エピローグ
最終話 ネズミたちの別れ
何も見えない闇の空間を恐る恐る歩んでいくと、やがて真っ赤な夕焼けの下に薄雪が積もった場所へ出た。目の前には、どこか見覚えのある古ぼけた建物がひっそりとたたずんでいる。
「ここは……あの館の前だ。本当に戻ってきた」
「座標まで正確とは恐れ入った。さすがは魔王、ただものではない」
五人全員が出たのを確認するや、ポータルはたちまち霧散してしまった。
「こんな芸当ができる相手を敵にしたくはないわね。移動魔法ってのは簡単に寝首を掻けるから禁忌なのよ。休暇を楽しむ平和な魔王でほんとよかったわ」
「やれやれ……。終わってみれば、なんだかあっという間だったな。みんなで夢でも見ていたみたいだ」
グレムリン王であるピットナッチオの企みを阻止し、機械神を破壊してジェランドさんと時計を取り戻し、
俺は魔王と戦ってなにも手にすることはできなかったが、兄さんと再会し、心残りだった共演を果たすことができた。
倒れたチュー太郎はちゃっかり悪魔のちからを手にして、ただのネズミから妖精になってしまった。
「おーい、開けてくれ!」
玄関の扉をたたくと、すぐに聞き慣れた少女の声が返ってきた。
「合言葉は?」
「え? その声は三奈か。おい、ラ・トゥール、変なのが流行ってるじゃないか」
「いいから答えてよ」
「はいはい。それじゃチー牛」
「それだけじゃダメ」
「チー牛をご馳走すればいいんだろう? わかったから開けてくれよ」
「おかえり、お兄ちゃん」
「ただいま三奈、それにみんな。おっと……」
中に入るなりチビどもがわっと駆けつけてきた。おじさんと女中のスコラスティクさんも出てきて、十五人と一匹が一堂に会した。
心配させまいと情報をほとんど明かさないで旅立ったから、かえって不安にさせてしまったようだ。毎日一緒だった兄が帰って来ないのだから無理もない。
五郎だけは平然としていて、生意気に腕を組みながら壁に背を預け、ただ笑うだけだった。どうやらこいつも長男の苦労がわかったようだ。
「おいおい、そんなに泣くなよ七子。たった数日、留守にしただけだろう。なんだよ八郎。抱っこしろだって? 仕方ないな、ほら。うお、ずいぶん重くなったな。おや珍しい、九美が起きてるぞ。ん、あの声は、十郎がお目覚めのようだ……」
まったく、泣く子には敵わない。俺たちはひとまず暖炉のある部屋へと向かう。
「三奈と四葉、お勤め本当にご苦労さん。カロルがいなかったら大変なことになっていたよ。六郎はおじさんと大活躍だったみたいだな。スコラスティクさん、みんながだいぶお世話になったみたいで……」
すっかり綺麗になった内部と、お婆さんに懐くチビどもを見て安堵する。
「五郎。俺のいないあいだ、ずいぶん頑張ったみたいだな。ほんのちょっと前まではクソガキだったくせに……」
こいつに冗談を言うのも久しぶりだ。もっと早く大人になってくれていれば楽だったのに……とはとても言えない。俺もずっと意地を張っていたから。
暖かな部屋で、温かなお迎え。やはり大家族は良いものだ。
父さん、母さん、きょうだいを遺してくれてありがとう。俺はようやく鼠尾一家の大黒柱として、本当の自覚ができたよ。
ずっと何かが欠けている気がしていたけど、もう大丈夫。夢のような旅のなかで、心残りを埋めることができたんだ。これからは前を向いて生きることができる──。
俺たちが帰還してグレムリンの危機がなくなったことが知れ渡ると、裏ジュネーブの街には人の気配が少しずつ増えはじめた。
お陰で鼠尾一家は、平和になった異世界をようやく散策する機会に恵まれた。
カロルやジェランドさんたちに案内されて、時計塔に登って湖を一望したり、高い山を眺めてピクニックを楽しんだ。
妖精の世界に間借りした慎ましい地ではあったが、貴重な冬休みを体験して、みな心から満足した様子だった。
俺はカロルとラ・トゥール、それにチュー太郎の三人と一匹きりになると、ほかの者には言えないことを尋ねてみる。
「こういった楽しい記憶も、やっぱり帰る際に消されてしまうんですか?」
「いや、そんなことはしないよ。どうせポータルは閉じてしまうから、自慢したっておかしな奴と言われるのがオチさ」
