6 女子高生「一緒に消しましょう」
年度が明けた。
会社は辞めてしまった。
僕にはもう、何も残っていなかった。
慰謝料と退職金でローンの残債を消して。
残った家も長男が連れ込んだ彼女と占拠するようになり。
僕は家の片隅の部屋に、寝るためだけに帰った。
昼間は街をぶらぶらして。
日が暮れたら公園のベンチに座った。
変わらず虚無だけが僕を歓迎してくれていた。
その虚無に身を任せ、毎日数時間、居座った。
一週間。
二週間。
雨が降っても風が吹いても、同じ過ごし方をした。
だけれども。
女子高生も、少年も、ギャルも、もう来なかった。
僕の虚飾さえもなくなった。
歌いたければ自分でギターを調達すればよかった。
だのに僕は頑なだった。
黒歴史を繰り返すことに抵抗があった。
今更だというのに。
◇
五月になった。
一か月も仕事をしないと自分が腐っていくのがよくわかった。
もうマトモに仕事ができる気がしない。
公園の虚無だけが僕に残った。
ある日の夜も、僕は公園のベンチに座っていた。
すると見覚えのある顔が僕の前に来た。
「あの」
前よりは遠慮しない声。
彼女はもう制服を着ていなかった。
背負った例のギターケースを僕に差し出して。
「歌ってください」
僕は首を振った。
「もう何も残ってないよ」
いつも無表情だった彼女は哀しそうな顔をした。
「あなたは」
彼女はギターを抱きしめた。
「この子に、親友の形見に魂を吹き込んでくれました」
「…………」
「温かい歌で、私の悲しみを溶かしてくれました」
「…………」
「何度も、何度も、私の悲しみを溶かしてくれました」
「…………」
「もう一度、魂を。この子に命を吹き込んでください」
目を腫らして、頬を濡らして。
その雫がぽたりぽたりとケースに落ちて。
「僕にはもう、何もない」
もう一度、僕は首を振った。
「俺にも聞かせてよ」
声に驚くと隣に少年がいた。
紺の学生服に身を包んで、生意気なネクタイを締めて。
「おじさん、俺の怖いのとか辛いのを消してくれた」
「…………」
「塾でいじめられてもここで泣けたから」
「…………」
「親に殴られてもここで泣けたから」
「…………」
「おかげでこうして進学できたんだ。もう一度、聞きたい」
少年も目を赤くしていた。
ギターに目が引っ張られた。
でも僕の虚飾は引っ込んでいた。
僕は首を振った。
「あーしからも頼むよ」
またか、と僕は声の主に目を向けた。
そして驚いた。
染めていた髪が黒に戻り。
アイシャドーやまつ毛もすっかり無くなり。
薄化粧の美人がスーツをびしりと着て。
別人のように見違えたギャルがいた。
「ピッピに振られて死にたいときに泣いてくれたじゃん」
「…………」
「忘れられないとき全部、消してくれたじゃん」
「…………」
「就活で辛いときも嫌なことやっつけてくれたじゃん」
「…………」
「もっかい弾いてよ」
女子高生がギターを差し出してきた。
僕は観念した。
「僕の歌は良いことも消してしまうよ?」
女子高生が言った。
「一緒に消しましょう。あなたの嫌なこと、辛いことを」
世界に殺される僕 たね ありけ @Penkokko
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