第25話 神族の王子が帰る時

「『転移』は厄介な技だが、防ぐのは簡単だ。技を使う暇も無いくらい絶え間なく攻撃を仕掛ければいい。――違うか?」


 聖王の言葉に合わせ、騎士たちが一斉に剣や槍、斧の切っ先を三人に向ける。


 ウルスラは腕を組んだまま、エイドリアスと睨み合う。

 暫く膠着状態が続いていたが、視線を下げたウルスラが、つい、とあたし達に背を向けた。


「いいわ。ここは一回退いてあげる」


 そう言って、イデットとマルルーの腰に手を当てて「行きましょう」と促す。


「でもウルスラ。この子の中から、お父様の気配がするのよ」


 マルルーがウルスラに従いつつ、あたしを振り向いて言った。イデットも不満そうにこちらに顔を向けている。


 やはり気づかれたか、とあたしはギクリとした。


 しかしウルスラは「そうね。でもいいのよ。」と含みを込めてマルルーに言い聞かせてから、魔物たちに撤退命令を下した。


 ウルスラの命令通り、空を埋めていた魔物が、地上で暴れていた魔物が、魔界へ通じる門が存在する境界山きょうかいざんへ向かって撤退してゆく。


 去り際、ウルスラはあたしに顔半分振り返り、薄い笑みを浮かべた。


「ああ、そうそう。ランはプレゼントよ。楽しんでね」


 ★


 あたしとエイドリアスが城へ駆けつけた時には、戦いは終わっていた。


 綺麗に整えられていたかつての前庭は、生垣が潰れ、芝生がえぐり取られ、惨状と化していた。

 

 飛竜が一頭、首筋を噛みちぎられた状態で横たわっており、その陰に腰を抜かしたように蹲るアミリアと、聖女エラがいた。

 二人の視線の先には、各々の武器を手に飛行獣から降りたリュークと、アダンにユウリ。そして、三人に囲まれて座っている二つの人影があった。


 人影は、人型に戻ったランを腕に抱いているクローエン。


 クローエンは全身傷ついていたが、それよりも、ランの腹の傷の方が致命的だった。

 簡素な白いシャツと焦げ茶色のスボンを、土手っ腹からじわじわと侵蝕してゆく黒い血液。それは、布が蓄えられる限界を超え、雫となって乾いた地面を濡らしていた。


 誰がこの致命傷を与えたのかは分らない。リュークの大槍も、アダンの斧も、ユウリの手槍も、クローエンの傍に落ちている細身の槍も、全ての刃が魔物のどす黒い血で染まっていたからだ。

 

 蛇の体では歩けないので、あたしはクローエンとランの傍まで飛んで、土埃を上げないよう慎重に着陸した。


 クローエンの横顔は赤い前髪に隠されていて表情は確認できない。しかし、僅かに覗き見えた顎からは、涙が滴っていた。

 

 ランスロット――


 かつての教え子の名を震える声で呼んだクローエンは、ランの頬についている血を左の親指でぬぐう。


 ランは浅い呼吸を繰り返しながら、自分の頬に触れたクローエンの手を握った。左の目尻から一筋、涙をこぼす。


サー先生。マンクト アンクト メヘル テン メ セクト テンあなたと一緒にゆきたかった


 掠れる小声で告げたランは、ゆっくりと目を閉じ、その後、呼吸を止めた。


 クローエンの左手を握っていた小さな手が、ぱたりと地面に落ちる。

 その瞬間、クローエンが、引っかかるような吐息をこぼす。それは、小さく悲鳴を上げたようにも聞こえた。

 

 ランを地面に寝かせ、胸の上で両手を組ませたクローエンは、自分の右手の指先に口づけると、その指先をランの額にあてる。


バク セクト ネフル良き魂の解放を……」


 神語で祈りの呪文を紡ぐ。次いで、愛おしむようにランの頭を撫でた彼は最後に、痩せた小さな胸に掌をそっと置いた。


 聖女エラが、アミリアに支えられながらランに歩み寄り、胸の上で握られた手を、彼女の白い手で包み込む。


 顔を伏せた聖女は両の目を閉じ、死者に対して幾度も繰り返してきた地上界の祈りを捧げる。


「どうぞ、自由になった御魂みたまが、彼の家へ帰れますように。彼の御霊が、心が、温かな光と安らぎで満たされますように。この世に戻ってきた暁には、愛する人との再会を果たせますように。神々よ。どうぞ、この子をお導きください……」


「敬意を持って彼を送ろう。神族の王子に相応しい旅立ちを」


 胸に右手をあてたエイドリアスが、跪いて頭を垂れた。それに続いて、武器を置いたリューク達も同じように跪き、神族の王子の最後に哀悼の意を表す。


 皆が一様に目を伏せる中、クローエンだけが空を仰ぎ、涙に濡れた赤碧の目を眩しそうに細めていた。


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