「あたしたちがいつも利用しているポータルは厳重に管理されているし、あの廃ビルだって人が来ないように工夫してあるのよ。それにどうせ来たって、街から一歩外に出れば命を落とすのが関の山ね」
「そうなのか。じつは俺、本当はこっちの世界に留まりたいと思ってたんだ。家族のことがあるから今回は諦めるけど、次があったら……」
「そうねえ。結局、お礼の曲もまだ頂けてないし」
「そうなんだよな……。なかなか思いつかなくて、申し訳ない」
「湖のアレをここでやればいいじゃないか。わたしはどこかにいってるから」
「あれはあの時の限定だ! もっと良いのを考えるから待ってくれ」
「冗談よ。まあ、出世払いってことで。あたしも両親を説得したら、バンドをやってみたいし」
「……なんの楽器を担当するつもりなんだ?」
ふとリコーダーの腕前を思い出し、不安になって尋ねてみる。
「そりゃもちろんヴォーカルよ。あたしのビジュアルと歌声があれば、大成功間違いなし。あんたとチュー太郎、ラ・トゥールも入れてあげる」
「そ、そりゃあ楽しくなりそうだ……。なんてグループ名にしようか?」
自分からは言い出せなかったことをあっさり言われ、楽しい想像が止まらない。
「『ラ・トゥールと愉快な仲間たち』なんてどうだろうか」
「却下、『カロル歌劇団』ってもう決まってるの」
「自分の名前を入れるとかありえないだろ。攻撃的バンド『イグゼクス』なんてどうだろう。なんかカッコよくないか?」
「あんたこそこっそり入れてるじゃない。ここは『トワイライト・ルミネッセンス』で手を打ちましょう」
「なんだよ、そのキラキラネーム」
「僕、良いの思いついたよ! そろそろ著作権が切れるそうだし、ヴァイオリン弾きのネズミを中心に据えて、『ミッキ──』」
『アウト』
即座に三人の声がハモった。
いくらなんでもそれはまずい……。
「しかしチュン二郎、悪魔の音程は控えめにしたほうがいいぞ」
「なんだって! トライトーンのよさがわからないのか!」
「あたしがメインな以上、小悪魔アイドルっぽいほうがいいわね」
「僕は新古の融合したシンフォニック・ロックがいいと思うな」
四者四様ですれ違い、ふとした会話から始まった議論は次第に白熱していく。みな一歩も譲らず、何ひとつ決まらない。ついに業を煮やしたパイド・パイパーが呆れたように切り出した。
「君たちとはわかりあえない」
「どうしてみんな僕の理想をわかってくれないんだ」
「あんたたちとバンドを組むなんて思った私が間違ってたわ」
「はんっ、そんなもんこっちから願い下げだ」
結局、〝イグゼクス〟は結成することなく音楽性の違いで解散が決まり、三人と一匹で笑い合った。
それから数日経ったある日のこと。俺たち一家はとうとう表の世界へと帰ることになった。会議をした小部屋に旅をした仲間たちで集まり、別れを告げる。
「ついにこの日が来てしまったか。悲しいな……」
「なに、生きていればまた会えるさ」
「死んだって会えるぐらいだしね。ハハッ!」
すっかりラ・トゥールと仲良くなった兄さんが、彼の肩に乗って茶化す。家族にはチュー太郎の秘密は伏せたままである。残念だけど、さすがに混乱させてしまうから仕方がない。
「ジェランドさんとオベールさん、どうかお元気で」
「ええ、チュン二郎さんも。夢を叶えられるといいですね」
「あなた方のご無事を神にお祈りしております」
いったい何の神に祈るのかは、怖いので訊かないでおくとしよう。
オベールさんがこっそり語ってくれた話だが、近くプロポーズを申し込むらしい。結果は聞くまでもないが、結婚式に参加できそうにないのが残念でならなかった。
「それじゃ帰ろうか、兄さん」
「……それなんだけど。僕はここに残ろうと思ってるんだ」
「え? なんでだよ、せっかく再会できたのに。いや、チュー太郎としてずっと一緒ではあったけど……」
「太郎兄さんはこちらの世界で生まれ変わり、まだ魔力が完全には馴染んでない状態なのよ。あたしが呪医として、異界渡りは危険が伴うと判断したの」
「そうなのか……」
「そんな悲しい顔をするなって。僕がチカラをつけるか、二郎もこちらに来ればまた会えるんだから」
「そりゃそうかもしれないけど……。それじゃあ、兄さんというかチュー太郎の家族もここに置いていくよ」
「そう言ってくれると思ったよ。彼らは僕の妻と子供たちだからね」
