式は、這い回って暮らすには全てが高い場所にありすぎて、不便極まりない。


 これだから母親の血は嫌いなのよと呟きながら、あたしは枕に顔を埋めた。


「これじゃあ、授与式に出れねえぞ。どうする?」


 アダンが首の後ろをかきながら、同じように困った顔であたしの下半身を見つめているリュークとユウリとクローエンに名案を求める。


「あたしは金さえもらえればそれでいいわ。あんた一人で行って来て」


 あたしはクローエンに欠席を宣言した。

 正直、授与式なんて面倒だったので丁度いい。

 周囲には風邪か何かだと適当に説明してくれればいいと言ったあたしに、ユウリが「バカは風邪引かないんだよ」とぼそり毒ついたので尻尾で頭をシバいてやった。


「クローエンが抱えて行きゃあいいんじゃねえか?」


 リュークが提案する。

 クローエンは渋い顔で首を横に振った。


「流石に重いですよ。熱帯雨林の大蛇並みの全長なんですから」


「そうだ! 負んぶなら多少、腰への負担は少ないぜ」


 アダンが妙案とばかりに言う。

 しかしそれも、「絵面がひどすぎんぜ、それ」というリュークの意見で却下となる。


 ユウリが乱れた前髪を整えながら投げやりに言う。


「それじゃあ風雅に咥えて運ばせれば?」

 

「これ幸いと噛み殺すでしょうね」


 クローエンの返答に、「願ったり叶ったりじゃないか」とまたもや減らず口を叩いたので、先ほどの反対側からシバイてやった。


「あ、そうだ!」とリュークが指を鳴らす。


「小さい時、オフクロがよく読んでくれた童話にあったんだけどさ。確か、ええと――蛙になった王子の呪いを、お姫様が何かして解いていたような……」


 肝心の部分が思い出せないらしく、リュークは腕を組んでうんうん唸りはじめる。


 そこから先の答えに嫌な予感を覚えたあたしは、リューク王子のかわゆい幼児期を彩っているアレヤコレヤの記憶探索を「もういいから」と止めさせようとした。しかし、一歩遅かったらしく、「あああ~、思い出した思い出した!」というリュークの興奮した声に、あたしの制止は打ち消されてしまう。


 チュ―だよチュー!


 実に嬉しげに、そして恥ずかしげも無く、部下と幼馴染の前で『チュー』を繰り返した若い将軍様は、「ほら、やってみろよ」とクローエンにムチャぶりを始める。


 アミリアは額に手を当て、「あんたねえ」と無邪気な幼馴染のバカさ加減に呆れている。

 クローエンも苦笑いながら、「それはちょっと期待薄というか……」と言葉を濁す。


「えー」

 

 不満げに顔を歪めたリュークは


「やってみえねえと分んねえじゃねえか。別にいいだろうが、チューの一つや二つさあ。減るもんじゃなし」


 酒場で若い恋人をいじりたおす酔っ払いのような事を言った。


 アダンとユウリは傍観者を決め込んでいる様子だし、ここはひとつ、歳上のオネエさんがビシッと正してやらねばならんのだろう、とあたしは使命感を覚える。


「それじゃああんた、今ここでアミリアとやってみなさいよ」


 逆ねじを食わせてやると、リュークは固まり、とばっちりを食らったアミリアは「ええっ!?」と叫んで顔を真っ赤にした。


「そうですね。まずは手本を見せてもらいましょうか」


 クローエンが冗談に乗って来た。こいつは案外、からかい好きな所がある。


 全身真っ赤にして、しどろもどろになっていたリュークが、やにわに「あー!」と叫ぶ。


「そうだ俺、今から軍議があるんだったー! じゃあな!」


 棒読みで捲し立てながら椅子にかけてあったジャケットを引っ掴むと、早足に部屋を出て行く。


 あたしに警告を与えるために行われた偽の軍議にリュークが呼ばれなかったのは、このダイコンぶりにあった。


「一人でどんな軍議する気だか」


 扉がバタンと閉まるなり、アミリアが苦笑う。歳が同じ幼馴染でも、精神年齢は明らかにアミリアの方が上だった。


「でもさあ。お前ら陛下から、大事な仕事任されたんだろ? やっぱ二人揃って出席するのが一番なんじゃねえのか?」


「やってみるだけやってみれば。タダなんだし」


「ちょっと冗談やめてよ」


 せっかくリュークを追い払ったというのに、アダンとユウリが話を元に戻してしまう。


 確かに、あたしとクローエンは、聖王から一つ命令を受けていた。あたし達の心臓にあるラグラスの命の欠片を昇華させるもしくは、何かに利用するすべを模索せよ、と。

 神族であるクローエンの豊富な知識と、あたしの『創造』の技に期待する、との事だったが。


「一緒に仕事するってだけでしょ。そこまで仲良くする必要ないじゃない」


 あたしが拒否の姿勢を貫く一方で、信じられない事にクローエンは、考えを改め始めた。


「二人がそこまで言うなら、一度試してみますか」


 あたしは仰天する。


「おとぎ話でしょ! あんた正気!?」


「エル・アケルティも地上界ではもはやおとぎ話レベルの場所だけど、確かに存在するので」


 さらりと言ったクローエンは、アダンとユウリにあたしの両腕を抱えるよう指示し、アミリアには、あたしが暴れた場合しっぽが当たると危ないので、部屋の隅に避難するよう促す。


「嘘でしょマジでやる気なの!?」


「俺が信用できないと?」


「信用はしてるけど信頼はしてないわ!」


 アミリアが大急ぎであたしから離れ、アダンとユウリがあたしの両腕を抱え込んだ。


「おおおお前ら、後で覚えてろ!」


 二人に叫んだ台詞に聞き覚えがあると思ったら、風雅があたしに叫んだ怒号と同じだった。

 もう少し振る舞いに気をつけるべきなのもしれない、と今更ながら、己の所業を僅かばかり反省する。

 しかしその反省も、あたしの蛇体をクローエンが「よいしょ」と跨いだ事で、彼方へと吹っ飛ぶ。


「ちょっと! 乙女の脚を跨ぐんじゃないわよ!」


 シャーッ! と牙をむくと、ダダをこねる子供を相手にするが如く「はいはい、じゃあこれで」と応じたクローエンが、あたしの腰を掴んでくるりと体を捻った。

 

 一瞬のうちに、あたしとクローエンの位置が入れ替わる。


 あたしを持ち上げるようにしてベッドの上に仰向けに倒れたクローエンの赤毛が、空から見下ろした時に見える河の流れのように散らばった。


 深い緑色の布地の上で放射状に広がる真紅に思わず見惚れていると、ぐいと体を引き寄せられた。

 そのまま口づけされる。


 おお~っ!


 後ろから、アダンとユウリの歓声が聞こえた。ベッドから一番遠い部屋の隅あたりから、一人分の拍手も。

  

 初めて合わせた他人の唇は、柔らかく温かかった。


 さて。それでこの後、あたしの脚がめでたく元に戻ったかというと――








 そんなわけは無い。


~完~

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エル・アケルティ物語〜美しき竜騎士と強欲な占い魔女〜 みかみ @mikamisan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