5 女子高生「親友のギターです」

 年の瀬が近付き街中がクリスマスに染まった頃。

 いつもぶっきら棒にしている長男に呼び出され、駅近くのファミレスにいた。

 大事な話がある、と告げられて。

 仕事帰りに待ち合わせて夕食を頼んでいた。


「大事な話って何だ? 彼女でもできた? 出来婚の報告?」

「違う」


 茶化すような僕の言葉は要らないと、長男は真剣だった。


「母さんが浮気してる」

「は?」


 ◇


 そこからはジェットコースターのようだった。

 言われるがままに興信所に依頼し、クリスマスの逢瀬を押さえ。

 常習性を確保し、子供たちにどちらの親につくか意思確認をし。

 弁護士に依頼をして慰謝料だとか離婚届だとか。

 嫁さんの親に土下座をされ、僕の親に気の進まない報告をして。


 そうして残ったのは、ローンが半分残った家と、長男と、僕。

 次男と三男は母親が良いと彼女についていった。

 まだ幼さの残る彼らにとって、それで良いと思った。


 諸々が終わったのは2月の下旬。

 「心配すんな、俺はもう大人だ。気にせず自分のことやってくれ」

 長男にそう心強い自立宣言をされ、二十年以上かけた僕の家族は霧散した。


 ◇


 公園の虚無は僕の味方だった。

 いつ来ても歓迎してくれる。

 だから離婚も別れも、哀しかったけれど涙は出なかった。

 この公園ですべて捨てていけたから。


 ――期待していると 柔らかな眼差しで 叩きつけ♪


 黒歴史の虚飾は、もう実体として認識されていた。


 ――世界に 僕は 殺されている♪

 ――社会に 僕は 殺されている♪

 ――学校に 僕は 殺されている♪

 ――家族に 僕は 殺されている♪

 ――友達に 僕は 殺されている♪


 いつも目を腫らし、三日に一度だけのリサイタルを聞き逃しまいと通う三人。

 立場も年齢も違うのに、どうしてかこの虚飾を共有していた。


 公害が去ったら一礼して解散する。

 それももう暗黙の了解だった。


 ◇


 もうすぐ年度が替わろうという三月。

 仕事中に血相を変えた部長に会議室へ呼び出された。


「君と彼で取って来た案件。彼がお客さんに誇大説明をしたみたいでね」

「は?」

「先方は契約解除を申し出ている」

「でもそれじゃ違約金が」

「このままでは会社が損害を受け、君たちに有責を迫ることになってしまう」

「とにかく謝りましょう。非はうちにあります」


 先輩が勝手に約束を増やしていた。

 お得感を盛るためにやったようだ。

 だから接戦だと思ったコンペで簡単に勝てたのだ。

 そのツケを会社として支払うことになった。


 僕と部長は必死に頭を下げた。

 対象は一社だけでなく、五社に及んだ。

 先輩はクビ。

 一緒に営業をしていた僕も立場上、減給せざるを得ないということで戒告処分を受けた。

 減給三割を三か月。

 もう出世の見込みはない。

 火消しをしたというのにあまりの仕打ちだと思った。


 ◇


 夜の公園は相変わらず寒かった。

 二十二時を過ぎれば当然なのかもしれない。

 春が近いというのに風は冷たくて、それが虚無を撫でてくれていた。


 その日、僕はいつものベンチには腰掛けなかった。

 缶コーヒーも買わずに奥の時計の芝生まで行った。

 そうしてどかりと生意気に腰を下ろした。

 いつものギターに手を伸ばして、歌ってやろうと思った。


「……ない?」


 ギターはなかった。

 あるはずのそれがなかった。


「…………」


 呆然とした。

 僕の手からは、何もかもが零れ落ちていった。

 仕事も、家族も、ギターも。


 それでも虚無だけはここにあった。

 ああ、変わらない虚無。

 そうか僕はこいつとずっと一緒だ。

 仕事も家族も幻だったんだ。

 だからここが心地よかったんだ。


「は、はは、あははははは!」


 僕は声をあげて笑った。

 涙が出て来て頬を濡らした。

 馬鹿みたいに独りで虚無を囃し立てた。

 彼から祝福を受けたように思えた。


「あははは、ふぅう、ひいひひひ!」


 虚無を歓迎するよう、僕は狂人になった。

 ただひたすら笑い転げ、世界を呪った。


「あの!」


 そんな独壇場のステージに待ったがかかる。

 急速にしらけた僕は冷たい声で答えた。


「なんだい?」

「これ。あります」


 くだんの女子高生が差し出して来たのはギターケース。


「どうして君が?」

「これは私のギターです」


 ケースを受け取り開けた。

 いつものアコギだ。黄色いピックも変わらず入っている。


「私の、いえ、親友のギターです」

「君がいつも置いていたのか」

「はい」


 ギターをチューンして僕は構える。

 いつの間にか少年とギャルも来ていた。


「今日は、本気で」


 いつも投げやりに歌っていたこの歌。

 今日だけは本気。

 だって。

 僕にはもう、こんな虚飾の黒歴史しか残っていない。


 ――ずっと一緒と 歓びの歌を 踏みにじって♪


 実態を得た虚飾は確かな現実として僕を殺しにかかった。


 ――世界に 僕は 捨てられている♪

 ――社会に 僕は 捨てられている♪

 ――学校に 僕は 捨てられている♪

 ――家族に 僕は 捨てられている♪

 ――友達に 僕は 捨てられている♪



 でも。

 若い君たちには、まだ残されている。



 ――だから僕は 君の欠片を♪


 ――刺しても 消されても 描いて♪

 ――斬りつけても 笑われても 慰めて♪

 ――縛られても 蔑まれても 励まして♪

 ――叩きつけても 殺されても 生き返らせて♪

 ――踏みにじっても 捨てられても 拾って♪


 ――それが 君だから♪

 ――僕が知っている 命だから♪



 六つの手のひらで、初めて、感想が述べられた。

 やっぱり目を赤くして、頬を濡らした顔で。

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