「……そういやそうか。兄さんもやることやってんなあ。血は争えないや」
「ぼ、僕は十八歳だぞ! 二郎より二歳上なんだから!」
「ははは、ごもっとも!」
「……呆れた。まったく男兄弟ってのは、女の子の前でなんて会話してんのよ」
「わたしはノーコメントだ」
『すいませんでした』
そうか、兄さんはずっと俺の兄さんなんだ。六年前に、たった十二歳で亡くなってしまったけれど、ずっと兄さんでいてくれたんだ……。
さようなら、兄さん。またいつかその時がきたら、必ず会いに来るよ。血を分けた兄弟の約束だ。絶対の絶対だ。
「それじゃあな、チュン二郎。また会う日まで」
「ああ、ラ・トゥール。あんたに会えて楽しかったよ」
「ポータルをいつまでも隠しておくのは無理だからたぶん閉じちゃうけど、あたしはまだニッポンでやってないことがあるから、また行くかもしれない。まあ、あんたには関係ないけど」
「ふうん。素直じゃないな」
「いや、チー牛とやらを食べてみたいだけだから……」
「それは本当っぽいな……」
後日、単独でやってきたカロルと家族とで牛丼屋に出向き、大変な騒動が起こったのだが、それはまた別の話である。
夢のような異世界の冒険が終わり、またすっかり元の生活に戻ってしまった。
いつしか俺と五郎が廃品回収に出向き、おじさんと六郎が修理をし、三奈と四葉が販売を手伝うという流れができあがり、一月の売り上げは過去最高を記録することになる。このままいけば、もう将来の心配をする必要もなくなるだろう。
そして今日は新学期。俺は髪を黒く染め直し、堕天使ゼクスからごく普通の高校生チュン二郎へと戻っていた。
「よっ! チー牛」
またいつものように奴らがやってきた。シカトを決めて本を読んでいると、相手はこちらを囲んで煽ってくる。
「あれ? お前、今日は否定しないの?」
「おい、黙ってないでなんとか言えよ〜」
「怒った? もしかして怒っちゃった?」
俺は表情を崩さずに、読んでいた『イーリアス』を閉じて鞄にしまうと、机の脇に吊り下げていたビニール袋を持ち上げながら答える。
「いや、俺はたしかにチー牛だ。潔くそれを受け入れることにした」
『……へ?』
「っておいおい、なに広げてんだよ。まだ業間だぜ?」
「今日は朝飯を抜いてきたから、早め食おうかとね」
「なんか匂わね?」
「むせ返るような甘い油とチーズの香り……。これってまさか──」
「それじゃ、いただきまーす」
「お前、それ……!」
「チー牛!」
「チー牛がチー牛食べてる!」
「共食いだ!」
『うははははは!』
思ったとおりの展開だ。大爆笑を尻目に、俺は冷静に好物を堪能する。
「あー、うめえ。やっぱチー牛は最高だぜ。おっと、忘れるとこだった。わが家のスペシャルトッピングをっと……」
さりげなく眼鏡を外し、粉状にした例のチーズを振りかける。
〝チーズ牛丼異世界風〟──うん、じつに良い香りだ。
「ん、お前なにしてんの? って……」
『うああああああああ⁉︎ あんたはー‼︎』
俺は椅子を引き、側らに置いてあったエレキギターを膝に乗せる。ジャカジャンと短くかき鳴らし、逆立った髪の毛を堂々とかき上げながら言った。
「知ってたか? チー牛は強者の象徴なんだぜ」
『か……』
沈黙が流れた。
『かっけえええええええええ‼︎』
こうして、日々のからかいに対して悪魔的な復讐を果たし、敵だった者どもを配下に従えた俺様は、ミュージシャンとしての一歩を踏み出していったのである。
いつか再びポータルが開かれたその時には、愛の歌を引っ提げて、あの男のもとでマイオマンサーの修行を積むつもりだ。
集まってきた者たちに見せつける相棒のボディには、小さなネズミの足形と魔王の禍々しいサインが
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最後まで読んでいただき、誠にありがとうございました。
レビューやフォローをしていただけると幸いです。
ゼクスの物語はここで終わりますが、別の作品でいずれ出てくると思います。
魔界舞曲サラバンド ~音楽の悪魔は渓谷にほほ笑む~ かぐろば衽 @kaguroba
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