時限式キャット・セラピー

空烏 有架(カラクロアリカ)

ツンデレ彼女は「猫」にベタ惚れ

 猫に愚痴るのが日課というのも、我ながら情けないとは思っている。


 しかも内容は八割九分彼氏のことだ。といっても、私たちは破局寸前ってわけじゃなくて、むしろアツアツでガチガチにラブラブだと自負している。……少なくとも、彼の愛を疑ったことなんて一度もない。

 ただお互いちょー……っとだけ気が強いというか、ちょくちょく言葉が過ぎるので、しょっちゅうケンカするってだけだ。


 そんな口論三昧が始まった最初の日。もはや憶えてもいないくらいの些細な理由で言い合ってしまい、落ち込んでいたら、アパートのベランダに猫がいた。

 首輪をしていないから野良だろう、一体どこからどうやって入ってきたのやら。良くないとは思いつつも、切なげな声でみゃんみゃん鳴かれてもだえ死んだ私は、こっそりその子にエサを与えた。

 ダメなのよ。猫はダメ。私はもともとニャンコって生きものに弱いの……無視なんてできるはずがない……!


 ともかくアルティメットラブリー生命体にまんまと餌付けした私は、まさしく猫撫で声で「おなかぺこぺこだったのにゃ~、おいしいかにゃ~?」などと話しかけたわけだ。

 そのまま流れで猫相手に一方通行の雑談をしているうちに、しまいには泣き言を漏らしていた。


 ――あんなふうに言うつもりなかったの。勢いで、ポロッと口からこぼれちゃって、もしかしたらすごく傷つけちゃったかも。


 猫はミルクを舐めるのをやめて、ちらりと私を仰ぎ見る。


 ――明日は絶対に謝らなきゃ。でも、……許してくれなかったらどうしよう。まだ付き合い始めたばっかりなのに、一緒に行きたい場所がいっぱいあるのに、……好きなのに。


 感情が高ぶってぼろぼろ泣き出してしまったら、まるでそんな私を慰めるみたいに、猫はするりと寄り添ってくれた。思わずぬいぐるみにするみたいに抱き寄せても、ちょっと驚いたくらいで拒みもせず。

 そのまま落ち着くまでずっと腕の中にいてくれた。甘えるように喉をゴロゴロ鳴らしているのが、なんだか『大丈夫だよ』と言ってくれているみたいだった。


 以来、猫が通ってくるようになった。

 毎日ではないあたり、たぶん餌をもらえる場所を幾つかローテーションで回っているのだろう。私もミルクや肉の切れ端なんかを猫のためにストックする癖がついた。


 猫が現れる日はたいてい彼とケンカしていた。偶然というより、まあそれくらいしょっちゅう言い合いをしているのです、恥ずかしながら。

 だから自然と話題はそればかりになってしまう。今となっては、もはや日課も同然。


 最初のように泣きの日もあれば、キレ散らかす日もあった。猫的にはめちゃくちゃうるさいのだろう、さすがに迷惑そうに耳をヘタれさせながらも、黙って聞いてくれる。その姿がいじらしくて結果的に怒りがしぼむ。

 ごめんね八つ当たりみたいなことしちゃって、とお詫びにチーズを出せば一心不乱にはむはむ食べていた。グハァッかわいい。猫はこんなにもかわいいのに、しょうもないことで腹を立てていた私はなんてバカなんだ。人間は愚か。

 猫に本音を聞いてもらうと、心が穏やかになる。だから次の日にはちゃんと仲直りができる。


 だからきっと、

 今日も、


 そうだと、いい、けど。


「……どうしよう……」


 猫に恋愛相談をするのもおかしな話だと自分でも思ってはいるが、現状この子よりも私と彼の関係を把握している生物も他にいない。


「そう、またケンカしたの。でもいつもみたいなくだらない理由じゃなくて……いや、人によってはバカバカしいって言うかもだけど。

 実はさ……されちゃったんだ……プロポーズっぽいことを……」


 膝の上に猫を置いて、ほっぺを両側からもふんと挟む。猫好きとしてその行為はたまらない至福のはずなのに心が重い。

 猫はまんまるの眼をうるさそうに細めながら、じっと私を見つめている。今日ばかりは睨まれているようにも思えた。だって、……今日彼がしていたのと、そっくりな眼つきだったから。


「びっくりしちゃって……嫌だったわけじゃないの、なんか、急に不安になっちゃって。それで、向こうも曖昧な言い方だったから、つい、こっちも曖昧に流しちゃった。……そしたら彼、断られたと思った、みたいで……ッ」

「……みゃおぅ」

「だって、だってさぁ。こんなケンカばっかりしてて、結婚とか、できると思う? 私みたいな女をお嫁さんにして、彼が幸せになれると思う……?

 うっ、う、うう……ッでも……別れるって、なったら、やだ……やだぁぁっ……好き、だもん……大好きなんだもん……したいよぉ……結婚、ほんとは、したい……プロポーズ嬉しかったって、ひぐっ、い、言いたい、のにぃ……ッ」

「みゃぁ」


 わんわん泣きじゃくる私の頬を、猫はぺろぺろと舐めとった。表面がザラザラした、花びらみたいに薄くてちっちゃな舌が、何度も何度も私を撫でる。まったくどうしてこの子はこんなに優しいんだろう天使かな。

 彼もこれくらい優しくしてくれたらいいのに。

 ……私もこの子に対するくらい、彼に素直になれたらいいのに。面と向かって大好きだなんてほとんど言ったこともない。照れくさいし恥ずかしいし、私らしくないと思われたくなくて。


 本当に不思議だ。彼ってば、こんな素直じゃない女に、どうしてプロポーズなんてしてくれたんだろう。


 さんざん泣いたら落ち着いた。私はだいぶぐちゃぐちゃになっていたけれど、ずっとホールドされていた猫もけっこうくたびれてしまっている。重労働でごめんね。

 というか歴代最長の愚痴になったなぁ、と棚の上の置時計を見ながら思う。日付が変わってしまうじゃないか。

 まだ心配そうに私を見つめる猫の頭をぐりぐり撫でて、ふうっと大きく息を吐いた。


「猫ちゃん、ありがと。……いつもどおり、ちゃんと明日、仲直りするね」

「みゃん」

「……でもまだなんか不安だなぁ。んー……あ、そうだ」


 私はひょいと猫を抱き上げて、狭い額にちゅっとキスを落とした。


「今夜は泊まっていって。で、明日、ついてきてくれないかな。あなたがいると少しは素直になれそうだから」

「……」

「それと……ついでに野良暮らしも卒業しない?」


 もし彼と次に進むことになったら、この部屋から引っ越すことになる。この子のいない生活はちょっとかなり非常につらいもの。


 猫は答えなかった。とりあえず、寝る前にせめてシャワーくらい浴びておこうと床に降ろし、猫を残して浴室へ。

 このとき私は、知らなかった。



・・・・*



 カチ、コチ、カチ、コチ。

 秒針が時を刻む。慌てて窓に飛びついても、ふわふわの小さな手は閉じられた半月錠クレセントに届かない。

 窓ガラスは夜闇を塗って鏡のように反射している。猫はそこに映った白茶の毛並みと、棚の上の時計とを交互に見やっては、落ち着きなく尾を振るった。


 反対側のドアの向こうでは水音が途切れる。タオルを巻いた鼻歌混じりの部屋の主の影が、すりガラス越しに見え隠れ。

 ただいまの時刻は午後十一時、五十九分、……五十秒。



「……、やべえ」


 この魔法はあと十秒で解けます。



 ●了●

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